2011年 後編

2011年2月8日 ”グスタボ・デ・トレレウ”



 サンティアゴから一気に2,500km、ブエノスアイレスから南に1,400km離れたトレレウ(Trelew/英:トレリュー)に行ってまいりました。昨年小川紀美代さんのCDでご一緒したグスタボ・ジョーンズに会うためで、空港ではグスタボと、お父さんのオマール、お母さんのエルビラ、お兄さんのギジェルモが出迎えてくれました。

 瀬賀倫夫さんからつながるもうひとつのご縁、昨年9月に紀美代さんとDaijitoさんが南米ツアーをしてこのトレレウでグスタボとのコンサートを行ったとき、実は私もとても行きたかったのですが残念ながら日程が合わず・・・それでも4ヶ月半後にトレレウに来ることができました。紹介いただき感謝です!

 博物館ホールでのドゥオコンサート

 当初はただパタゴニアに行きたい、グスタボ家に遊びにいくつもりだったのが、今回来るにあたって紀美代さんから教えていただいたオマールのメールアドレスで何度かやりとりをしているうちに、「コンサートをやろう!」ということになり、2日後にいきなりセッティングいただいてしまいました。
 会場はMEF(Museo Egidio Feruglio)という博物館内のホール。紀美代さんとDaijitoさんもこちらでコンサートを行ったそうです。


 コンサート前日グスタボと練習。つい昨日初めて直接会ったばかりなのですが、レコーディングですでに「共演」しているのでまったくそんな気がしません。Kimiyo-Chiei-Gustavo-DaijitoによるCD 「Encuentro」には比較的タンゴが多く収録されていますが、今回はアルゼンチンのフォルクローレづくし。サンバ、チャカレーラ、サンバ、と一緒にできる曲をどんどん増やしていくうちに20曲を超えてしまいました。結局お互いのソロとアンコール2曲を含めて18曲、予備2曲ということで落ち着きます。彼は目が見えないのですがその分本当に耳が研ぎすまされていて、ピアノやギターも迷いなく力を発揮しきってるのがすごいです。気がついたら昼寝をはさんで6時間以上弾いてました。


 Gustavo Jones

 当日は20時半開演。直前のブッキングにも関わらず、地元の新聞に大きく掲載された効果もあってたくさんのお客さんがみえました。司会の方に一人ずつ紹介されてステージへ。もちろんグスタボはオマールのエスコートで入ります。グスタボのMC。これまで練習の時以外あまりしゃべらなかったグスタボが流れる水のごとく語り始めます。さすがアルゼンチン人、マイクを持たせたらすごいです。

 グスタボはピアノ(キーボード)をメインに時々ギターに持ち替えながら、私も2曲だけボンボに持ち替えてコーラスも。タンゴもそうですが、サンバやチャカレーラも一曲が2~3分ととても短いのであっという間に進んでいきます。無料のコンサートなのでお客さんもどんどん入ってきて、いろいろかけ声をかけてくれたり一緒に歌ってくれたりして、最終的には満員に、休憩なし90分のステージになりました。



 アンコールにこたえてグスタボ「もっと聴きたい?」 「Si !」 すっかりのってます。予備曲も投入して結局アンコール4曲もやってしまいました・・・最後は手をつないで中央の通路を一緒に退場。花道みたいですね。


 2月早々またしてもすごいコンサートになりました。しかしその反動とこれまでの累積でとうとう翌日ダウン・・・2年に1回くらいかかる胃腸炎の症状がでてしまいました。その週の後半はオマール宅で療養、スープパスタなどメニューも変えつついろいろ面倒をみていただきました・・・



 週末はパタゴニア北東部観光

 それでもだいぶ回復して、週末にはトレレウ近郊の町や海に連れてってもらいました。オマールとグスタボはイギリスのウェールズにルーツがあるそうです(グスタボのひいひいおじいちゃんが19世紀にトレレウ近くにあるガイマンに入植)。このあたりは大西洋岸、バルデス半島に近い場所で、とても乾燥していて砂漠化が進み環境問題にもなっていますが、はるか昔は緑に覆われていて、恐竜や2億年前くらいの動植物の化石がたくさん見つかっています。MEFの展示で初めて知った内容ですいません。



 日曜日はオマール宅でのアサドをごちそうに、間に合ってよかったです。そして海。途中の道路脇に普通にグアナコがいます。60kmドライブして港町プエルト・マドリン近くの保護区でアザラシの群れ(!)を見学。崖の上から眺めるので望遠でしたがものすごい鳴き声でした。9月ごろはペンギンも北上してくるそうなので、その時期また来たいです。


 グスタボが「何が見える?」といろいろ聞いてきます。彼も風の音を聴き、大地に触れ、海の香りをあおぎ、時々みんなでほこりをかぶりながら・・・静かに、めいっぱいアンテナを開いているようで、見ていて私も感動してしまいました。

 翌日私はブエノスアイレスに戻り、グスタボもお母さんや仲間と車でアルゼンチン北部を旅行するそうです。こちらにきてからずっと感じているのですが、自分の主観として旅をしているだけでなく、一緒に過ごす人たちの「ある夏」に立ち会っている、それがとてもうれしく思います。こちらの旅もあと3週間、ゆっくり楽しんでまいります!










2011年2月18日 ”Bs.As. ビギナー”


            フロリダ通り

 ブエノスアイレスに戻って10日ほどになりました。前半の1ヶ月が思っていた以上に怒濤の日々だったので、今は少しのんびり過ごしています。実は今回の旅行を当初「南米」としたのはアルゼンチンだけでなく他の国に行く可能性があったからで、これから日帰りや3日間くらいの国内旅行も含めあれこれ考えていたのですが、いざ長期滞在の宿をとって来てみたら、予算の面以上になんだかここで落ち着いてしまいました・・・。

 これまでブエノスアイレスにはあまり滞在したことがなかったので(2004年の時の最後と今回の最初に3泊ずつ)、まだまだビギナーです。ただ10日も歩いて周ると少し街の様子も分かってきて、とにかく歩きながら、聴きたいライブに行く、会いたい人にあう、そしておいしいものを探す、外ではこの3点をメインに過ごしています。まずはこれまでに感じた市内の様子から。

 市内交通

 ブエノスアイレス市内はほとんどの通りが碁盤目になっていて全ての通りに名前がついており、車も大通りをのぞいて1つおきに一方通行なので慣れると分かりやすいです。ただし一区画150メートルくらいあるので全部歩きだと大変です。市内の主な交通手段はコレクティーボ(市バス)、地下鉄、タクシー、レミース(ハイヤー)。レミースだけだんとつに高いですが、大きな荷物を持っての移動、最初に教えてもらったのですが特に空港往復は日本人ならできるだけレミースの方が安全です。タクシー利用は土地勘がないと見られてわざと遠回りされたり、ひどい場合タクシー強盗という可能性もあるので軽装の場合に限ります。

 コレクティーボは初乗り1.2ペソ(27円?)と超激安。長距離を走る路線もあるので、最初にだいたいの行き先か金額を自己申告して支払います。ただし両替機はなく硬貨を大量に持ってないといけないので、うっかり小銭を持ってない時に乗ったときはあせりました。幸い運転手が「もうタダでいいから!」。その様子を見ていたおじいちゃんが両替してくれたので助かりました。

 元・丸ノ内線が走るSubte B線

 最も古いA線、車両は現役最古?

 地下鉄(Subte)も一回の乗車で一律1.1ペソ(24円)と安いのでどの路線もいつも混んでいます。Subte B線は昔の丸ノ内線、C線ほかには昔の名古屋の地下鉄の電車が走ってます。このへん書いているときりがないのでwikipediaなどをご参照ください。安いのは単にインフレに対応してないからでしょうか・・・

 街歩きの印象

 最近治安がまたわるくなったという話をずっと聞いていて、いつも油断はできないのですが、いくつかの点を気をつけて(定番ですが移動は軽装、路上で財布や地図を広げない、知らない人についていかない、歩きなら行きと帰りは別ルートにする、道に迷っても慣れた道を歩いてるフリをする? etc...)、男性と女性でもかなり違うとはいえ、今のところ一応大丈夫です。ただこの文章を書いた前日にもすぐ近所の宝石店に泥棒が入ったみたいなので、決して安全ではないようです・・・

 経済的な問題はもちろん日本の比ではありません。平日の銀行にはいつも長蛇の列、高速道路周辺や鉄道駅とバスターミナルがあるレティーロ駅のすぐ隣には大きなビジャ(スラム)があって生で見るとかなり衝撃を受けます。切符の窓口には小さい女の子が張りついておつりを求められますし、地下鉄やレストランにもいろいろな売り子が登場します。

 特に目立つのはゴミ漁り。ゴミが集まる夕方から夜回収される前の時間帯にかけて、裏通りでは若者集団や子連れの母親などがゴミ袋の中から価値のありそうな資材、金属などを持ち出しています。日本のような細かすぎる分別システムがないせいか、終わった後は袋から出したごみがそのまま散らかしっぱなし。夜に出先から帰るとあまりの散らかりっぷりに何の事件があったかと最初はびっくりしました。

 さすがに黒いものもいろいろ見えてきますが、最近の東京で感じる焦燥感よりも、いろんなことが一巡して慢性的な状態が続いているという感じで、変な表現ですが混乱の状態ではないようです。物価もかなり高いので数日いるだけならブエノスアイレスはとても滞在しづらい街かもしれませんが、ポルテーニョ(地元民)だけでなくアルゼンチン各地、そして中南米各国から集まる人のエネルギーはものすごいです。これから友達が増えたらまたきっと景色は大きく変わってくるでしょう。

 食事のおはなし 2011

 こんな話の後でなんですが食事のおはなし。アルゼンチンでの外食は基本的には「高い」です。日本でのチェーン系デフレ外食(つまりいつも食べている場所)を基準にすると余計そう感じるのですが、ランチでお腹いっぱい食べようとすると大衆レストランでも35ペソ(750円)くらい、うっかりするとすぐ1500円くらいいってしまいます。日本ではどんなお店でも水やお茶が無料というのがいかにすごいことか、改めて気づかされます。それでも、今の円高とペソ安(1ドル=4ペソ)なので2011年2月時点で実質1ペソ21-22円、日本から見るとかなり安くなっていると思うので助かりました。


 ボリュームもいろいろです。例えばガイドブックに載っていたり、テーブルクロスとワイングラスがセッティングされているお店はステーキで300~400gくらい、付け合わせのポテトやサラダの量もかなりなので、1品食べきるのが精いっぱい。ただ地元のサラリーマンが一人で入っている雰囲気のレストラン、朝から喫茶店としても営業しているお店は料金も手頃で食べきりサイズなので安心して入れます。あまり説得力がないかもしれませんが、確かに30代になると食べられる量はかなり減りました・・・

 定番料理は牛肉と鶏肉で、そのまま焼いたものか、カツ(ミラネサ)、パスタとピザです。個人的にはシンプルな料理方法と味付けがおいしいと思いました。ボリューム対価格では、「Horno(オーブン)」「grillado(グリル)」「Asado」と書いてあるものはサイズが大きめと思っていいと思います。アサドを専門にしている店だとメニューが「部位」別なので選ぶのがちょっと大変ですが、家庭でのアサドでも最もポピュラーな「Asado de tira(厚切りの骨付きカルビ)」は間違いないです。これまでいろいろなお店で試しています。


 Milanesa


 1/2 Asado de tira(1人用なので1/2表示)

 ブエノスアイレスには各国料理のお店もあって、スペイン料理が一番多く、中華は「Tenedor libre」というビュッフェ形式のお店が人気。メニューにかなり差はありますが・・・肉と野菜の炒め物、焼きそばなどがおいしいです。帰国まであと2週間となった段階で日本食で気合いを入れます。日本料理店はセントロから6kmほど離れたパレルモ地区に多いそうで、中心部では残念ながら閉店してしまったお店が多いようです。セントロで活気があったのが「irifune」。日本食はきっと高級の部類に入りますが、ランチの時間帯はビジネスマンでにぎわっていました。主菜はサーモンで、セットの寿司盛り合わせはかなりのサーモン率。刺身はとてもおいしかったです。


 「irifune」のサーモン


 アルゼンチン最初のブログでも書きましたが宿や喫茶店などではWi-fi(無線LAN)が使えるのでノートパソコンが本当に助かります。3月以降のスケジュール調整もばっちりできて、おかげさまのしわよせでこの時点で3~4月がライブづくしになってしまいました。半分はそれを見越しての準備と、あとはこちらでやっておきたいことをさせていただいてます。といっても、部屋で何も考えずに好きにギターで遊んでいるのがまた幸せだったりもします・・・今日までに6つのライブとコンサートを鑑賞、今週もあと3つのライブに行く予定なので、次のレポートで書きたいと思います。




ブエノスアイレス近郊のTigreの港(パラナ川河口~ラプラタ川付近)





2011年2月22日 ”Bs.As.ライブ鑑賞ざんまい(前)” 



 帰国まであと一週間となりました。夜はこのところすっかり聴くモードになっています。この2週間で一気に10のコンサートやライブを観に行きました。

2月9日(水)
- - Orquesta Tipica Fernandez Fierro (Teatro Maipo)


 9日はフェルナンデス・フィエロ楽団の10周年記念コンサート。なんと全員私服風Tシャツのタンゴ楽団。バンドネオンをめいっぱい広げ首を振りながら弾きまくる、かなり激しいアレンジでインパクトありました。歌の曲とインストが交互に登場、ボーカルのワルテル・“チノ”・ラボルデの存在感がまた鮮烈です。先月見た「PURO TANGO」とは良い意味で正反対、きっと伝統的なタンゴファンより現代アートパフォーマンスの世界で人気なんだと思いました。今回も鑑賞初日からやられてしまいました。

 ちょうど1月から2月にかけてブエノスアイレス市主催のイベント「La ciudad al aire libre」が開かれていて、1月は主にロックとポップス、2月はタンゴやフォルクローレを中心に開催されていました。しかも無料!だったのがうれしいです。

2月10日(木)
- - Sandra Mihanovich y Julia Zenko (Vuelta de Rocha)


 10日の夕方にはボカ地区カミニート前の特設会場でフリア・センコさんが歌うと知ってあわててタクシーに飛び乗り後半の40分だけ聴くことができました。1月に亡くなったアーティスト、マリア・エレナ・ワルシュの追悼企画として組まれた特別プログラムだそうで、サンドラ・ミアノビッチ&フリア・センコのドゥオでした。

 レパートリーはおそらくマリア・エレナ・ワルシュの書いた童謡で、聴いた時点では知らなかったのですが、とても親しみやすいメロディーで気がついたら一緒にハミングしていました。おばあちゃんたちまで一緒に歌っています。古い港で風がびゅーびゅー吹いているにも関わらずまったくぶれない美しさの2人のボーカルにまたやられてしまいました 。



      Homenaje a Maria Elema Walsh


      Julia Zenko

2月11日(金)
- - Duo Orellana-Lucca ~ Raul Barboza
2月13日(日)
- - Casiana Torres ~ Jaime Torres


 同じく市のイベントで、週末はプエルト・マデーロ地区の広場でのコンサート。港湾の埋め立て地らしくとにかく広いのでたどりつくのも大変です。金曜日にはラウル・バルボーサ、日曜の出演はハイメ・トーレスでした。それぞれの日のオープニング・アクトだったドゥオ・オレジャーナールッカ、カシアナ・トーレスもすばらしかったのですが、マエストロが登場すると老若男女が拍手かっさい。

 実は金曜日の方は当初ドゥオ・コプラナクの予定がキャンセルになったらしく急遽ラウル・バルボーサが出演することになったようです。最初からドライブ感あふれるチャマメのリズムでぐいぐい引っ張って行きます。あのキャリアにして超スピードの指さばきが圧倒的。全曲アコーディオンのインストでこれだけ魅了されてしまうのは本当にすごいです。若手のギター、ベースとのトリオでも一番若くみえる?くらいのオーラを放って感動のステージでした。


      Duo Orellana-Lucca


      Raul Barboza

 ハイメ・トーレスは完熟のチャランゴ。一挙手一投足に注目が集まります。音と音の間にこれだけの世界があったなんて。ダンサーやアフロペルーのミュージシャンをゲストに迎えて盛りだくさんのステージ。日本の古くからのファンにはおなじみの「風とケーナのロマンス」はアルゼンチン・フォルクローレのクラシック的楽曲。1つの歴史を見ているようで感激でした!


      Jaime Torres



2011年2月23日 ”Bs.As.ライブ鑑賞ざんまい(後)”


2月14日(月)
- - Tango show (Los 36 Billares)


 前の週は大きなステージを続けて観ましたが、この週は主にライブハウス通いをすることに。月曜日は以前から気になっていた宿近くのタンゴバー「Los 36 Billares」に行きました。バレンタインデーはもちろんアルゼンチンにもあり、その名も「El dia de los Enamorados」、恋人たちの日?・・・なんとストレートな。かなりハードル高いですね。しかし部屋でじっと過ぎるのを待つこともできず結局1人で店に入りました。海外に1ヶ月もいるとそれなりにチャレンジャーになれるもんです。

 Gisela&Chiei?


 編成はダンサー2人と歌手、そしてギタリスト。男性ダンサーと歌手がMCを進め演奏はギター1本のみという構成、こちらにとっては勉強になります。ニコラス・トローノのギターはタンゴの名曲をシンプルなアレンジで弾いています。それが発揮されるのは歌手のアレハンドロが歌いだした時。彼が本当に気持ちよく歌っているのはニコラスが絶妙なタイミングで刻んでいるからで、デミアン&シセラのダンスもギター1本で完璧、まいりました。ダンスはステージ上でなくフロアでのサロンスタイル、かなり至近距離まで来てくれました。

 バレンタインデーということで各テーブルにも「どこからいらっしゃいました?」とMCフリ。とうとう自分のところにも来たので「Tokio」と答えると「Tokio de Japon !?」一気に視線を浴びてしまいました・・・ただ小さなライブスペースのいいところはこういうコミュニケーション。お客で行った時に出演者と知り合うチャンスがあり、なぜメンバーの名前を知っているかというと、翌日全員とFacebookでつながったからです(笑)。


2月15日(火)
- - Chango Fariaz Gomez & Micaela Farias Gomez
2月17日(木)
- - Festejo del cumpleaños de Eduardo Lagos
2月18日(金)
- - Willy Gonzalez (jazz & pop)


 3日間同じライブハウス通い。行きたいライブがこんなに集中して観られてうれしいです。火曜日はChango Farias Gomezのライブを見に行きました。CD で何度も聴いているアーティストで、店のスケジュールを見てきました。娘のMicaela Farias Gomezと、若手のバンドと一緒の演奏。チャンゴの歌は一度聴いたら忘れられない存在感、ミカエラの声はとても透き通っていてまたすばらしいです。終演後チャンゴさんにごあいさつしたところ、「明日ラジオがあるから出てくれ」といきなりのお誘い。結局その話は流れてしまい残念でしたが・・・直接コンタクトがあると展開がとにかく早いです。



      Chango&Micaela Farias Gomez

 木曜日は実は誰の誕生日か分からず・・・とにかくたくさんの出演者がエントリーされていたので気になって来てみました。店のオーナーが最初のMCで何かの歴史を話し始めたので、最初オーナーのお誕生日だと思っていたのですが、(後日Daijitoさんから教えてもらって)映し出された昔の写真は2009年に亡くなったピアニストのエドゥアルド・ラゴス、そしてハイメ・トーレスの2ショットでした。生誕記念だったんですね。招待されたミュージシャンは多くがピアニストで、サンバをモチージにしたインプロだったり、思い切りジャズだったりと楽しいです。そして主賓でハイメ御大登場。こんなに間近でみられて幸せでした。しかしさすがマエストロ、終わると大拍手の中たくさんのファンにかこまれながら静かにすっとお店を出て行かれました。去り方もまた熟練の技です。



      Eduardo Lagos & Jaime Torres




 金曜は6弦ベーシストのウイリー・ゴンサレスが登場。今回アルゼンチンに来たらぜひ聴きたいと思っていたアーティストの1人です。新しいトリオでギターのカルロス・サンチェス、バンドネオンのクラウディオ・ガンドルフォとの3人。オリジナル曲とゲストボーカルを迎えてのカヴァー曲をおりまぜながら、あっという間のステージ堪能しました!ウイリーのベースはまるでギターのように2重奏、そしてチャカレーラまで普通にリズムを刻んでいてびっくり。この日ようやく気づきましたがギタリストだったんだ!新しいCDも販売していたのでさっそく購入。サインをしてもらいこちらからもCDをプレゼント。ライブハウスにいるとつい外交モードになってしまいますが幸せな夜でした。





      Willy Gonzalez

2月19日(土)
- - Jorge Gordillo (Peña a desalambrar)


 前の日曜日のハイメ・トーレスのコンサートの時に兄ちゃんたちがチラシをまいていて受け取ったら「ホルヘ・ゴルディージョ」と書いてあってびっくり。実はバイオリン奏者のホルヘ・ゴルディージョさんとはコスキンでフアンカたちと滞在したペンション(ドミトリー)で相部屋でした。ホルヘのバイオリンと部屋で遊んだこともありその後メールでもやりとりしていたのですが、これは行かなくては。ちなみにホルヘは以前ハイメ・トーレスのバンドメンバーでした。

 中心部から少し離れたフローレス地区へ。すでに予約がかなり入っていたみたいなのですが、たまたま前方に空いている席があってよかったです。中央に広いスペースがあり参加者が自由に踊れる状態になっています。最初にサンバの初心者ミニレッスンがあったのですが参加する勇気がなく見学。先生が「では音楽に合わせてみましょう」と音源がかかると、たどたどしく足を動かしてたはずのお父さんたちが急にハンカチをセクシーに振り舞い始めます。これぞアルゼンチン、この日は出ていかなくてよかったかも・・・

 だんだん「ペーニャ」らしくお客さんはどんどん踊りモードになっていきます。しばらく待っているとホルヘ登場。すぐ近くのテーブルだったのであいさつするといきなり「一緒にやろうよ!」「いえ今日は聴きに・・・」「いいから、ギターは僕のを弾いてくれ」その場でゲスト出演が決まってしまいました・・・

 ステージが始まるとさすがにバイオリンのキレが違います、チャカレーラで踊らせる踊らせる。しかもギターに持ち替えて歌まで、さすがです。こちらもチャカレーラは下手ながらも数曲踊りでフロアに出ました。

 10曲ほど進んだところで長MC。なんとなく来るかと思ったら本当にフリ、舞台上に呼ばれます。もちろん何を弾くかは決めてなかったのですが「コスキンで弾いた曲だよ」とそのままスタート。サンバの「La callejera」をホルヘのリードで1曲、お客さんからもう1曲!のリクエストがあり「ソロをやってくれ」とまたしても無茶ぶり・・・間はあけられないのでやるしかありません、きっとみんなですぐできる「Perfume de carnaval」でホルヘとコーラス。これもコスキンで現場力を身につけた成果?かもしれません。1ヶ月前の出会いとこの日の再会。この夜に共演できてとてもうれしかったです。


 Jorge Gordillo


2月20日(日)
- -“Señales De la Tierra”
- -“La Guardia Salamanquera”
(San Miguel)


 この週末はコスキンで出会った人との再会が続きます。フアンカ、ファビオの友人のダンサー、エステラと待ち合わせ。お兄さんの家に向かいます。「少し遠いのよ」とタクシーとバスを乗り継ぎ約1時間。バス停まで迎えに来てもらいました。

 エステラからお兄さん~オスカルの家族が音楽一家と聞いていたので楽しみにしていました。食事をごちそうになった後、先日オスカルの子どもたちの出演したバンドのビデオ鑑賞。人のビデオは楽しく観られても自分のはそうはいきません、キーボードとケーナ担当のソル(姉)、ドラム担当のカンデラリア(妹)はかなり恥ずかしそうにしてましたが、勢いのあるステージでとても楽しかったです。後で知ったのですが出演したフェスティバル会場には1万人(!)いたそうでしかもこの後チャケーニョ・パラベシーノが出演する日、きっと大変だったと思います。

 con “Señales De la Tierra”
 ビデオが終わったころ続々と友人が集まってきました。ギターのルベンとエルナン、ボーカルのルシアとセレステです。この日の夕方から出演するイベントがあるそうでリハ開始。こちらはすっかりカメラ担当になってます。なんとなく落ち着いたところでギター遊び。私もチャカレーラやサンバを歌っていましたが、これがまたしても伏線になったようです・・・

 みんなで移動して同じくブエノスアイレス近郊のサン・ミゲルに向かいます。広場ではすでにお祭りが開かれていてセッティング。平均年齢10代?のバンド「Señales de la tierra」はすでに完成されているので、さすがにこの日は飛び入り演奏はないと思い引き続きカメラ担当。立ち姿がすべて画になっていてうらやましいです。

 まず先にルベンとソルのドゥオからスタート。リハのときは静かにギターを弾きコーラスしてたルベンがソリストに変身。がんがん弾き歌い始めます。またこれぞアルゼンチン・・・ソルもケーナ、キーボードと持ち替えながらアシストしてとてもいい感じです。

 Ruben  Sol

 バンドが入ります。本来「セニャーレス~」はルシアとセレステの2トップだそうなのですが、この日はセレステが本番に出られずルシアがトップボーカル、ルベンがコーラスにまわりました。きっとみんな子どものころからシーズン中の野外会場での演奏経験は豊富。とてもいい雰囲気のステージでした。
 Candelaria
Lucia Hernan



 続いてオスカルたちのバンドが準備。オスカルはベーシストで、セッティング様子を撮っていると「4曲目あたりで呼ぶから」とまたしてもフリ。
 こちらはすっかり撮影モードだったので半分冗談と思いつつ一応腹づもりはしておきます。

 Oscar

 オスカルたちのバンドはさすがに手練れのメンバーぞろい。こちらに来てからいつも思うのですが、アルゼンチンの、特にチャカレーラを得意とするミュージシャンは野外での演奏を基本にしていると思うくらいエネルギーを発散してます。広場の奥まで届き、かつみんなを踊らせるそのパワーはすごいです。


 さて4曲が終わりました。オスカルがこちらをチラッと見て話し始めたので決心がつきました。ステージに入り紹介を受けます。落ち着いているつもりでしたが後で動画を見たらオスカルの話している間手を組んだりもんだりしててなんとも・・・昼間のビデオを観たソルとカンデラリアの気持ちになります。



 自分のギターは一応持って来ていたのですがセッティングする時間はないので借りて、これもきっとみんなでできる「Hermano Kakuy」(フアンカ作詞の曲でサンティアゴでは最もポピュラーなチャカレーラの1つ)からスタート。気がついたら心から楽しんでいました。これも1月の修行?のおかげです。

 またしても「もう1曲!」をもらったので昨日に続き「Perfume de carnaval」ここではいつ誰とでもできてしまうくらいの名曲です。すっかりゲスト扱い、主催者の方から記念品までいただいてしまいました。なんともすごい週末。今回の旅で出会う、再会する方たちの紹介力とフォロー力に助けてもらいっぱなしです。また最高のプレゼントをいただきました。



             con Familia Portillo




追記:”ラスト1週間”

 残り1週間となるとどうしてもカウントダウンしてしまいます。2ヶ月は長いような短いような微妙なラインです…でも思えば、これだけの期間をアルゼンチンで過ごせたことはとても貴重な時間だったと思います。

 最終的な予算も見えてきたのでCDなどおみやげもまとめ買い。部屋でレポートを書いていると、ちょうどオスカル一家が市内に出てきているという連絡をもらってこちらの宿で合流、街歩きしながら先日のフェリアの余韻にひたります。夜の風もだんだん涼しくなってきました。2月の終わりに合わせてこちらでの夏はもうすぐ終わるんですね。

 さらに、ブエノスアイレスに来ていた友人のTomokoさんから「タンゴ歌手のKaZZmaさんが来てる」という話を聞きました。KaZZmaさんとは以前東京でご一緒したことがありずっとごぶさたしていたのですが、なんと滞在期間がほぼ一緒、帰国日まで同じでした。こちらの宿で待ち合わせてさっそく帰国までのプランニング。空港までの足はレミースをシェアできることになりました。ボカ地区の劇場にタンゴのショーを見に行ったり、KaZZmaさんのギター探しに同行したり、さらに2人の方の連絡先を紹介いただいたり、おかげさまで急にイベントづくしになりました。


  中央がKaZZmaさん。 右の写真は、ギター選び中


 まず紹介いただいたのは理髪店のオーナーでもあるギタリストのウーゴ・リーバス。帰国2日前、髪もボサボサになってきたタイミングというのが幸運でした。お店におじゃましてスタッフの方に髪を切ってもらいながらお話してCD交換、そのCDがものすごかったです…もっと早く来ていたらきっとレッスン志願をしていたと思います。



 3日でアサド3回・・・

 そこから帰国まではなんとアサド3連ちゃん・・・髪を切ってさっぱりした夜、オスカルからアサドの招待をいただきました。宿まで迎えに来てもらって、車でお宅へ。ファミリーや友人も集まって肉を焼き、ギターを弾き歌います。アルゼンチンでこれまで出会った人は紹介してもらってあいさつした時点で「アミーゴ」に、家に招待してもらった時点で「ファミリア」のように接してくれます。お別れするのではなく、また「いつでもおいで」の言葉が本当にうれしかったです。
 翌日、今度はサンティアゴ滞在中に出会って連絡をとっていた歌手のマリア・デル・カルメンからアサドに招待いただきました。1月にレコーディングのため家族でサンティアゴに来ていて、フアンカとスタジオをたずねています。マリアにも宿に迎えに来てもらってしまいました。急に何人も宿に来るようになったのでフロントの兄ちゃんもきっとあやしい日本人と思ったことでしょう・・・
 Maria del Carmen


 地下鉄で最寄駅まで移動、そこからさらにタクシーで。暗くなるまで時間があり、また週末だったので近所の広場へ。カルナバル(カーニバル)が近いので、いろんな広場でイベントが開かれるようになっています。

 ご主人のマルティン特製のアサド。肉のボリュームがまたすごいです。友人のバンドネオン奏者のルベン・ゴメスも合流して、食事後はまたステージに。もともとアコーディオンを演奏していてバンドネオンを弾くようになったそうで、指が動く動く。帰国直前にまたすごいミュージシャンと出会ってしまいました・・・。
  Ruben Gomez
 谷口庄平さん

 帰国日の昼、KaZZmaさんから紹介いただいたもう1人の方と会うことができました。谷口庄平さん。1960年代にコスキン・フェスティバルに出演し、アルゼンチンに長年在住されている、もう伝説的な方です。実は以前にも他の方から何度も紹介をいただきコンタクトを試みていたのですが、ようやく念願かないました。午後にすぐ空港に移動できる準備をしてからタクシーを拾い、いきなりお宅におじゃまします。部屋に通していただきます。すると谷口さんいきなりギターを取り出し、ロサウラさんと歌ってくださいました。もう感激です・・・


        谷口庄平さん


        ロサウラ・シルベストレさん

 その後食事までご一緒することに。最終日の勢いってちょっと魔法がかかっているようです。谷口さんがこれまで経験したこと、最近日本に帰国した時の話、そして瀬賀さんのこと・・・とにかくお会いできたことが幸せでした。


 アサド(盛り合わせ)


 後記

 今回のレポートは私のブログで2011年1月と2月にかけて書いたものに少し加筆・修正して掲載したものです。当時まだまだ書きたいこともあり、帰国して落ち着いたらと思っていたところ、3月11日の大震災があり…結局何も書けずにそのままにしてしまいました。さらに自分の中でこの旅のことをある意味「冷凍保存」してしまっていたのですが、Facebookでアルゼンチンのたくさんの友人からお見舞いのメッセージをいただいて、仙台の「ロス・ミドラス」とも連絡がとれて、KaZZmaさんとも東京でライブをご一緒することができて、そしてこうしてレポートをアーカイブして・・・自分の中からようやく解凍することができたような気がします。そしてこの年を乗り切ることができたのはこの2ヶ月があったからだと思いました。2011年の初めにこんなすばらしい旅ができたことにあらためて感謝・・・また再会できる日を心待ちにしています!
(2012.1.6)


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