2011年1月と2月、7年ぶりにアルゼンチンを訪れる機会に恵まれました。ブログ掲載分と追記分、写真を交えてこちらに掲載いたします。(2012.1)



                        2011年 前編

2011年1月9日 ”ブエノスアイレス”


 無事アルゼンチンに到着しました!ブエノスアイレスではあっという間の3日間でした。実は今回、以前の旅のようにほいほいと外にあまり出られず(涙)、正月までの疲れと時差ぼけもあったのでのんびり過ごすことにしました。ネット環境もかなり完備、部屋の中でも無線LANが使えるのでコンタクトがすごくとりやすいです。初日はほとんど帰国後のスケジュール調整だったような・・・とても不思議ですが南米に来てすぐにできるなんてうれしいことです。それでも日本を出る時に持たなかったいくつかの物資を現地調達したり、アルゼンチンの味覚をさっそく満喫したり、新作の大きな舞台を2つ観ることができました。やっぱりそれなりに出歩いてますね。

 滞在の最初はまず自分の好きなアーティストのライブに行きたいと思っていたのですが、短時間のリサーチでは残念ながら見つからず、500km離れた場所でのイベントだったりしたので・・・ちょっとあきらめモードでした。と、市内の中心部、コリエンテス通りで見た2つの大きな看板にひかれました。「Puro Tango」「La Revista de Buenos Aires」さっそくチェック。2つとも「Latina」や「10Tango」のサイトで日本語の情報が載っていたのでありがたいです。

 さっそく2つの舞台鑑賞

 1月7日(金)の夜はタンゴダンサー、ミゲル・アンヘル・ソットの新作舞台「プーロ・タンゴ」に行きました。この日が公演2日目だったのですが、おひとりさまの幸運でかなり前の方に席がとれました。アルゼンチンタンゴの歴史をたどりながら、古い音源と生バンドによる演奏を組み合わせた構成。ミゲル・アンヘル・ソット率いる12人のダンサーによるパフォーマンスがすごいです。マエストロの圧倒的な足さばきを間近に見ることができて幸せです。

 同じ通りを2分ほど歩いたところにある「テアトロ・ブロードウェイ」では、もう一つ気になった「レビスタ・デ・ブエノスアイレス」が初日を迎えていました。私は翌日8日(土)の夜に観に行ったのでこちらも公演2日目。こちらも感動的な舞台でした。言葉で説明するのはとても大変ですが、おそらく「テレビ的に演出されたキャバレーのレヴュー」、アクロバティックなダンスと一幕ごとの一人マシンガントーク、とにかく露出の多さにびっくりです。

 2日続けて舞台を観たのでどうしても比べてしまうのですが、これがあまりにも好対照すぎて楽しかったです。後でさっそく調べたのですが「レビスタ」の出演者はテレビで活躍するタレントやダンサー、歌手(タンゴ歌手のラウル・ラビエとロック歌手のパトリシア・ソーサが参加)がショーと寸劇を交互に展開。トークは早すぎてまったくついていけませんでしたが・・・とにかく景色が華やかで、クラシカルに淫靡な世界。ラテンアメリカのエンターテインメントのテレビ番組の中に飛び込んだようでした。

「プーロタンゴ」は、タンゴの世界を存分に味わえるとともに、そのステージで繰り広げられる若いダンサーたちの生き様が伝わってくるようでした。これから公演を重ねるごとに、舞台そのものが成長していく物語のある1日に出会えた感覚です。個人的にうれしかったのは、先日観たNHKのドキュメンタリーでも登場したダンサー「ルーカス&パウラ」がこの舞台に参加していたことでした。ついミーハーな気分で応援してしまいます。

 お客さんの反応も本当に好対照でした。「プーロタンゴ」はきっとこの後世界各地での公演を視野に入れて構成された舞台。お客さんからは「私たちのブエノスアイレスを届けてね!」というオーラがいっぱい発せられていました。一方「レビスタ」の客席にあふれている、普段テレビで楽しんでいる「あなたたちに会いにきたわよ!」という幸福感・・・どちらも隣やすぐ後ろでブラボーと叫んでいたセニョーラたちの視点になってしまいすみません。

 私にとって「プーロタンゴ」はあこがれの世界の1つ、「レビスタ」は超アウェー(笑)な空間でしたが、どちらも心にどーんとくるすばらしい舞台でした。ちなみに「レビスタ」は土曜はなんと2公演、終演予定を1時間オーバーしていたので外に出ると待ちくたびれた2ステージ目のお客さんでいっぱい。この後もう1回?すごすぎます。


 さて、まだまだ旅は始まったばかり。これから一旦ブエノスアイレスを離れ、サンティアゴ・デル・エステロに向かいます。フアンカや2004年以来となる友人との再会がとても楽しみです。


7月9日通りのオベリスコ Puro Tango」のパンフレット


ステーキ!(ビフェ・デ・チョリソー)とウミータ(コーンクリーム)のエンパナーダ




2011年1月12日 ”Juanca”


 1月9日よりサンティアゴ・デル・エステロに滞在、フアン・カルロス・カラバハル家にホームステイでお世話になっています。空港ではファビオとイニャキに出迎えてもらいました。7年前には少年だったイニャキも21歳、子どもたちが大きくなるほど時間を感じる瞬間はありません。コルドバに滞在していたフアンカとアリシアもほぼ同じ時間帯にバスターミナルに到着。再会を喜びます。

 ちなみに前回はルーカス家に滞在させてもらっていたのですが現在彼は少し離れたリオ・オンドに暮らしているそうです。この日記を書いている時点でフアンカ家で3日目の朝を迎えました。着いた日には、2004年に一緒に弾いた「エル・レフンテ」のピルーロがちょうど昼寝中、翌日にはマルティンとも会うことができました。お互いかなり大きくなっていますが一番ゴルドになっているのは間違いなく私です。いきなり人名ばかりですみません、ホームページchiei.orgのreportに2004年の写真が載っているので参照いただけたら・・・。

 フアンカのデスクには小川紀美代さんの弾いている写真がありました。2年前に紀美代さんたちが故・瀬賀倫夫さんの形見のギターを届けに訪れたときにフアンカの新しい録音に参加していて完成したCDを紀美代さん宛におつかいで受け取り、こちらからは預かっていたグスタボとのトリオCD「Encuentro」と、フアンカの曲を収録させてもらった「とぽけろっちぇ」CDを渡してミッションも1つ完了です。なお「不思議な風」は2008年に送っていて、フアンカはなんと自分のラジオでかけてくれたそうです。

 ありがたいことに今回もライブで共演させてもらえることになって、さっそく練習開始。曲目リストアップでは私にとって初めて演奏する曲も含めて15曲ほど、歌詞が覚えられるかどうか・・・でも準備期間があるのでなんとかがんばります!何よりもこうして自然に受け入れてもらっていることが一番うれしいです。




            フアンカと愛犬ペピーノ

 こちらはフアンカに歌ってもらったサンバの動画です。撮った機材に音声リミッターがかかって40秒以降少しボリュームが小さくなってしまったのですが、マエストロの歌と近くでご一緒できてうれしいです。明日も練習がんばります〜


"Romance del Rio Dulce" (Dalmiro C. Lugones-Juan Carlos Carabajal-Horacio Banegas)



2011年1月17日 ”エル・レフンテ”



"El Rejunte" Pirulo, Omar y Repo



 フアンカ&レフンテのステージ


 15日(土)の夜、フアンカ&エル・レフンテのステージに参加しました。サンティアゴに来てからは火曜日にテルマスという町にフアンカのレコーディングに付き添ったりした以外はひたすら家で練習したりのんびりしていましたが、週末はリハからそのままアサド(バーベキュー)〜翌5時までギタレアーダ(弾いて歌い)、明けた午前11時からまたレコーディングに付き添い、その夜レフンテの本番・・・といきなり過密スケジュールになってしまいました。

 会場はサンティアゴから30kmほどのところにあるウピアニータ。ちょうどフェリアが開催中で、広場では地元の名産品の展示販売とステージがあります。エル・レフンテとご一緒するのは2004年以来とても久しぶりでうれしいです。



 セッティングして前半のステージは舞台下で待機。フアンカ、ピルーロ、レポ、オマールの4人編成に、テルマスのレコーディングやアサドでも一緒だったパコがボンボでサポート。主にピルーロがトップボーカル、フアンカ、オマールがコーラスや交代でソロをとります。このピルーロの声がまたすばらしいんです。3人ともメロをとってもハーモニーにいっても完璧、こちらはすっかり観客になってしまいました。ステージの前は広いスペースがとってあり、チャカレーラにサンバ、みんな思い思いに踊りを楽しんでいます。

 一方自分はこの後出るぞという高揚感と、そういえばライブ自体も半月ぶりだし今回アルゼンチンでの初演奏どうしよう・・・という後ろ向きの心を振り払うのといったりきたり。でも時々イニャキやレポのお父さんが声をかけてくれたおかげでかなりほぐれます。

 休憩をはさんでステージに。最初はフアンカと私のドゥオで演奏。ピルーロがボンボで手伝ってくれました。20日から一緒にコスキンに行くのでそのシミュレーションを兼ねています。フアンカ得意の長MCでなんだかものすごい紹介をされてしまったような気がするのですが、みなさんにごあいさつ。ライトの関係であまり見えないせいか、日本人?と聞いて子どもたちがステージの前に見物に集まってきました。

 フアンカの新作『de Pueblo en Pueblo 3』にも収録されているチャカレーラ『Monte Milenario』からスタート。前半からも含め、今回の曲のほとんどはフアンカ作詞、または作詞作曲によるものです。サンバの『La Adela sale a bailar』を弾いた後こちらにソロをふってもらい、前もって「これをやりなさい」とリクエストされていたミロンガのメドレー『Milonga de mis amores ~ Tango negro』を演奏。そしてチャカレーラ『Hermano Kakuy』でボーカル参加。ここまで来るとお客さんにすっかり迎え入れてもらって感激でした。最後は全員でチャカレーラを4曲続けて弾いて終了。いろいろフレーズを飛ばしたりはありましたが、7年ぶりにサンティアゴで一緒にチャカレーラを弾けたことが何よりも最高の時間になりました。





 ”Michio Sega” の思い出

 フアンカ宅やレコーディングの場、アサドに演奏後の打ち上げでも必ず話題になったのが2008年12月に他界された瀬賀倫夫さんとの思い出でした。89年に多田行規さんとの「ロス・デル・セキヤ」としてコスキンに出場後、サンティアゴを初めて訪れた瀬賀さんはフアンカとの知己を得て、以来サンティアゴに何度も通ってたくさんの交流をされてきました。

 一方89年に埼玉の私の家にもみえて父が持っていたフアンカのレコードを見てびっくり、当時ギターを始めて間もない私が最初にいきなりサンバを弾いている変わった少年だった?のを知った瀬賀さんは「埼玉にアルゼンチン、サンティアゴ・デル・エステロの音楽を演奏している家族がいる」とフアンカに紹介してくれました。カセットテープで録音したメッセージがなつかしいです。

 2004年の滞在の時にも新潟からファビオやルーカスとのメールで「チエイの様子はどうだ?』と気にかけてくれていた瀬賀さん。この20年間のご縁に感謝、この日の演奏はサンティアゴを愛し、サンティアゴに愛されたMichio Sega !に捧げたいと思います。

 ちなみにサンティアゴ〜ウピアニータ間の移動はタクシーやパコの車(テルマスから100km近くはるばる来てくれました)に分乗、タクシーの運転手の兄ちゃんにもフェリアにいる間ずっと付き合ってもらいました。彼がまたキャラクターの持ち主で、暗くて見えにくいのに歩いている女の子をみかけるとすかさずクラクションや口笛でアピール。うらやましいです。フィアットの小型車に5人乗り、前にフアンカ、後ろにピルーロ、私、オマールが乗り、しかもボンボとギターを座席に1台ずつ抱えての道中、楽しかったです。

 動画の、上はライブ映像のチャカレーラ2曲(イニャキ撮影)、下はリハの模様(智詠撮影)です。ステージ&フェリアの写真はファビオ担当、まさか150枚も撮ってバッテリー使い切るとは・・・



"Por si no te vuelva a ver" J.C.Carabajal-Pablo Carabajal
"Atamisqueando" J.C.Carabajal-Elpidio Herrera (chacarera)



"El cielo de mi Santiago" J.C.Carabajal-Cuti Carabajal (zamba)




2011年1月28日 ”COSQUIN 2011”


 コスキン・フェスティバルに行ってまいりました。サンティアゴからフアンカと一緒に行ったのは2004年の時と同じコース。ファビオも一緒にサンティアゴから南へ長距離バスで6時間、コルドバのターミナルで乗り継いでさらに1時間半ほど入った所にあります。高原の気候で夏はコルドバ州の避暑地として、たくさんの観光客、そしてミュージシャンたちでにぎわっていました。

 「コスキン」は昨年には50周年を迎えたアルゼンチン・フォルクローレの一大イベント。今年は1月21日から30日までの10日間で、主なイベントは夜10時ぐらいから翌朝まで開かれています。広場にあるメインステージ「アタウアルパ・ユパンキ」でのコンサートをはじめ、市内各所のペーニャ(ライブハウス)やストリートでたくさんのミュージシャンやダンサーたちが歌、演奏をめくるめくみんなで楽しみ、踊り明かします。

 前回来たときはフアンカの取材に同行する形で演奏はしなかったのですが、今回は楽器持ちでなんとフアンカとドゥオを結成、その名も「ボランド・ラス・フロンテーラス Borrando las fronteras」。アルゼンチンと日本、音楽で国境をなくしていこう・・・と訳すと大きく聞こえますが、何よりも普通に演奏者としてコスキンに来られるというのがすごくうれしかったです。21日から24日までの4日間の夜にペーニャをまわることになりました。テルマスからまたしてもはるばる来てくれたパコ、そしてピルーロがボンボで手伝ってくれることに。

 ペーニャ(ライブハウス)めぐりへ

 演奏したのは合計8回!初日からいきなりロス・カラバハルのペーニャで演奏、一日2〜3カ所をまわりました。1ステージにつき20〜30分、だいたい夜中の1時半からと3時半からという感じだったので3日くらいが終わったところでさすがにみんなぐったり・・・今回私が来るということでフアンカが直前になってから日程を組んでくれたのが本当にうれしくもあり、きっと無理をさせてしまっていると申し訳なくもあり・・・それでも、たくさんのミュージシャンたちと出会えて、また距離の近いペーニャならではのやりとりが楽しかったです。ただこの時点で若干燃え尽きぎみなので・・・とりあえず写真攻めですいません。





      act1 “La casa de Los Carabajal”


      act2,3,5 “La Señalada”


      act4 “Calle San Martin”


 act6 “La Fisula”


      act7 “La Peña”


      act8 “La casa de Leandro Romero”

 ペンション風景と「日本代表」

 さて、コスキンでの滞在先はペンションの大部屋。滞在中に宿泊する人も少しずつ入れ替わります。セキュリティがちょっと心配でもあったのですが直接話してみるとほとんど全員ミュージシャン。しかもそれぞれ地元でラジオ番組を持っていて、フアンカと知ってその場でICレコーダーを取り出してインタビューという人もいました。ある夕方には部屋の中でミニセッションもして楽しかったです。



Jorge Gordillo Rolando Lobos

 事前にコンタクトをとっていた方とお会いする機会にも恵まれました。毎年福島の川俣町で開かれている「コスキン・エン・ハポン」の2010年の代表審査会を通過して、日本代表として招待された「ロス・ミドラス」のみなさんに会いに宿泊先のホテルへ。植松純子さんにはDaijitoさんのライブで仙台に行ったときにお世話になっています。
con "Los Midras" de Japon


 その後コスキンに長年滞在されている水溜(Mizutamari)さんのお宅での代表メンバー歓迎アサドにフアンカと一緒に混ぜていただいたり、またこちらのストリートでの演奏にも応援にかけつけていただきました。私も「ロス・ミドラス」本番当日(第4夜)のステージを観るのをとても楽しみに、ぎりぎりまで会場にいたのですが深夜0時を過ぎ、とうとうペーニャでの自分たちの演奏時間になってしまい観られず残念(涙)・・・演奏者の宿命ではありますが、観たい多くのアーティストのステージを目の前にして観られないこともよくあります・・・でも翌日お話を聞けて、大舞台を終えた最高の笑顔と記念写真。後日観た動画すばらしかったです!

 メインステージ”アタウアルパ・ユパンキ”鑑賞

 コスキン滞在の最後の夜は演奏はお休み。プラサ(メインステージ)でのコンサートをようやくゆっくり観ることができました。第5夜はサルタのミュージシャンがたくさん出演。前日(第4夜)のオープニング・アクトで登場した「ノチェーロス」のさすがのステージすばらしかったのですが、この日最初に演奏した若手の「Canto 4」のパフォーマンスがまた圧巻でした。


      Nocheros


      Canto 4



 途中から大雨が降り出しみんなカッパを着用。売り子の兄ちゃんたちが大急ぎで売ってまわります。しかしお客さんはみんな帰りません。それは目当てのアーティストがトリだったからです。待ちに待ってようやく登場した「チャケーニョ・パラベシーノ」、2時間のステージこれが盛り上がりました。終了したのは朝の6時・・・合計7時間25分の「Luna 5」堪能しました!








      Chaqueño Paravecino



2011年2月2日 ”サンティアゴ・デル・エステロ”


 取材+ライブ+レコーディング

 コスキンからサンティアゴ・デル・エステロに戻ってからの5日間がまた大変でした。前の週にフアンカ&智詠の企画ユニット「Borrando las fronteras」のプロモーションで地元の新聞に取材を受けた(売り込んだ?)のですがちょうど戻った日から朝刊に2日続けて掲載。すると翌日の朝さっそく地元のテレビ局「Cable Express」が家にみえてインタビュー収録。

 私は起きて40分しかたってないのに不思議なスペイン語で受け応えをしつつ演奏。その晩この模様がニュース番組で思い切りアップで映っていました・・・これまで自分がテレビに映ることはあってもしゃべって歌っている姿はほとんどなかったので、ちょっと耐えられず(汗)・・・でもありがたいことです。そのおかげか、その翌日にはさらに2局のクルーの方が来訪してフアンカとインタビューを受け、各チャンネルの夜のニュースでサンティアゴに音楽を学びにきている日本人という紹介をしていただきました・・・

 金曜日はエル・レフンテと一緒に近所のバー「モローチャ」でのライブ。そういえば2004年の時もサンティアゴ近郊の町での演奏だったので市内でのライブに出演するのは初めてでした。今回は最初にフアンカと、コスキンでもご一緒したパコと3人で10曲ほど演奏、先日フィエスタで一緒だった友達も聴きに来てくれてうれしいです。休憩をはさんでエル・レフンテのステージ。レポは夏休みのためピルーロとオマールのトリオ。最後は私も入って3時までのライブ盛り上がりました!

 さらにフアンカ制作中の新しいCDのレコーディングにも呼んでいただきました。木曜日と土曜日の夕方にオマールと一緒にスタジオへ。チャカレーラとミロンガを一曲ずつ、ギター2台で収録します。オマールのアレンジがすばらしく、2人で少しずつ交代で録音を重ねながらとても気持ちのいいサウンドに仕上がってきました。完成がとても楽しみです。



 ルピータの誕生日

 1月30日。私にとって今回の滞在で最後の夜でしたが忘れていません、この日はルーカスとマリの娘(フアンカの孫)のグアダルーペの15歳の誕生日でした。2004年には8歳の誕生日を祝ったばかりだと思っていたらすっかり大人になっていました。時が経つことをもっとも感じる瞬間でもあります・・・当時はあまりしゃべらなかったルピータも立派にコメントしてみんなに祝福されて、こちらも感無量です。アルゼンチンでは女性は15歳はとても重要な意味を持っているそうです(男性は18歳)。ちなみに彼女が抱いているのは「妹」ですので誤解なく・・・



 コスキンをはさんで半月あまり、フアンカ、アリシア、ファビオ、イニャキ・・・本当にお世話になりました。私が今回アルゼンチンに来た動機の半分はフアンカに会いたかったからなのですが、この数年フアンカのライフワークは「de Pueblo en Pueblo」、子どもたちに音楽を伝え残していこうと小さい村々をまわって講演とコンサート活動を続けています。

 この1年ほどよくフアンカからその模様をメールマガジンで受け取っていましたが、一方でその頻度がとても多いことから根拠はないのですが何か急に心配になってしまいました。ところが実際来てみるとそれは杞憂で、まったく変わってない彼の歌声にひと安心、まさか一緒にユニットを組むとは思いもせず・・・最後にはとうとう「このドゥオで日本でやろう!」と言ってくれるほどフアンカの元気に圧倒される日々でもありました。

 サンティアゴの人たちと一緒に歌い楽しみ、自分にとっても2004年に来た時とはまた違う、大きな「宿題」をもらったような気がします。サンティアゴを離れたときはもはや帰りではなく出発の心持ちです。本当にありがとうございました。


Juanca & Alicia



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