2002年 秋冬編


 レポート0  「夜明け前?」


 2002.9.24 (火) --- Japon

 2002年10月1日、僕はスペインに発つことになりました。
この「旅」の具体的な期間は決めていません。また、「旅」の間にはスペインだけでなく、自分の愛する音楽の地を周ることもあるでしょう。
 実は2000年9月に正味10日ほどスペインを訪れ、南部のアンダルシア地方をぐるっと旅行したことがあるのですが、今回は、自分のギター演奏者としての将来を見据えるための旅になるでしょう。海外に長期にわたって滞在をするのは子どものころからの夢でしたが、それが音楽を志す者の半ば現実的な課題として自分の前に現れ、実現するというのは、嬉しく思うのと同時に、とても不思議な感じがします。
 ところで、2000年の夏から秋にかけて、僕は木下尊惇さんとともに、ロス・トレス・アミーゴスやフェルナンド・トリ-コさんといった南米出身の音楽家と演奏する機会に恵まれました。僕は常々木下さんから、自分がボリビアに行った当時に受けた衝撃……「ものさしの違い」の話を聞いてきましたが、共演したときに僕自身もまた、彼らとの決定的な違いというものを強く感じたのです。それは「キャリアの差」という部分でも、ましてや「初演だから」でもない、それこそ「世界が違う」という感覚でした。物心つく前後から15年近くフォルクローレを演奏し、それなりにこの音楽を理解したつもりになっていた人間にとって、ショックな現実でした。アンヘル・ミランダさんと共演したときはこのことがもっと顕著に現れました。彼らの間に流れている「ノリ」というか、とにかく揺るぎない「何か」を目の当たりにして、どうしたらいいんだろう、と迷いました。
 よく外国の音楽、とりわけ地域色の強い音楽を演奏することについて、「日本人がなぜその音楽をやるのか」が非常に重いテーマとしてのしかかる、という話題がでます。もちろん、僕にとっても例外ではありません。クラシックやジャズ、ロックでは(昔はともかく)今はそういう話題はほとんど聞きませんが、市場でいわゆる「ワールド・ミュージック」に分類されている音楽には、実際、その地域だとか、その地方に生きる人々の姿がけっこう色濃く反映されている以上、現状では避けて通れない問題なのかもしれません。
 ただ、こうした音楽を演奏していることについて「好きになってしまったから」以上の説明をするのは難しいことだと思います。日本人だから日本の音楽をするという必然性はないでしょうし、僕はたまたまこういう音楽の環境に育ち、たまたまこういう音楽を好きになってしまった。幼いころから南米の音楽のレコードを浴びるように聴いてきましたし、父も母もギターを弾き、僕もいろいろな楽器を演奏しました。フラメンコに出会ってからはギターを中心に弾くようになり、好きなギタリストの演奏を何はともあれ模倣したりしていました。7月の新人公演では、初めて自分で作曲した曲を弾きましたが、その内容は、図らずも自分が今までやってきた音楽の要素がにじみ出たものだったような気がします。
 確かに、現地出身のミュージシャンとの共演は「違い」を思い知らされるものでした。しかし、最近僕はそうした「違い」は、自分にとって必ずしも全面的に悲観すべきことではないとも考えています。いろいろな種類の音楽に触れる機会があったのは、世界中の音楽情報が集まる現代の日本に生まれたからかも知れません。ですから、そのことにはとても感謝しています。このことをつきつめていけば、僕が「ここにいた」からこそできる音楽というのもあるのではないか、と感じるようになりました。自分が経験してきたこと、これから通っていく道に正直になった音楽を創る、それが自分の「音」の確立につながるのではないか、と。まだわずかですが、自分の作曲にそういった傾向が表れていることを願っています。そして、それを単なるひとりよがりで終わらせないためにも、一度外に出て、自分の目でいろいろ見て、体で味わってきたいと思います。

 素朴な「行きたい」という気持ちを何か形で表わそうとしたら、こんなに長い文章になってしまいました。ほんと、人間の感情って、面白いものですね。
 では、行ってきます!



 レポート1  「マドリッド1週間」

 2002.10.10 (木) --- Madrid

 マドリッド・バラハス空港に到着したのは夕方。前日の成田では台風にバッチリ遭遇してしまったが、幸い若干の遅れで出発することができた。国際線到着ロビーには外国人専門の白タク軍団がいるとの情報を得たので、隣の国内線ターミナルまで歩いてタクシーに。無事「オスタル・アルボル」に到着。
 「アルボル」は日本人の経営しているオスタルで、中西さん夫妻が温かく迎えてくれた。ちなみにオスタルとは、ほぼ独立した建物になっているホテルとは異なり、同じ建物の中に住居や他の施設がある宿泊施設、という意味のようだ。
 翌日からは、とりあえずの「慣らし」ということで市内の中心部を散策。泊まったところの周辺は古い町並みの残る旧市街で、「プエルタ・デル・ソル」や「プラサ・マヨール」からも近い。
 スペイン語の知識は前回来たときより上がっていると思ったのだが、いかんせん使っていなかったので、食事をするにも勇気を振り絞るような状態。時差ボケもあいまって、最初のうちはあまり食べられなかった。慣れるまでにやせてるかも。
 人が多いだけに、たくさんの大道芸人たちも集まっている。石像になりきったり、話術で人をひきつけたり、見ているだけで楽しい。音楽では、南米の音楽を演奏するストリート・ミュージシャンが多かった。マヨール通りでは、アルパで「パハロ・チョグイ」を弾くおじさんが。
 マドリッドは、思っていた以上に様々な人種の人々が往来する街だ。そして、表通りと裏通りを歩けば、その階層も様々であることを思い知らされた。デパートに行けばプラズマテレビもDVDもパソコンもある。しかし、それを生活の一部として活用できる人は、日本に比べればはるかに限られているのだろう。「物乞い」も多くいて、繁華街の片隅で、自ら障害のある四肢をアピールする女性たちの姿は、やはり僕の目にはショックだった。
 マドリッドの治安は、見た情報でも、聞いた情報でも、決して良くない。ただ、観光客への危害については、「最悪」だったという1999年、2000年以降はかなり減少しているとのこと。それが取り締まりの強化によるのか、観光客の学習の成果なのかは分からないが、身の危険が減るのはありがたい。マドリッドに来るのは初めてで、とにかく悪い情報ばかり聞いていたもので。中西さんによれば、現在日本ではその当時の情報が流れていて、若干のタイムラグがあるようだが、それでも日本人が狙われやすいということに変わりはない。
 すっかり観光気分になりつつ、いろいろ見て回ったが、特にプラド美術館は圧巻だった。宗教画が多く、キリスト教徒でない僕にも、その重さが強く印象に残った。絵の中に「生」と「死」が同居し、それが紙一重であることがあらわされている。この時代は「死」というものが非常に近い存在だったのだろう。今の僕にはまだ本当の価値が分からないが、十字架とパンと新生児が、いかに「生」というものに対する重要なメルクマールであるか、それがよく描かれていたように思う。
 どうしてもフラメンコを見たくなってしまったので、夜にはタブラオ「カサ・パタス」へ。客は英語圏の人が多かった。出演者は比較的若手が多く、好感のもてるいい雰囲気だった。音楽にまつわる場所にはこれからたくさん通ってみたいところだ。
 土曜はアランフェスとトレドへ、やや強行の日帰り旅行。マドリッド・アトーチャ駅から45分ほどでアランフェスに到着。駅から王宮までの並木道はとても静かで、インスピレーションをかきたてられる。また歩きたい道だ。王宮はとにかく壮観、の一言に尽きる。トレドは坂が多く、歩き通すのは本当に大変。だが、タホ川を渡り、街の中心部である山の上に登って見た風景は、疲れを忘れるほどに美しい。カテドラルのステンドグラスには感動。来てよかったー。
 さて、カテドラル前。どこかで聴いたような音色、どこかで見たようなあのヒゲ、と思ったら、なんと、おとといマドリッドで見たアルピスタが同じ曲を弾いていた。恐るべき確率。僕にはこういう「引き」が強いのか。何かの縁と思い、心ばかりを差しあげた。
 こんな感じであっという間に1週間が過ぎた。マドリッドは大都会だ。エネルギーにあふれている。ただ、良くも悪くも緊張感のある街だ。今の1人旅の僕にはややとっつきにくいのかもしれない。それは単に自分のコミュニケーション能力の問題かもしれないが、もう少し時間をかけて、出会いを重ねていけば、いろんな可能性がある、と思える街だ。



 レポート2  「食事のおはなし」

 2002.10.19 (土) --- Sevilla

 これまでマドリッドとコルドバに1週間ずつ滞在し、コルドバにいる間にはまたも強行でグラナダに日帰りで行ってみたりしたが、そろそろ落ち着きたくなってきた。他の場所にも行く予定はあるが、今のところ、ここセビージャあたりを拠点にしたいと考えている。
 この半月だけでもいろいろあったが、今回は一番苦労した(?)食事について書いてみようと思う。まだ自炊等はしていないので、全ての食事を外でしなければならないのだが、幸いここでの食事で僕が食べられないものはなく、薬の出番もない。いきなりそう書いてしまうと、「苦労なんてない」なんてことにもなるかもしれないが、むしろこれは、彼らの食生活や食事をする環境の中においての自分の「食事のおはなし」、ということで。たとえどんな目的があろうとも、まずは「腹が減っては~」ですよね。
 ところでイベリア半島の朝は遅い。10月の最終週までサマータイム適用で時計が1時間進められているため、余計にそう感じる。午前8時を過ぎてようやく明るくなる。ちなみに緯度は東京から札幌にかけてと同じくらいなので昼間の長さの推移も同じ。よって今は暗くなるのも午後8時前くらい。だからレストランで食べるとすれば昼は午後1時、夜は午後9時以降にならないと開いてくれない。最初のうちは緊張もあってか、スペイン人の食事の時間と自分のお腹がすくタイミングがどうも合わなかったが、「無理に合わせることもない」と思うようになれれば気は楽だ。そもそもよく見れば、いつ何時でも、必ずどこかで食べている人がいる。もちろん昼酒は普通。朝コーヒーを飲んでいる傍らでもうビールをひっかけているおじさんの姿も珍しくはない。
 朝食は「desayuno=断食あけ?」といえども軽く、コーヒーとチュロス(シナモンつきではない)などですませることが多いようだ。しっかり食べたい場合はボカディージョ(サンドイッチ)で。スペインでは昼食がもっとも重要なので、どこのレストランでも「menu del dia」(本日のランチ)と書かれた看板があり、バルなどでもいろいろなセットメニューが出されている。夜になると仕事や学校帰りの人でどこのバルも賑わっている。
 スペインでの外食は、言葉が通じたとしても、僕には少々敷居が高い。レストランの客は観光客(複数)かカップルがほとんどで、1人で入るのには日本同様、ちょっと勇気がいる。ファミレスにだって1人で行ったことはないのだから、そりゃ当然だ。バルやタベルナ(いわゆる居酒屋)となると、今度は地元の人たちで賑わっているので、外の人間、それも外国人である僕にとって、初めて行くときはかなり緊張する。いちいち日本と比較してもしょうがないが、「赤ちょうちん」の店の中でおじさんたちがワイワイやっているところに初めて飛び込むのに近い心境だ。なお家族連れや若者単独、というのはあまり見かけない。この場合は自分の家で食べることが多いのだろう。1人であることのさびしさは、スペインの方がはるかに大きいのかもしれない。「カップル文化」なんていう言葉を聞いたことがあるが、ここも例外ではないようだ。だがそれを承知で来たのだから、克服する努力をせねば。
 と、勇気を出して2回目に行ってみると、今度は全く世界が変わる。1回目は「怪しい東洋人が来た」という目で見られるが、翌日に行ったりするとカウンターの向こうから一斉に「!Hola!」と声をかけてくれる。僕が定位置につくより先に向こうから「ビールか?」と言ってきたり、前に注文したイワシの酢漬けを指して「これか?」と促してきたりと、至れり尽くせり。たまに皮肉が入っていたりすることもあるが、こうしたやりとりは楽しいものだ。他の客とも顔なじみになったりする。たまに定番の「金貸してくれ」にも会うけど。繰り返し行ってみることは、とても大きい。「出会い」というものは案外こういうところから積み上げられるものなのかな。
 コルドバでは行きつけの店ができた。昼に行くときはレストラン、夜はバル・スタイルですませた。ここの店はテーブルに紙のクロス、店の人も私服というスタイルなので気楽に食べられる。最後の昼は一番高い定食を注文。前回、コルドバの劇場でアントニオ・カナーレスの舞台を観た後で興奮していたせいか、ワイングラスを1つ割ってしまったので、弁コルドバ・ローマ橋からのグアダルキビル川償代わりのつもり。と、かなり安くしてくれた。おそらく常連ならでは、のありがたい対応だ。おまけに店を出るときに、「明日コルドバを発つ」と言ったら、店のおじさんが「今夜は来ないのか」と言ってくれた。その夜本当に行ってみたら、1杯おごってもらってしまった。
 さてお値段。レストランは「昼定食」で6ユーロから10ユーロ。現在1ユーロあたり118円~122円くらいだから決して安くはないが、お酒とコーヒーがつき、量は日本で食べる倍以上。バルならお酒1杯とタパス(料理の小皿盛り)1皿で1.5~3ユーロ。同じメニューをタパスでなくラシオン(1人前)で頼むと大変なことになる。なにぶん油が多いのでお腹いっぱいにするともたれそう。ここへきてようやく食事が楽しく感じられるようになってきた。ファミリーと出会って家で食べる機会があれば、また世界は変わるだろう。

  (写真は、コルドバ・ローマ橋からのグアダルキビル川)





 レポート3  「不思議な風の吹く島」

 2002.11.4 (月) --- Palma de Mallorca

 前回のレポートで「セビージャを拠点に」と書いたばかりだが、すでに状況が少し変わってしまった。こういう旅ではあまり「宣言」とかはしないほうがいいのかな。
 ここ2週間ほど、パルマ・デ・マヨルカに滞在している。マヨルカ島は地中海に浮かぶバレアレス諸島の中にあり、「楽園」と称されるほどに温暖な気候に恵まれている。バッグに突っ込んである僕の傘を見ておじさんが「これは何だ?」とわざわざ言ってくれるほど、よく晴れている。イベリア半島との位置関係ではバルセロナやバレンシアに近いため、カタルーニャ語らしき表記が多い。同じスペインといえども、一気に何百キロも飛んだのだから、これまでと雰囲気は全く違う。ただ、とにかく、ここから見える海の景色は本当に素晴らしい。
 ここではある日本人の女性がフラメンコの踊りを学んでいる。僕がスペインに行く際に日本で紹介してもらっていた人なので、一度会っておきたいと思ったのがここへ来た理由。彼女はマヨルカを「不思議な風が吹く島」と言っていたが、まさに僕もそう感じた。海岸での潮の香りもやわらかく、風があたっても顔が潮気でべたつくことがない。地中海の水質のせいかも知れないが、確かに、不思議な感覚だ。
ベンハミン・アビチュエラ さて、彼女とその先生の紹介で、パルマ在住のフラメンコギタリストに会うことができた。彼の名はベンハミン・アビチュエラ。あのファミリア・アビチュエラの一人で、ぺぺ・アビチュエラやファン・アビチュエラの甥にあたる人だ。すなわちケタマのいとこ。やっぱり一族の顔つきをしている。
 1人旅の状態が長かったが、一度こうした出会いがあると話はどんどん進む。早速翌日から氏のレッスンを受けることとなった。今はソレア(フラメンコの1形式)のフレーズを学んでいる。深淵から湧き上がってくるような音の世界はフラメンコギターのひとつの真骨頂。表現するのは本当に難しい。レッスンの後は息子のベンジャミンたちとギターやパーカッションで遊んだり。やっぱり音楽を通したコミュニケーションは僕にとって一番の喜びだ。いよいよこの旅は「本題」に入ってきたのかもしれない。
 昔の写真もたくさん見せてくれた。ベンハミンは長く日本で仕事をしていた人で、日本人のアーティストとの親交も深い。日本での写真には知っている人がたくさん写っていた。
エル・チャトとベンハミンの舞台+記念写真 最初のレッスンの日はたまたまベンハミンがライブハウスで弾く日だった。僕の泊まっているところが通り道だということで、なんと車で一緒に連れて行ってくれた。ライブハウスはジャズのプログラムが主だが、週に一度はフラメンコのステージがある。
 深夜0時スタート。歌とギターによるトラディショナル・スタイルのフラメンコ。感動してしまった。歌手のエル・チャトは何度も来日している日本通。歌の合間に僕に向かって「ちょっと待ってね」と日本語で声をかけてくれたり。踊りも抜群にうまい。ライブハウスやペーニャの良さはステージの合間に直接話ができること。僕のスペイン語でのやりとりはまだまだつたないが、お互い共通項があると、言葉がすらすら出てくる。好きなアーティストの話や、「新宿、渋谷、六本木、銀座、いいねえ」とか。来週も来ようかな。
 次の夜。カテドラル近くを散歩していたら、珍しく雨が降り出した。かなり強いのでバルに避難することに。なぜか「牛」が食べたくなってしまったので、以前に「RABO DE TORO(牛のテール煮込み)あります」と黒板に書いてあった店を思い出し、入ってみた。
 ここはフラメンコ好きの集まる店のようで、店員の兄ちゃんもカマロンやホセ・メルセーのCDに合わせて歌っている。すると他の客がそれに対抗してか、突然カンツォーネを合唱しだしたりして面白いバトルが展開されている。ちょっとうるさいけど。
 さらに偶然、ここで演奏しているギタリストに会うことができた。名はカルロス。とてもいいフラメンコを弾いている。彼の音にはいろいろなものが込められている。こういう演奏は、僕にとって「いい意味で」ショックだった。つい自分がギターを弾くことについてあれこれ考えカルロスてしまう。気持ちは前向きなはずなのに、何か変な恥ずかしさを覚える。
 ベンハミンの名を出したら、みんなよく知っていた。そう、ここにいる全員がアミーゴなのだ。またカルロスにとっては先生でもあった。バルにいた彼らは日本から来た僕にとても好意的に接してくれた。彼らは日本人とつきあった経験があるようで、全体的に良い印象を持っているようだが、それ以上に、僕と「いち音楽好き」としてつきあってくれることが嬉しい。特にカルロスとはすっかり仲良しになってしまった。彼は日本に来たことはないが、日本人の友達がたくさんいて、彼の使っているギターも日本製。「マヨルカにはフラメンコが少ないんだ」「カルロスがいるじゃない」「そうか、ありがとう」。さっきの一瞬の迷いは、いつの間にか消えていた。

(写真:上からベンハミン・アビチュエラ、ベンハミンとエル・チャト、みんなで記念写真、カルロス。)


 レポート4  「スペイン初舞台への道」  

 2002.11.18(月) --- Palma de Mallorca

 11月14日、僕はスペインでの初舞台を踏んだ。以前ベンハミンから「パルマ市内のレストランで今度弾くから一緒にやろう」と冗談交じりに誘われていたが、日が近くなって「衣装はあるか?」と聞いてきたことで、この話が現実であることをはっきりと悟った。ついにきたか。
 だが、荷物を最小限に抑えるため、衣装は持ってきていないし、少なくとも僕の手持ちの衣服で舞台に着て上がれそうなものはない。すると、ベンハミンが自分の衣装を出してくれるという。嬉しいが、明らかに彼と僕の体型は違う。着られるのかな、他に借りられる人がいないかな、と頭の中で探す。僕が「あっ」とニヤけると、ベンハミンも気づいたのか、一緒にニヤ~となる。「エル・チャトのなら着られる」と大爆笑。だがすぐに、ベンハミンが「彼は毎日同じのを着ている」と言った。まさか1枚しか持っていないわけではないだろうが、交渉しに行くことも含めて考えると、彼あるいは他の人から借りるのは得策ではないと思った。さらに、靴は「黒」でないとだめだという。確かに僕が今履いているのは茶色のいわゆる「ウォーキングシューズ」。内輪のパーティーならいいが、コンサートに使うのはきつい。ベンハミンの靴を履くのはまず無理だ。
 翌日、衣装が借りられないことを考え、上下と靴をあちこちで物色。全部そろえると100ユーロはかかりそうだ。僕はステージに上げるものにはお金をかけるべきだと思ってしまうたちなので、これも仕方がないか、と出費を覚悟。
 アパートに早めに行くと、ベンハミンは黒いシャツを出してきてくれた。着てみたら見事、上も下もぴったりだった。僕が以前より多少やせたせいもあるが、この背の違いでズボンもはける。これが意味することは……。でもとにかく良かった。ベンハミンに感謝。しかもこの衣装、なんとプレゼントしてくれた。ありがとう!
 続いて、靴の安い店に連れて行ってもらった。東洋人と西洋人の足の形は違うという話を聞いていたので不安だったが、「45」ではまった。先は2cm近く余裕があるが、幅がぴったりなので中でぐらぐらしない。たまにつまずくけれど。デザインもよし。値段も18ユーロですんだ。靴下も黒いものを買って衣装の準備はOK。
 14日に弾く店は「PUEBLO ESPAÑOL」という所だそうだ。地図で見るとでかでかと書いてある。どんなところかと下見に行くと、その名の通り「スペイン村」、スペインの名所がぎしっと固まっていて、カテドラルと黄金の塔とアルハンブラ宮殿が1つのフレームに見事に納まっている、いわゆるテーマパーク。ということはそこの見物客向けのステージということか。
 そして本題の練習。愛のロマンスとスペインの古いワルツのメドレーは問題ないが、グラナイーナがなかなか難しい。さらに練習したことのない曲をどんどん弾いてきて、こちらはやや混乱。録音して音はある程度覚えたが、どうやって合わせるかが問題。しかし、ギタリストを名乗っている以上、やることはやります。「色モノ」で終わらせる気はさらさらありません。
 当日一緒に演奏する踊り手とのリハーサルがあるというので、連れて行ってもらう。市内のあるお宅のガレージを借りていた。キコをリーダーとする4人のダンサーが到着。ベンハミンの妹のルイサが歌い、息子のベンジがカホン。女性ダンサーはみんなかなりの美人で、今風の雰囲気をかもし出している。僕はどこへ行っても目立つし不審に思われるが、今回も例外なく彼女たちの気を引いているようで、僕を怪訝な目でちらちら見ながらベンハミンとこそこそ、「あれ誰?」。さらに小指を立てながら「恋人はいるの?」などと話していた。
 そしていよいよ運命の日。「何を演奏するかは行ってから決める」というので、ぶっつけ本番を覚悟で、指だけは動くように準備。しかし今日はあいにくの雨、しかも風がかなり強い。そろって「スペイン村」へ向かうが、着いてみると誰もいない。そして演奏する場所にも誰一人いない。レストラン側とのやりとりも意味が分からないまま、とりあえず控え室へ。共演する2人のギタリスト、パコ、ラモンと握手。別に僕が「ぺぺ」というわけではありません。それにしても、本当に今日は演奏できるのだろうか。
 本番1時間前。相変わらず事情が分からないが、誰かに「今日は本当にあるのか」と聞く勇気もない。何か言われるのを待とうとだけ考えた。そもそも僕が参加することはベンハミンの一存によるもので、僕は今日のステージについて共演者からも客からも歓迎されていないかもしれない。だから、あえて細かい事情を聞かないことにしていた。
 と、ベンハミンから「着替えてギターを持ってこい」との指示が。レストランの前に椅子が並べられていて、ギター4人、踊り手4人、歌1人、パーカッション1人と配置につく。カメラが何台かあるので写真撮影かと思ったら、「ルンバを弾く」といきなり演奏が始まった。ベンハミンのリードで、どんどんテンションが上がっていく。すると、向こうからたくさんのお客が並んで「Hola!」と順番に入ってきた。従業員たちも全員でお出迎え。これはいったいどういうことか。でも今は客層のことを考えているヒマはないので、弾くことに集中。お客が途切れたところでテーマはブレリアになる。僕にもファルセータの出番を振ってくれた。そして再びルンバ。20分ほど弾き続けて、100人以上の客を迎えた。なお、レストランは1階と2階に分かれているようだ。ラモンと僕とパコ
 一度控え室に戻る。パコもラモンも「君のギターはとても良い」とほめてくれた。しばらく彼らと話をしていると、僕が『レポート0』で書いたテーマがパコの口から出た。「日本人はなぜフラメンコをやるんだ?」、皮肉ではなく、真面目に聞かれた。そういえば前にもベンジの友人から同じような質問をされている。「なんでこんな遠い国なのに」に始まる問いだ。ここで「日本人」という枠を意識したり、難しく考えたりすると、「音楽をやることとは~」のような領域に踏み込んでしまう。もちろんこれを考えるのはとても大事なことだが、ここでは、きわめてシンプルな答え方をした。正確に伝えられたかどうかわからないが、僕が言った内容は次の通り。
 「日本には世界中の音楽情報があります。フラメンコもその重要な1つです。たくさんのCD、ビデオがありますし、テレビにもインターネットにも。そして、たくさんのフラメンコのアーティストたちが直接日本にやってきます。例えば~(と10人ほど名前を挙げる)がそうです。それを見て、私たちが『(フラメンコを)弾きたい、踊りたい』と思うのはとても自然なことだと考えています。言語も文化も違う、でもその音楽に対する気持ちは同じだと思います」
 そう答えると、パコは一応納得してくれた。僕は、フラメンコが「外国人」に広く認知されている以上、とてもインターナショナルなものだと考えているし、将来、この音楽を発信する条件は必ずしも「スペイン」ではなくなるような気がする。すでにフラメンコの要素を用いた音楽はいろいろな場所で聴くし、そういう状況は決して不思議ではないと思う。
 さて、話を戻して、僕以外の人々が呼ばれて出て行った。彼らの演奏の後、ベンハミンとギターの2重奏をするという話だったので、しばし待つ。ようやく今日の事情が飲み込めてきた。メンバーは2階、1階と演奏して、そのあと1階でベンハミンと僕が弾く。「今日は『privado』なんだ」というベンハミンの言葉で、すべてが腑に落ちた。今日は予約制のパーティー、僕らはそのアトラクションとして呼ばれていたのだ。後で建物の前に大きなバスが何台も横づけされていたのを見たので、ツアー客の可能性が高い。なんとベンハミンも今日の状況を知らなかったというからすごい。これもスペイン流なのか、あるいは、芸人の世界の宿命なのか。
 1階でステージが始まった。僕もギターを持ってスタンバイ、テラスから様子を見る。レストランで食事をしながらなのでお客も好き勝手に出入りしているが、まずまずの好反応。終わるのを見計らって入り口へ向かう。2ステージをこなしてみんなかなり息が上がっている。送り出し、すこし間をおいてベンハミンと中に入る。入ってすぐのところに2人の椅子とマイクがセッティングされており、音をチェックする。お客が静かになることはなさそうなのでそのままスタート。「禁じられた遊び」のテーマからワルツ、ベンハミンの音もほとんど聴こえないので、弾き通すことだけを考えた。グラナイーナが終わると、ベンハミンは次から次へと、練習したのとは違う曲を弾き始めた。以前に「バルセロナ」で弾いていたものもあるので、メロディーはある程度把握しているが、ソロを想定してアレンジされた曲、加えて「リブレ(一定のテンポでは弾かない)」で弾いたりもするので、コードを合わせるだけでも至難の業。2重奏として成立しているかどうかもわからないコンディション、演奏中にも人が自分たちの前を通り過ぎる状況だったが、なんとかこなすことはできたように思う。振り返ると、演奏したのはファルーカ、アレグリアス、シギリージャ、最後にソレア。ギタリストとして参加できた喜び、「演奏する人」としての自分の未熟さ、「スペイン語をもっと勉強しなきゃ」という課題を強く感じた一夜だった。
 ギャラですか? それを直接もらったら大変なことになります。扱いは「旅行者」なもので。あるとすれば「現物支給」。今回はいただいたパルマ・デ・マヨルカの眺望衣装と前後の食事と飲み物で十分です。

(写真:上は、左からラモン、僕、パコ。左はパルマ・デ・マヨルカの眺望)












 レポート5  「ドキュメント 11.23」

 2002.11.25 (月) --- Palma de Mallorca

 僕はスペインに来てから、だいたい日常の出来事を記録しています。たまに日本語を書くのが面倒になることもあるのですが、「ホームシック予防」には日記は最適かもしれません(笑)。
 さて、この日記について、11月23日の日記は前回の「初舞台」同様、とても長いものとなりました。今回はこの日にあったできごとを紹介したいと思います。かなり細かいところまで記述したので、やや踏み込み過ぎた表現もあるかも知れませんが、どうぞご了承ください。

  *    *    *

 今朝はかなり早い。15日から、パルマ郊外にある大学で開かれている舞踊家「トマス・デ・マドリー」の講習に、ベンハミンをはじめとするギター伴奏陣の一員として参加しているのだが、今日はその4日目。先週はベンハミンの家から車で連れて行ってもらったが、少しでも睡眠時間を確保したかったので、この日はバスで行くことに。大学構内に乗り入れている「19番」のバス停に行くが、いつまでたってもバスが来ない。今日は土曜だから仕方がないか。と、同じ道を通る別のバスが来た。運転手に尋ねると「土日はない」「1本も?」「ああ、そうだ」……そりゃないよー。
トマス・デ・マドリー(右)と、つかまってしまった女の子 この講習、即ち「クルシージョ」、当初の予定は金曜の午後4時~8時、土曜の午前10時~1時と午後4時~7時。だが先週の土曜は午前9時から3時までと変更になっている。昨日ベンハミンに「明日は9時から?」「そうだ」と確認していた。もう15分前。「9番」のバスでも大学に行けるというが、どこにバス停があるか分からないし、間に合わないので仕方なくタクシーを拾う。思わぬ出費だったが、ドライバーと会話がはずんだので、これもありか。
 着いて見ると誰もいない。不安になってベンハミンに電話をする。こちらで買ったプリペイド式の携帯電話を持ち歩いているのだが、こういう時には本当に助かる。「今日は10時からだ」、そりゃないよー。待ちぼうけかい。でも入り口は開いたので中に入り、フロントで事情を説明すると練習場に入れてくれた。1時間、残響ありすぎのスタジオで気持ちよく練習。
 10時になるとみんなが到着。なんだ、全員知っていたのか。僕だけ「情報置いてきぼり」、ん? ということは、ベンハミンの「そうだ」は何だったのか? まあいいか。
 今夜、夜の9時からは「アイーダ・ゴメス舞踊団」による「サロメ」の公演がある。ベンハミンが連れて行ってくれると言ってくれていたのだが、今夜の都合を聞くと、夜の11時から演奏の仕事があるそうで、劇場に行くのは難しそうだ。ということは、自分たちでチケットを工面しなければ。念のため前もって劇場の「AUDITORIUM」に下見に行き、公演情報を手に入れておいたので、自分の電話から劇場に問い合わせるが、電話での予約は不可。午後4時に窓口が開くそうなので、クルシージョが終わったら直接行くしかない。左からファンホ、アレハンドロ、僕、ベンハミン
 ロリとアリシア(先日「スペイン村」で踊った)は朝早いのが面倒なのか今日も遅刻。アレハンドロ(ベンハミンの生徒で、最近はベンジと僕とトリオでよく行動する)は、いつもの通り落ち着きがない。どうやら2人のことが気になるのか。ベンハミンの携帯に彼女たちから電話が来ると、ベンジと2人、クルシージョそっちのけで上へ。ったく、美女がからむとお前らは。別にどうしたっていいけど、目の前で一生懸命踊っている女の子たちだっているんだからね。
 今日の午前中はひたすら弾いていた。同じくベンハミンの生徒で一緒にギターで参加しているファンホから、「ヒターノ・ハポネス」の称号をもらう。1時で一度食事休憩。トマスに後半の時間を聞くと「4時から」。そりゃないよー。まったく、コロコロ日程の変わるクルシージョだ。チケットを買うのはぎりぎりになってしまうようだ。
 家(日本)から電話があったので、外に出ながら話す。毎年11月23日は埼玉県加須市内で「アンデスのひびき」というイベントを行っていて、僕もここで小学生のころからよく演奏し、最近の10年ほどは毎回スタッフとしても参加してきた。今年も無事に終わったようだ。出演した「マルキチャイ」のみなさん、おつかれさまでした。
 と、周りの連中は僕が日本語を話していることに興味津々。横から「チョットマッテクダサイ、アリガト、サヨナラ」と茶々を入れてくる。どうやらみんなで今夜行く打ち合わせをしている。でもなぜか今夜の情報を一番知っているのは僕。電話を片手にメモっておいた時間とチケットの料金リストを教える。変なシチュエーション。
 ファンホの車でベンジとベンハミンの家へ。アパートの下にあるレストランで食事をする。ファンホは島の反対側に住んでいて、そこから毎週通っている。でもマヨルカ島は大きくないし道路網が充実しているので、1時間はかからないという。食事の後、ベンジはインターホンで母親(ベンハミンの妻)のエンリケータと話す。普通に息子とスペイン語で話しているのに、突然スピーカーの向こうから「チョットマッテ」と聞こえてくる。たぶんベンハミンの口癖なのだろう。家族にはもうすでに伝染しているようだ。
 大学へ戻り、4時からは講義。途中「ZYRYAB」というリュート奏者の話になったので、うっかり勝手にパコ・デ・ルシアの同タイトル曲を弾いてしまった。どうやら他の男たちのハイテンションぶりが感染ってしまったようだ。僕は他人に影響されやすいたちなので、自分に注意。
 踊りのおさらいをし、7時に終了。アレハンドロの車でロリとアリシアを家に送る。ベンジは後ろの席で「両手に花」状態で、もはや人格が変わっている。アリシアに抱きついたり、僕に向かって「チョット~マッテクダサ~イ」と歌いだしたり。かなりイライラするが、ここで怒ったり悔しがったりしたら負け。ただでさえ不利な状況、ここはあくまでエスプリの利いた「バランス感覚あふれる人間」を演出したい。おもむろにカメラを出し、舞い上がっているベンジを横目で狙いながらアリシアに抱きつくタイミングを見計らって、カシャッ。見事に決定的瞬間をとらえた。一瞬ベンジが凍る。「これはママに送る」「何~!」立場が逆転。1Rは僕の勝ち。
 ベンハミンの家に一度立ち寄って、コーヒーをいただく。8時を過ぎた。早く行かないと。でもベンジがなかなか部屋に入ったきり出てこない。しかも今日は他に行く人たちを含めて、運転手及びチケットの元締め担当はアレハンドロ。僕らが動かないとどうにもならない。どうやら服選びにもたついているようだ。はよせ。
 ようやく出てきたので劇場へと急ぐ。今日一緒に行くのは全部で7人。2人は直接劇場で合流、ロリとアリシアは迎えに行く。実は彼女たちの家のそばには劇場近くを通る「3番」のバス停がある。アレハンドロも「バスで来い」と言えばいいのに、健気な男だ、いや、これはむしろ見習うべきか?
 車内はかなりテンションがあがっていて危険な状態。割り込んできた車に怒鳴り、からもうとするアレハンドロをなだめる。「トラブルになったら最悪だ。もしあの車が劇場に行く車だったらどうする?」と、この旅で初めて友人を叱る。
 窓口へ走り、何とかチケットを購入。取って返し、2人を迎えに行く。8時40分。けっこう苦しくなってきた。おまけにガソリンの残量を警告する発信音が。52分、着替えた2人を拾い、劇場へ。9時を過ぎてしまった。劇場の前で待っている2人から催促の電話が入るが、もうどうしようもない。僕がチケットを持って待っていれば良かった。
 かなり車で振り回されてしまったのでちょっと気分が悪い。窓を開け、ドアの取っ手をつかみ、少しでもいいコンディションを保つ。後ろではまた3人がはしゃいでいる。今度は「チェチェチェチェチエイ~」(ねえねえねえねえ、ちえい~)と僕の名前で遊んでいる。ロリも「チェチェチェー、寒いよー、窓閉めてー」ときた。でも応戦する余裕はないのでひたすら沈黙。したがって2Rはストレート負け。
 なんとか劇場にたどり着くものの、駐車スペースがない。そうだ、今日は土曜日なんだ。付近を探すがどこもいっぱい。ちなみにここの基本は路上駐車で、駐車用の点線が引かれているスペースならOK。だからみんな縦列駐車はお手のもの。初心者マークがとれて間もない僕にはちょっと厳しいか。と、少し離れたところでようやく確保。急いで入り口へ。待っていた2人もちょっとムッとしていたが、さすがスペイン人(?)、彼女たちも時間の遅れには寛容だ。結局、開演時間を30分も過ぎてしまったが、中に入ることができた。
 アイーダ・ゴメス演じるサロメが、洗礼者ヨハネを誘惑するシーン。バックの音楽にはトマティートも参加しているが、残念ながらこの日は録音によるものだった。舞踊団の公演で、所属ではなく、ゲストのミュージシャンの生演奏というのは「地方」では難しいか。ただ、もし本当にトマティートの生演奏だったら、嬉しい分、遅れた悔しさは倍増していただろう。ここは少しでも前向きに考えることにしよう。
 舞台は本当に幻想的で美しかった。終盤、ヘロデ王の前でアイーダが踊りながら一枚ずつ服を脱いでいき、最後に全裸(!)になったときには大歓声。公演時間が1時間ちょっとと短かったのは残念だが(つまり40分くらいしか見られなかった)、カルロス・サウラによる演出は見事だし、今回の仕様に作られたトマティートの音楽も素晴らしかった。
 下に降り、しばしまったりとした気分でいると、知っている顔が。僕がここでしばしば顔を出している踊りのスタジオに通っている人たちだ。後ろからも続々。みんな見事にドレスアップしている。ちなみにこの日一緒に見に行った6人も、全員「勝負服」姿。
 日本でもそうだが、「劇場」に行くときはドレスアップしていくのが常識。僕もできるだけの格好をしようと、ベンハミンにもらった衣装用のズボンと新しい靴を履いていたのでギリギリのラインか。バッグはもう仕方がない。ジャケットを一枚くらい持って来たほうが良かったかも。今回の旅では、危険を極力回避するために、あまり高そうに見える服は持って来ていないし(実際あまり持っていないが)、時計は1980円で買ったもの、アクセサリーは一切身につけていない。だから、あとは立ち振る舞いでカバーするしかない。1人の時は他人の目を考えなければわりと平気だし、そもそも日本でも「劇場」に行くときはあまり服装に気を使ったことがないのだが、こうして友人たちが大勢いるとなんだか恥ずかしい。負け惜しみになってしまったが、服装のことで強烈な悔しさを覚えた瞬間だった。
 こういう「負」の感情もあったが、交流の内容はむしろ吉と出た。ロリとアリシア、アレハンドロは、僕がスタジオの女の子たちと次々にキスをしているのを見て驚きの表情。ちょっと打算的だが、少しでも精神的にいいコンディションにしたいので。
 とりあえずスタジオのみんなと別れ、車でまたまたロリとアリシアを送る。さすがにアレハンドロも疲れたのか、間違って自分の家の方へ向かってしまった。彼はパルマ近郊の「PALMA NOVA」という所に住んでいるのだが、その標識を見て気づいて「あちゃー」。
 僕もかなり回復したので、みんなとリラックスして会話。日本のアニメの話などをした。アレハンドロはよく知っていて、「ドラゴンボール」「ドラえもん」「AKIRA」など、いろいろなタイトルが飛び出した。こう来ると僕も強い。「宮崎アニメ」のタイトルにはみんな反応するし、「クレヨンしんちゃんの舞台は僕の家の近所だ」と自慢話へ展開。ロリとアリシアも僕を見る目つきが変わる。加えて僕がスタジオの女の子たちとやりとりをしていたのを見ているし、彼女たちの中では僕の「株価」が上がったのだろう。なお、車の中は全員22歳以下。男の価値は女で、女の価値は男で決まるという意識が強い人々なのかも。「瞬間の恋人たち」。左からベンジ、アリシア、ロリ、アレハンドロ
 アレハンドロを元気付けようと、別れ際に写真撮影。テーマは「瞬間の恋人たち」。男3人になってからは、フラメンコのクラブ「ヒラルディージョ」へ。ひとしきり会話をした後、ベンハミンが弾いているレストランに行こうと誘われる。まだ12時半なのでまだ十分間に合うのだが、僕はもう疲労こんぱい。体力的には問題ないはずなのだが、スペイン語の内容を少しでも聞き取ろうと神経を集中しているので、かなりストレスがかかっているようだ。「ごめん」、と失礼して今夜はここで部屋へ戻ることにした。さすがに11月も後半、落ち葉が風で吹かれて自分の顔におおいかぶさってくる。夜の冷え込みをかみしめつつ、今週はおしまい。

(写真上:トマス・デ・マドリーの講習/写真中:左からファンホ、アレハンドロ、僕、ベンハミン/写真下:「瞬間の恋人たち」。左からベンジ、アリシア、ロリ、アレハンドロ)





 レポート6  「食事のおはなし 2」

 2002.12.4 (水) --- Palma de Mallorca

 レポート6にして2度目の登場。別に食いしんぼうってわけじゃ……否定はしません。ピアニスト久保田修さん
 セビージャでは、何度かライブでご一緒しているピアニストの久保田修氏とも合流して3日3晩飲み食いざんまい。パルマ・デ・マヨルカに来てからもいろいろな形で食べている。今の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないので、外で食べたり、スーパーや惣菜のお店で買ってきたりしている。また先週末にはベンハミンの家でお昼をごちそうになった。スペインの家族と一緒に食事をするのはここでぜひ叶えたかった夢の1つ。ついつい誰よりも多くいただいてしまった。
 2ヵ月もたつとメニューもけっこう覚えるし、食事の量やバランス、値段の調整にも慣れてきた。そこで今回は、自分でちょっと見たスペインの食事情と、僕が食べたり飲んだりしているものについていくつかご紹介したいと思う。
 「スペイン人はとにかく肉を食べる」というイメージが僕の中にはあったが食事のパターン1 「ベンハミンの家族&アレハンドロと」、確かに半分以上はあたっている。市場に行くと1頭、1羽単位でぶらさがっているし、野菜や果物も含めてキロ単位で買うのが一般的。よって値段も全て「キロあたり」で表示されている。
 逆に魚はけっこう高い。最初は肉が安いことに目がいきがちだったが、最近はむしろ魚の高さを強く感じている。あるカフェテリアで僕が日本人であることを知った主人が「タコは知っているか?」と聞いてきたことがあった。「ええ、刺身や寿司にして食べます。僕は酢ダコが好きです」「1人前いくらか?」「たぶん……」と値段を言ったが、こことそれほど変わらない値段を言ったせいか(本当に同じくらいなはず)、主人の表情が少し曇った。「それは安いじゃないか。ここから日本へたくさん輸出しているんだ、マグロもそうだ」。彼がややクレーム交じりに言っているのはすぐに分かった。なぜスペインで魚が高いのかはよく分からないが、理由のひとつには日本が大量に魚を輸入しているからかも知れない。業者にとっては良くても実際に料理を作って売る側にとってはたまったものではない。思わぬところでスペインの食文化に影響を与えているのか。ちょっと耳の痛い話だが、僕はその恩恵を受けてしまっている一人なので、返す言葉もなかった。
 気を取り直して、「スペイン人はお酒もよく飲む」というイメージもあったが、これも半分以食事のパターン2 「部屋でしみじみサッカー観戦」上正解。昼間から、いや朝からビールやワインを飲むのは日常だし、僕もそれに溶け込んでしまっている。かといって大量に飲むわけではない。タパスをつまみながら、カーニャと呼ばれるグラスビール(200CC以下だろう)をちびちびやる。
 ワインはどれを飲んでもはずれないし、マーケットで買うとより安く楽しめる。それこそ一本1.5ユーロから手に入るし、ラベルに「RESERVA(とっておき)」「CRIANZA(ちょっととっておき)」と書かれたものでも3~10ユーロほど。切り売りしてもらったハムやチーズと一緒に部屋でしみじみ、というパターンも悪くない。
 お酒は会話を楽しくしてくれるが、なぜか僕の周りにはお酒を飲む人が少ない。ベンハミンが飲むビールはノンアルコール、エル・チャトも「のバル「エル・サラオ」の人々どがつまるから」と積極的でない。カルロスにいたっては全くお酒を口にせず。ベンジやアレハンドロなど、他の友人たちは僕より年下が多いので、むしろコーラの方が好き。ぜいたくな悩みだが、一緒に酒が飲める友人も欲しくなったりして。
 カテドラルのそばの「PLAZA REINA」という広場から伸びる路地は僕のお気に入りスポット。いつもベンハミンやエル・チャトが演奏している「バルセロナ」や、カルロスと出会ったバル「EL SARAO」もこのエリアにある。「バルセロナ」の斜向かいにある「BAR DIA」はメニューも充実していて、おいしいタパスや、ステーキなどの「大物」も食べら「バル・ディア」店内れる。ここで「POLLO ASADO 1/2」を頼んだら、本当に鳥の丸焼きの半身が出てきた。またバレアレス諸島の郷土料理で僕のお気に入りの「TUMBET」は、炒めたナス、ジャガイモ、赤ピーマン、ズッキーニにトマトソースをかけてオーブンで焼いた、いかにも地中海らしい一品。
 時々、東京で外食するよりも高くついていることに気づくが、食費は節約したくないほうなので、まあいいか。あげくの果てには料理の本まで買って研究したりしている。まだ作るのは得意ではないけれど、いくつか挑戦してみたいメニューもある。そろそろラーメンやおにぎりも恋しくなってきたが、食に恵まれた生活を送ることができていると思う。
食事のパターン3 「バルでの食事…4種タパス盛り合わせ」(バル・ディアにて)

(写真上から: ピアニスト久保田修さん/食事のパターン1「ベンハミンの家族&アレハンドロと」/食事のパターン2「部屋でしみじみサッカー観戦」/バル「エル・サラオ」の人々/「バル・ディア」店内/食事のパターン3「バルでの食事…4種タパス盛り合わせ」…バル・ディアにて)






 レポート7  「勝手にテレビガイド」

 2002.12.12 (木) --- Palma de Mallorca

 僕は正直言って、テレビ人間です。とにかくよくテレビを見て育ったので、スペインに来てからも少なからずその習慣をひきずっています。そこで今回は、スペインで見ている番組について少し書いてみたいと思います。ただ、あまり内容をよく聞き取れていない部分があるので、間違った情報があったら後で少しずつ訂正していくのでご了承ください。

 スペインのテレビは国営放送(tve)が1と2チャンネル、3チャンネル(Antena3)以降が民放になっている。といっても国営と民放の放送内容について報道関係以外はそれほど大きな違いはなく、ドラマでのラブシーンや音楽番組に出てくる女性ダンサーへの下からのアングルの頻度はむしろ国営放送のほうが多かったりする。さすがスペイン。
 では、朝から順を追って見ていくことにしましょう(別に一日中見ているわけではありません)。朝はたいがいどの局でもニュース。最近のトップニュースは、11月にガリシア地方の沖合(スペイン北西部の大西洋岸)で起こったタンカーの座礁事故で、連日、流出した原油による被害や油の回収作業の様子が伝えられており、ボランティアや義援金を募集するCMやチャリティ企画の番組も放送されている。僕が最初に見た映像は海底からもくもくと原油が立ちのぼっている画だったので何かと思ったのだが、それは海底ではなく、沈んだタンカーの船体だった。
 こちらのテレビや新聞、また聞いた話やインターネットの日本語サイトなどで集めた情報をまとめると、11月13日にバハマ船籍のタンカー(1976年日本製)がガリシアの沖合で悪天候により座礁、付近を漂流した後、海岸から240kmのところで船体が真っ二つに折れて沈没、現在は完全に海底に沈んでおり、なお原油の流出が続いているという。このタンカーには7万7000トンの原油が積まれていたが、12月10日の段階で約2万3000トンが流出し、周辺海域はもとより、スペインの北西岸、約1000kmにわたって油が漂着、非常に深刻な事態となっている。もはや「さらに魚が高くなる」どころの騒ぎではない。環境や生態系へのダメージははかりしれず、被害はますます拡大するだろう。多くのボランティアらにより沿岸の清掃作業や海鳥などの救出が続いているが、完全に回復するまでには気の遠くなるような時間と労力がかかると思われる。行政の対応の遅れはいうまでもなく、事故の周辺にもいろいろな問題があるようだ。調べてもう少し詳しいことが分かったら、加えてレポートしたい。
 さて、この時間帯、週末はアニメを放送している。その日見たのは「クレヨンしんちゃん」。「げんこつ」のエフェクトなどは日本語のままだが、吹き替えはもちろんスペイン語。「しんのす~け」と「す」にアクセントがつき、「セニョリータマツザカ」はセクシーな声。
 CMになる。2年前に見たCMはとにかく商品とナレーション、というのが多かったが、今はドラマ仕立てのものや、映像技術を駆使したものも多くなっている。そして気になるのが、日本と同じく「消費者金融」関連のCMが非常に多いこと。「3000ユーロまでOK、今すぐお電話を」とうたっている企業を5社ほど確認。
 時間を進める。お昼前はいわゆる「ワイドショー」が多い。内容はご想像におまかせします。と、その間に料理番組が。「カルロス・アルギニャーノ」というシェフによる番組。これが面白い。歌を歌いながらごきげんで作る姿は見ているだけで楽しい。今日のレシピは「ローストビーフ」。クリスマス向けだろう。でかい肉のかたまりを鉄板においてオリーブオイルとワインをドボドボと注ぐ。ついでにどこから出したかワイングラスに注いで試飲。「ウ~ン」と至福の表情。「もうすこし入れましょう」と油とワインをそれぞれざっと200ccずつ追加。結局ワインはボトルの7割くらい注いでしまう。さらに、つけ合わせを作るのにフライパンを出す。油を敷くのかと思ったらオリーブオイルのボトルをそのままドボドボ注ぐ。フライパンに「自然に」広がってまんべんなく行き渡ったところでようやくストップ。恐るべし。決して「揚げ物」ではなく、「炒め物」です。さすがに使い終わった油を皿の上にあけたりはしなかったけど。とっておくのかな。捨てるのかな。なんか気になる。
 最後まで語り、歌い、できた料理の皿とともに上機嫌でドアの向こうに去っていくところで終了。そういえばこの人、前に日本の番組でも紹介されたことがあるかも。決して「どの家庭でもできる」ものではないと思うが、純粋に「エンターテインメント」として楽しめる。面白いので翌日もつけたら、カルロスは番組のタイトルも歌っていたことが判明。その日は「ハム(ハモン・セラーノ)をサンドしたマスのムニエル」。この日も油は昨日と同じ敷きかた。「レモンお願い!」と言うと、画面手前からレモンが2個飛んできてキャッチ。食材はもっと丁寧に扱いましょう、と言いたいところだが、まったくいやな感じがしない。楽しく見て終わる。
 シエスタ(2~4時すぎくらい)の時間は濃厚な「昼ドラ」。夕方のニュースをはさんで、7時以降はどの局でも視聴者参加のクイズ番組やトーク番組をやっている。日本にもある、成績の悪い人を1人ずつ落としていくやつのスペイン版も放送されている。トーク番組は話している内容は僕にはなかなか分かりづらいのだが、雰囲気が楽しいのでつい見てしまう。興味深いのは、だいたい平日は同じ番組を毎日放送しているということ。「EL DIARIO PATRICIA(Antena3)」というトーク番組がなんとなくお気に入りだが、ここでは毎日違ったテーマを扱っている。「男が得か女が得か?」「音信不通の人に会いたい」「結婚したい」「女王になりたい(?)」など。テーマ自体はびっくりするものではないが、登場する依頼人たちはみんないいキャラクター。
 夜。週に何度かはサッカーの放送があり、時には欧州チャンピオンズリーグの模様も放送される。僕はあまり積極的に見るほうではないが、いい試合が多いのでこれもつい見てしまう。レアル・マドリッド対ACミランなどの黄金カードも見られるし、今これを書いている間にもテレビではマンチェスターUの試合を放送中、髪をオールバックにしたベッカム様が映っている。ちなみに日本であった「トヨタカップ」も放送されており、優勝したR・マドリッドが帰国した際には空港がすごいことになっていたようだ。
 この時間帯には音楽番組がたくさん放送されている。僕がよく見るのは「OPERACION TRIUNFO(tve1)」と「UN PASO ADELANTE(Antena3)」。「OT」は、いわゆるオーディション番組に近い。「アカデミー」に入ってきた歌手デビュー志望の若者たちが音楽スタジオで稽古する様子が毎日放送されている。週に一度テレビ局のスタジオに出演。この時点で歌うのはだいたい有名曲のカバー。すでにスタジオのお客は彼らの成長物語を見ているので、応援がものすごい。ここで電話投票。一番得票の少ない人から1人ずつ脱落していき、最後に残った数人で順位をつける、というもの。ただし「脱落」といってもその後しょっちゅうスタジオに呼ばれているし、その後ほとんどみんなCDデビューしているので、一概に最後まで残った人が「勝者」といえないところが面白い。ここの「卒業生」であるダビ・ビスバルやチェノア、ブスタマンテなどは、すでに売れっ子の歌手になっている。
 「UPA」は、火曜日にはダンススクールで展開される物語がフィクションのドラマとして放送され、金曜日には出演者たちが実際にスタジオでパフォーマンスをする。みんな踊りも歌もすごい。ゲストのミュージシャンたちもおそらく豪華メンバー。
 ところで最近、テレビで見て気に入った歌手や友人に薦められたCDを何枚か買って聞いたりしているのだが、ここで少し思ったのは、「ポップス」に関しては、スペインと他の国との間にあまり「境界線」を感じない。アメリカンポップスも人気があるようだが、特にスペイン語圏の中南米とはある意味「自由に行き来している」という印象を受ける。例えばメキシコ出身のパウリーナ・ルビオやコロンビア出身のシャキーラはスペインでも人気が非常に高い。CDの店に行ってもスペインの歌手の最新盤と並んで置いてあるし、最初彼女たちをスペインの歌手だと思ったほど。USA経由なのかもしれないが、まったく違和感がない。反対に、独特の雰囲気で今年ヒットしたスペインの3人組「ラス・ケチャップス」は南米でも人気だとか。日本のサイトで確認したところでは南米8カ国のチャートで1位になったらしい。やはり言語が同じ、というのはとても大きな要素だと思う。様々なポップスのCD
 また、キューバのサルサなどはスペインにも定着しているようで、街でもいろいろな場所で聴こえてくる。ある番組ではバンドがフラメンコとのフュージョンで演奏していた。フラメンコについても、ケタマやホセ・メルセ、ニーニャ・パストーリなどはポップス中心の音楽番組にいたって自然に出演しているし、いろいろな音楽どうしの「クロスオーバー」も1つのスタンダードな流れになっているのかもしれない。これはまだ「イメージ」の段階なのでうまく説明できないが、「ラテン」の中にある、人と人のフレンドリーさがそのまま音楽のつながりにも表れているような、そんな気がする。
 おっと、あまりテレビを見すぎると目に良くないのでこのへんで。最近はにんじんも食べていないし、控えめにしましょう。

(写真:様々なポップスのCD)


 レポート8  「12月31日通り」

 2002.12.27 (金) --- Palma de Mallorca

 パルマ・デ・マヨルカ。はじめは10日ほどの滞在予定。が、レポート3以降ですでに書いてきたように、こちらでの「出会いを呼ぶ出会い」に繰り返し恵まれ、気がついたらもう2ヵ月を超えていた。でも、そもそもこの「旅」の基本コンセプトは「計画的無計画」なので、ある意味、とっても予定通りに進んでいるのかもしれない。ただし、ここでは少しずつ滞在延長をしてきたので、ホテル暮らし・オスタル暮らしという状態が続いてしまった。出費がかさむ。こんなことなら早くアパートなりピソなり借りておけばよかった、と後悔しそうになるのだが、そんなことには代えられないものが、その暮らしにはある。12月31日通り
 さて、パルマで僕が一番長く滞在しているのは「31 DICIEMBRE」という南北500メートルほどの通り、すなわち「12月31日通り」。ビザを取得していなかった僕にとっては、とりあえずのスペインでの滞在期限を示しているかのようで面白い。僕のパルマでの行動範囲は全てこの「31 DICIEMBRE」が軸になってきた。生活に必要なことや、この街で起こるイベントの多くはこの通りとその周辺、またはその延長線上にある。ベンハミンの家に行くにも、この道からずっと北へ進んで一本入れば着けるし、中心地の1つ「プラサ・マジョール」も、とにかく南にまっすぐいけばOK。そのまま進めば「エル・サラオ」や「バルセロナ」「ディア」のある「レイナ広場」までたどりつけてしまう。そのほかにも、3回以内の右左折で全てが済んでしまうというこの上ない便利さ。ちょっと、今回はこの通りを歩いて見ることにしましょう。プラサ・マジョール
 通りの南側、入り口付近には理髪店(床屋)がある。かなり髪も伸びてきたので切っておこうか、と入ると、内装も切る手順も全く同じ。つっこんで書けば日本のほうが同じ。こちらは東洋人だから向こうはやりにくいかな、と思ったが、意外とすんなりやってくれた。さっぱりして終了。続いて通りを入っていくと、「TINTORERIA」がある。直訳は「染め物屋」だが、これはクリーニング屋。僕は最初のうちは自分で洗濯をしていたが、全てを手作業でやるのはけっこう重労働。加えて一度爪も割ってしまったので、「ギタリストだからいいや」と勝手に免罪符を貼って、ここによく出している。まとめてキロ単位で洗ってくれるので、下着も安心して出せる。
 その反対側には「CAFE D’or」がある。新しそうに見えるが、創業は古く、僕がいつも行く午前中は若い2人の兄ちゃん、ロベルトカルロスとヨハンが担当している。2人ともチリ出身、そしてフォルクローレ好き。彼らとのエピソードについては、また紹介したい。
 さらに進むと、「CERVEZERIA(ビールを主に飲ませる店)」が。スペイン中北西部のレオンカフェ・ドールの新しい東洋人マスター?地方の料理が多く、定食もおいしいが、何といっても「COCIDO LEONES」という豚バラの煮込み料理が絶品。またスープを飲んだときには「ラーメン渇望症」が一気に治ってしまった。
 北のはずれあたりに、僕の宿泊地「コロン」がある。ここにはある名物おじさんがいる。その名はマノロ。過去にはさまざまな経歴を持っていて、その顔つきにはいろいろな年輪を感じる。ちなみに彼に見せてもらう写真は全て動物か美女と一緒。ただし、この動物は犬猫ではありません。同じ「ネコ科」でも、ライオンだったりします。他にもトラ、ピューマ、チンパンジー、ゾウなど。マノロは動物を飼育する仕事をしたり、カメラマン、俳優などもプロとしてやってきた。そして本人の話によると、今までに付き合った女性は数知れず。現在は5人目の妻との間に6歳の子がいるという。僕が「男の"プロ"だね」とからかうと「エ~ヘ~ヘ~」と、これまたいい表情をしてくれる。現在はフロントの仕事などをしていて、いつも午後2時くらいにマノロと、彼の紹介記事の数々なると下のサロンでサラダを作って食べている。僕もよく誘ってもらって一緒に食べたり。マノロは「自分にとって芸術に終わりはない。『子作り』はもう終わった」と豪快に笑う。
 ある日、昼間の用事を済ませて戻ると、サロンでマノロと若い女性の2人組が話している。「おお、偉大なギタリスタよ、一緒に食べよう、ギターを持ってきて弾いてくれ」とマノロ。女性2人は今晩の宿泊客。どうやら彼女たちをナンパしていたようだ。すでに外で食べた後だったが、せっかくだからと持ってきて弾く。
 別の日、部屋でギターの練習をしていると突然電話がかかる。「一緒に食べよう。ギターを持って降りて来い」。降りてみるとまた女性が。しかも今度は一人旅。どうやら女性の宿泊客を食事に誘うのは彼の「習性」らしい。さすが。僕も「なんかいいように使われているな」と思いつつ、まんざらでもない。

(写真上から: 12月31日通り/プラサ・マジョール/カフェ・ドールの新しい東洋人マスター?/
マノロと、彼の紹介記事の数々)

                                    (つづく)

 スペイン・レポート【2】 >>



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