2003年 春夏編


レポート9  「のりもの・移動週間


2003.4.7() --- Pont d’Inca

 前回のレポートから3ヶ月以上もあいてしまいました。日本にいる正月から3月までの間にも何か書いて載せようと思ったのですが、持ち前の怠惰な性格が威力を発揮しまして……。現在は、パルマ・デ・マヨルカ郊外の「ポン・ド・インカ」という街に部屋を借りて暮らしています(去年滞在したときの縁で部屋を貸してもらいました)。しばらくはここを拠点に、引き続き、旅や創作活動などをしたいと思います。
 このレポートは日記形式でお送りします。今回はスペインまでの道のりをほんの少しだけ長くしました。

●3月31日(月)Narita―Incheon―Paris

 朝のフライトでソウルへ飛ぶ。仁川で乗り継いでパリまで向かう。この世界情勢、しかも2便ともB‐747のジャンボなので空席が目立つかと思ったが、ソウルからの便はほぼ満席だった。
 空港のバス乗り場からはリヨン駅経由モンパルナス駅行きのシャトルバスに乗り、パリの夕暮れを見ながら走る。リヨン駅で降り、地図で覚えたルートで一気にホテルまで歩く。着いた日は疲れていると思うので、この日だけはホテルを予約しておいた。
 着くと「ミスターコバヤシ?」とフロントの人に声をかけられた。おお、予約を覚えていてくれたのか、と思ったら、どうも様子が変だ。どうやら、他の宿泊客の都合かホテル側の手違いで部屋がないらしい。急遽、近くの同系列のホテルへ回されることに。おい。
 タクシーで運んでもらうが、もちろんこれはホテル払いのはず。でもドライバーがそれを把握しているとは限らない。案の定、普通に請求された。事情を正確に説明できる自信はないのでレシートをもらい、一緒に中に行く。ホテル側の話はついていたので、タクシー代はバック。何とか部屋に入ることができた。
 何か外で食べようかと外に出るが、フランス語をほとんど知らないのでどうしよう。しかも高いし、実はそれほどお腹もすいていない。緊張しているのでほぐそうと、夜のセーヌ川沿いを散歩し、シャワーを浴び、寝ることに。

●4月1日(火)Paris―Montpellier

リヨン駅からTGVに乗る 朝、まだ暗いうちに起き、リヨン駅に行く。昨日のホテル移動には参ったが、幾分駅に近くなったのでありがたい面もある。モンペリエ行きのTGV(フランス新幹線)のチケットを買う。僕の付け焼き刃なフランス語が通じないと困るので、前もって調べておいた時刻をメモし、窓口に出す。無事、チケットを買えた。1kmあたりの換算ならAVE(スペイン新幹線)より安いかもしれない。カフェで朝食をとり、荷物を持って出発。
 TGVに乗るのは小学生のころからの夢だった。写真で見た当時はオレンジ色の車体が印象的だった。今では銀色と青色の車両だが、見た感じは昔と同じ。何割かはデュープレックスというオール2階建ての編成になっている。パリを中心にフランス各地、また国際列車としてロンドンやブリュッセル、ジュネーブなどにも網を広げるTGVだが、今回乗るのは南行き、リヨン経由の地中海線、ちなみに普通の1階建て。11時前に出発。
 春のうららかさを感じつつ、フランスの田舎をひたすら駆け抜ける。時速300kmを超えて走る分、日本の新幹線よりもかなり揺れが大きいが、3時間あまりでフランスをほぼ縦断してしまった。
 アヴィニオンからマルセイユ方面と別れて在来線に乗り入れ、モンペリエに到着。ここで宿をとることに。飛びこみだったので結構大変だったが6件目ぐらいでなんとか手を打てた。あまり荷物を持ってウロウロするのはよくない。次の宿は予約しておいたほうがいいだろう。
モンペリエのトラム フランスからスペインまでは飛行機のほうが早いし、パリからマドリッドやバルセロナ行きの夜行に乗るほうが安い。でも、今回はTGVに乗るというのと、もう1つ、どうしても乗りたいものがあった。ユーロトラムである。モンペリエは、トラムのある街のひとつで、トラムとは、言い換えれば新型の市電。足元まで窓という開放的空間で、カーブの際の「横G」以外は揺れもなく静かで、しかもバリアフリー。ドアが開くと車体からニョキっと板が出てきてホームとの隙間がほとんどなくなる。気の向くままに終点まで行き、戻ってくる。5分間隔で運転しているので待ちくたびれない。あまり人口が多いと難しいと思うけど、日本でもどこかでこういうシステム導入してくれないかなあ。それにしても、とても住みやすそうな街だ。うらやましい。

●4月2日(水)Montpellier―Barcelona

 またしても暗いうちに出る。モンペリエの駅からスペインに行く特急タルゴのチケットを買う。スペイン国内へ直接行くのは1日2本のこの国際列車しかないので、もう1本だと到着が夜になってしまう。これならバルセロナに着くのはお昼前。だが、ホテル、オスタル、ペンションと何軒か電話をしたものの、どこもいっぱい。今日も苦労しそうだ。
 7時半にモンペリエを出発。天気はよくないので地中海の夜明けを拝むことはできなかったが、このあたりに広がる塩田の中を走るのは気持ちがいい。右手にはかすかにピレネー山脈が。なお、この列車は電気機関車が客車を引っ張っている。3年前にも乗ったことがある車両と同型だ。
 ちょうど道程の半分あたりで国境を迎える。と、突然駅員と警官がドカドカと乗り込んできた。パスポートチェック。予想していたこととはいえ、やはり時期が時期だけに対応が厳しい。結局国境越えには30分以上かかった。
 ところで以前、2000年の旅行記で「鉄道鎖国」の話を書いた。スペインは線路の幅に独自の規格を持っていて、標準軌(1435mm)を採用するフランスよりも広い。スペインの在来線の軌道は1668mmもある。ちなみに日本の鉄道の多くが採用している1067mmに比べると1.5倍以上。そこで、タルゴなどの国際列車は車軸の幅を変えられる仕様になっている。軌道が変わる所で一度本線から出て、車軸の幅を変えるための特殊な建物をゆっくりと通過するとあら不思議、乗客を乗せたまま、スペインの線路に入っていってしまった。電車に窓から見てフランスとスペインでは明らかに違うその線路の幅を、同じ列車で走るという感覚はとても面白かった
 バルセロナに到着。サンツ駅で予約電話。安い順にかけていき、結構高くなってきたところでようやく2泊確保。無事に荷物を降ろし、早速外に出る。
 一番の繁華街であるランブラス通りを通り、そのまま港へ。ここから一度マヨルカに船で行き、部屋を借りて拠点に、と思ったのだが、調べたら、フェリーは1日1本で、しかも夜行。高速船は意外と高い。飛行機が1日10数便も飛ぶようになったからか、きっと便が減ってしまったのだろう。歩き疲れたので部屋に戻ったらそのまま夜まで寝てしまった。そのままさらに就寝。

●4月3日(木)Barcelona

サグラダ・ファミリアとグエル公園 朝起きて、改めて地図を見ると、サグラダ・ファミリアがすぐ近くにあることが判明。せっかくなので見に行く。どんなにメディアが進歩して、情報が入ってきても、見上げたり、においをかいだりするのは生で見ないとできないことだ。建築のことはあまり分からないが、ガウディが多くの人々を魅了する理由が少し分かる気がする。
 そこからは海と反対のほうに歩く。強い海風にあおられながら坂道を登り、グエル公園に到着。この公園は、もともとガウディによる田園都市構想でつくられたものだが、資金難で中断されてしまった。確かに、この空間が都市になるまでには膨大なコストがかかるだろう。それほどに、デザインが凝りに凝っている。たくさんの人が訪れていたが、こうした建造物はバルセロナという街にあって、とても象徴的なものでありながら、何か異質な感じがある、その美しさの中にもちょっと寂しさがあるように思えた。
 中心部に戻る。マノロとベンハミンの家に電話をかける。みんな元気そうだ。
 その後、カタラナ音楽堂に行ってイベントを確かめてみた。なんと、今はバルセロナ・ギターフェスティバルの最中だった。うっかりした。調べておくんだった。しかも、昨日の夜はトマティートのコンサートだった(4月上旬に日本で同じ公演がある)。ショック。半端に寝たのがいけなかった。確認しておけば……と嘆いてもしょうがない。ギターフェスティバルは6月ぐらいまでやっているようだ。クラシックの公演表も見て考える。この劇場で一度コンサートを見てみたかった。パコ・デ・ルシアを初めて映像で見たのは、たぶん第1回のギターフェスティバル、F.M.カニサレスとJ.M.バンデーラを率いてのトリオでやったのが、このカタラナ音楽堂だった。行ってみたい公演はメモしたので、近いうちに、必ず見よう。
 さて、週末の宿が見つからない。カタラナ・ショックもひきずっていたので、この際、一度マヨルカに行ってしまおうか。旅行代理店に駆け込んで、翌日の切符を手に入れた。結局、飛行機にした。

●4月4日(金)Barcelona―Palma de Mallorca―Pont d’Inca

 朝、目覚めて、下に下りる。飛行機の出発までしばらく時間があるのでしばらく散歩でもしようか。その前に、フロントで朝食を尋ねる。どうやら宿泊とは別料金。僕の時計は9時15分を指している。10時までだからOKかと思ったら「もう終わった」という。どうして? と時計を確認すると、なんと10時を回っていた。どうやら自分で知らず知らずのうちに時計を止めていたようだ。危ない危ない。ここで気づいてよかった。
 急に時間がなくなったので荷物を持ち、空港行きのバス停へ。お昼過ぎの便で一路マヨルカへ、わずか20分あまりのフライト。天気は快晴。空の青、水平線の白い光をはさんで、海の青。すごい景色だった。何か曲のイメージにしようと思ったが、どうしても頭の中では山下達郎がかかってしまっていた。映像と音楽の組み合わせは恐るべし。

(写真上から: リヨン駅からTGVに乗る/モンペリエのトラム/サグラダ・ファミリアとグエル公園)



レポート10  「カサ・アンダルシア」

2003.4.15() --- Palma de Mallorca

 パルマ市内から車で10分ほどの所に「Casa Andalucia」というレストランがある。畑の中に建てられ、街道からもちょっと入ったところにあるので、普通に道を通っているとまず分からない場所にある。週末のみの営業で、多くの客はグループでの予約客。だいたいいつもなんらかのパーティーが催されている。ここでは毎週土曜日にベンハミン・アビチュエラが弾いている。先週は久しぶりに僕も連れて行ってもらった。最初のうちは誰もが「何でこんなところに東洋人が?」という顔をしていたが、今では顔なじみも増えた。
 ここで働いているホルヘやベルナルドとも仲が良くなった。ちなみにこの2人は平日は警察署内のバルで働いている。前回、マヨルカを出る日にそこに呼んでもらったことがあるのだが、本当に警察の中にバルがあるのかと建物の前で疑っていたら、いきなり窓が開いて呼ばれてびっくりした。中に通してもらって一杯おごってもらい、ギターを持っていたので非番の警察官たちの前で弾いたりもした。気になるのは、当たり前のようにビールがおいてあること。何か起こったらみんな飲酒運転で出動するのかなあ。ノンアルコールなのだと思いたい。飲んでみて普通のビールだと感じたけど。
 さて、「カサ・アンダルシア」では、レストランのスペースの反対側に別室があって、そこで演奏が行われるときは客がその部屋に移動する。出入りは自由。ベンハミンによるソロと、部屋にいる人の中で歌える人が入れ替わり歌う、というスタイル。「初舞台」で一緒に弾いたパコや、ベンハミンのギターの生徒のアントニオなどもよくここで歌う。
 去年の秋に初めてここに来たときはアレハンドロも一緒だったのだが、この男、演奏がなかなか始まらないことに業を煮やしてか、勝手にベンハミンのギターを持ち出し引き始めた。だがどうもうまくいかず、「ああ」と言いながらしばらく弾いて、「チエイ、弾け」とバトンタッチ。こういう状況(ベンハミンのステージです)で弾くのはあまり本意ではないが、少しずつ入ってきたお客さんも拍手してくれてしまっているので、自分の曲を1曲演奏。かなりの反応をいただいた。と、この日に知り合ったばかりのミゲルが「4カポ」と言ってきた。おっ、僕のギターで歌ってくれるのかと高揚したまでは良かった。
 しかし、始めると彼の歌から正確な和音を導き出せない。知らない歌でも音の流れから移行できるだろうとタカをくくっていたのが甘かった。パコ(同じくこの日が初対面だった)が向こうから「レだ」、さらに後から入ってきたベンハミンが渋い顔をしながら手で「C」の形をしてみせたりと、こっちは冷や汗もので、なんとも間の悪い終わり方だった。歌の伴奏は本当に難しい。というか、逃げ出したかった。
 最初はこういう中途半端な「前座」をしたこともあったが、その後、ここでは何度か弾く機会に恵まれている。ステージの横で音響係をやっているとベンハミンが途中で僕を紹介してくれて、1曲弾いたりしている。一時帰国をはさんで久しぶりに訪れた先週も、ベンジにカホンを叩いてもらって「月下の門」(自作のブレリア)を演奏した。ベンジはもうこの曲を完璧に覚えてくれている。
 改めて、今の僕にとって、ギターを弾くという行為は一番重要なことだと思う。日本でももちろんそうだが、スペインに来てからの多くのつながりが、自分の演奏を通してできたり深まったりしたもの。多かれ少なかれ言葉のつたなさを演奏で補っているという部分もあるが、人に対して何らかの心の動きをもたらしているのはとても嬉しいことだし、同時に自分の原動力にもなる。少しでも多くの演奏の機会ができるように、まずは練習して、曲を書こう。とても単純なことだけど、何を考えようとも迷おうとも、いつも最後にはここにたどりつく。というよりも、また戻ってきちゃった。果たして前に進んでいるのかな。



レポート11   「食事のおはなし 3」


2003.4.29(火) --- Palma de Mallorca

 パルマ郊外に借りた部屋に住むようになってから3週間がたった。必要物資はとりあえずそろって、だいぶ落ち着いてきた。ただ、やっぱり一番大変なのは食事。スーパーでは食材が安い分、量がハンパじゃない。例えば野菜などは、2、3個自分で袋詰めできるところならいいが、そうでないところだと、例えばにんじん1パック12本とか、マッシュルーム24個とか。また、肉や魚を買う場合、冷凍で売っているところはあまりないので、その日の分を少しだけ買ったほうがいいのだが、日本のように小分けでないので、どうしても買い過ぎてしまう。仕方なく一度部屋の冷凍庫に入れることに。ゴミが出ないのはいいんだけどね。
 米やパスタはいろいろあるので、それは助かっている。ただ、米は日本のものとは明らかに違うし、たぶん日本と同じ炊き方ではおいしくないだろう。たまたま部屋にあったパエリア用の鍋で炊いてみる。やっぱり「ガンタン」(芯が残っている)状態になった。よく蒸らしてなんとか食べられるようになるが、白飯で食べると、どうしても日本のご飯の味を求めてしまうので、それこそパエリアやチャーハンなどにしたほうがよさそうだ。米の炊き方は要研究だ。
 マヨルカは地中海の中にあるので、魚はふんだんにあるし、味もいい。タラ系のメルルーサやバカラオをはじめとする白身魚は特に種類が豊富で、イカやタコもまるごと置いてある。肉に比べると確かに高いが、それでも日本の3割~半値くらいだと思う。その代わり、一切れでも300グラム前後はあるので単純に比較するのはたぶん無理です。
 さて、最近になって気づいたのだが、どこのスーパーや市場に行っても、マグロがなかなか見つからない。この間、バルセロナの「サン・ジュセップ市場」をのぞいたときにあったような気もするが、意識して見なかったので分からない。もちろん季節によって左右されるだろうし、あるいは朝一番で行かないと間に合わないのかもしれないが、日本を出る前に地元のスーパーで「スペイン産」のラベルがついたマグロをみたので、どこかにあるはず。カルロスがいつも弾いているバル「サラオ」にはマグロのメニューが多くあるので、料理を作っている人に聞いて見ると、「カルフール」で仕入れているという。カルフールといえば、フランス外資の大手スーパー。地元のスーパーでは難しいのか、いや、「エル・コルテ・イングレス(デパート)」にもなかったし、もともと手に入れるのが大変なのかもしれない。サラオでは、僕が聞いた後に他の客が同じ質問をしていた。
 翌日、とりあえずそのスーパーに行ってみた。アンコウやイセエビなど高価なものも含め、豊富な魚介類がそろっていたが、マグロは置いていなかった。インターネットで調べたところ、パルマ市内にカルフールは他に2店舗あることが分かったので、今度は港近くの店に行ってみる。ようやく見つかった。赤パルマの魚市場身にちょっと中トロがまじった切り身を買う。やや小ぶりのマグロ。「輪切り」のような状態でも置いてあるのでサイズがだいたい読める。大きなものはやはり輸出用=日本行き、なのかも。マグロの缶詰、すなわちツナ缶ならどこにでもあるが、生マグロは手に入れるのに苦労した。一切れ292グラム、さっそく持ち帰る。生で食べられそうなことを確認し、しょう油をつけて赤身とトロの部分をそれぞれ試食。スペインはクロマグロ(本マグロ)の蓄養で有名だが、色、味を考えるとミナミマグロ(インドマグロ)かもしれない。それにしても、ああ、うまい。でもこの味をインプットするとどうしても頭の中に白いご飯と味噌汁が……。あとは「ヅケ」にして、サラダに入れたりステーキにしたりしたが、ステーキはすなわち「照り焼き」なのでまた……。翌日、魚市場に早めに行って見ると、5店舗くらいにマグロが置いてあって大正解。ただ、他の魚のようにまるごと、というわけにはいかないようだ。今度は本マグロかな。もちろんメバチもビンチョウも好きですよ。
 マグロの話題はまた後にして、ハモン(スペイン生ハム)もよく買って食べている。生、といっても、本体はカビで覆われてよく熟成されているので、いぶしたような感じの食感もある。基本的には豚の後ろ足一本(よく見るとひづめもついてます)を使用するが、前足を用いた、やや小ぶりの「パレータ」もある。
 日本で輸入する生ハムというとイタリア産が主流で、スペインのものはなかなか見かけないのだが、スペインにおいてハモンはなくてはならない食材、といっても過言ではないと思う。いろんな種類とクラスがあるが、大きく分けると「ハモン・セラーノ」と「ハモン・イベリコ」の2つがある。これは豚の種類が異なり、「ハモン・セラーノ」よりも「ハモン・イベリコ」の方が数が少なく、値段も高い。どんぐりの実を食べて育ったイベリコ豚の中でも、いい状態のものには「ハモン・ベジョータ」、すなわち「どんぐりハム」の名がつく。さらにその「ベジョータ」の中で5つ星がつくようなブランド品、ハモン・ハブーゴ(ウエルバのハブーゴ村でできたもの)などがある。「ハブーゴ」は去年食べさせてもらって感動的においしかった一品、「ベジョータ」はスーパーでも何とか手に入る。興味を持ってしまうと高くても試してみたい、と考える傾向の強い僕はつい上のクラスから手を出してしまう。「べジョータ」などは100グラムを買って1200円くらいかかってしまうが、満足度は非常に高い
 前から思っていたのだが、日本人とマグロ、という関係とスペイン人とハモン、という関係はよく似ているような気がする、まず日本人はマグロが好き、スペイン人はハモンが好き、という定説がそれぞれある。安くはないし、毎日食べられるようなものではない。それでも、握り寿司の組み合わせにマグロが欠けることは決してないし、どこのバルに行ってもかならずハモンがおいてある。マグロは生のまま刺身や寿司にしてしょう油につけて味わう、ハモンは薄くスライスして舌の上に広げるようにして味わう、というそれぞれの食べ方以外の方法にあまり関心がない。たとえ他のメニューの倍の値段だろうとも違和感がない。マグロの赤身、トロの違いと、ハモン・セラーノとハモン・イベリコの違いは同じようにイメージできる。というように、共通項は多いと思う。
 こういうことを考えながら、今日もタマネギを切り、手についたニンニクのにおいがギターにつくのを心配し、カルロス・アルギニャーノ(レポート7に登場)の料理番組に触発されてオリーブオイルを多めに入れてしまうことにほのかな幸せと一抹の不安を感じつつ、いろいろやっております。

(写真: パルマの魚市場)



レポート12   「ビバ・アンダルシア 2003」

2003.5.13(火) --- Palma de Mallorca

 1週間ほど、アンダルシア地方に行ってきました。マヨルカでも何かとアンダルシアに関するものに縁がありますし、セビージャのフェリア(春祭り)がこの時期にあるので、それに合わせて行ってみようと思いました。3年前に初めて来た「海外」もこのアンダルシアでした。今回はその時の旅ともシンクロして、僕にとっては感慨深いものがあります。

●4月30日(水)―Palma-Malaga

 当初はバレンシアに船で行くか、セビージャに飛ぼうかと考えていたが、船だとかなりの時間がかかるし、セビージャはフェリアの影響で航空券の値段が倍以上に跳ね上がっている。前に利用したことのある代理店でいろいろ聞いて調べてもらったところ、アンダルシアではマラガへの便が安かった。夜の便で約5000円。東京―岡山くらいの距離と考えれば安い…かな。ただ、到着は深夜0時過ぎなので、マラガでは24時間開いているホテルをとったほうが無難。結局、ディスカウントのメリットはあまりなかったかも。

●5月1日(木)―Malaga-Algeciras-Cadiz

 マラガは僕にとって最初のスペインの街。2000年に訪れたときは緊張と時差ボケで朝のマラゲタ・ビーチを散歩した以外は何もできなかったことを覚えている。せっかくだから今回はゆっくりしたいものだ、と思ったのだが、セビージャのフェリアはあと3日で終わってしまうので、朝カフェを飲み、ビーチを散歩してすぐに出発。3年前とは逆周りに、カディスへと向かう。途中アルヘシラスでバスを乗り継ぎ、峠を越える。左手にジブラルタル海峡、そしてその向こうはアフリカ大陸、モロッコ。行って見たい。アルヘシラスの旅行社で情報を手に入れて検討ジブラルタル海峡の向こうはアフリカ中。マラガから5時間ほどでカディスに到着。
 宿泊場所を探す。今回はギターがあるものの、必要最小限の荷物なのでこのまま歩き回ってもあまり疲れない。ただ、フェリアに行くことを考えて演奏用の重い靴を履いてきてしまったのでそれが心配。歩きにくくはないが、なんだか養成ギブスみたい。
 そして、決めたのは海岸近くにあるユースホステル。会員証は持っていたのだが、泊まるのは実は初めて。ユースは男女別のドミトリー(4~8人部屋)が主流と聞いていたので、ちょっと不安だったからだ。でも今回は貴重品以外あまり持って来ていないし、ギターはベッドの下に隠して大丈夫なことを信じて入る。男子用の部屋には鍵がないのが気になったが、安いのと、他の宿泊客と知り合うチャンスがあるのは非常に重要なこと。夜は施設内のバーでフランス、イギリス、ドイツ、スウェーデンの人と友達になる。みんな旅慣れていそうな感じだ。それぞれの旅の経験を語り合う。残念ながら日本など東アジアに来た人はいなかったが、みんなヨーロッパ内はだいたい周ったとのこと。会話がすべてスペイン語なのが面白いが、お互い外国人のスペイン語で話すので聞き取りやすい。スウェーデンから来たスサーナはサラマンカに留学していて、連休を利用してのアンダルシア旅行。フランスから来たバレリはパリの空港内の化粧品店で働いていた経験があり、「日本人の客はなぜスペイン語で話しかけてくるの?」と聞いてきた。確かにパリはアムステルダムやモスクワなどと同様スペインへの乗り継ぎで利用する人が多い。そう言うと彼女は納得した。そういえば僕も以前、パリで乗り継ぐ際に、ついスペイン語でカフェを注文したような……。
 ドイツから来たノルベルトはジャズが大好き。そこで、みんなでライブを見に行くことにした。だが、カディスは古い港町、道が狭いし分かりにくい。地図を見てもよく方角がつかめず、ウロウロしながらようやく到着。もちろん開始はスペイン時間なので帰りは大変です。学生時代の合宿を思い出しながら就寝。

5月2日(金)―Cadiz-Jerez

 午前中はカディスとその周辺の港を散策する。やっぱり地中海と大西洋は海の香りが違う。どう違うかは説明するのが難しいが、海風を顔面で受け止めてそう感じた。午後にはヘレスに向かう。セビージャに宿をとるのは多分無理だし、高いだろうから、ヘレスに宿を確保してセビージャに日帰り、あるいはオールナイト、という方法をとることにした。

●5月3日(土)―Jerez-Sevilla

 朝は市場に行く。なんといってもカディスのそばなので魚介類が豊富。しかも安い。バレアレスとアンダルシアでは物価がこうも違うのか、と改めて思い知らされる。マヨルカはリゾート地なので高い、というのはイメージに相違ないが、それに加え、イベリア半島と同じ品揃えを確保するには海を渡らなければならない、というのが大きいと思う。陸路よりも海路、空路の方が輸送コストがかかるし、マヨルカの市場で聞いたところ、バルセロナの市場を経由したものもあるそうなので、やや不利なのだろう。
 日本からここに来ている侑希さん、健さんと一緒に、お昼のバスでセビージャへ向かう。渋滞しているかと思ったが、意外と早く到着した。セビージャに在住している健さんの友人とも合流し、バスターミナルからフェリア会場に向かう臨時バスに乗る。衣装をまとった人々が馬車に乗っているのが窓から見える。さあ、祭りだ。
 午後4時すぎ、まだシエスタの時間だが人はいっぱい。フェリアはスペインのあちこちで催されるがセビージャはいわば本場。カセタ(テント)の中ではセビジャーナスのリズムに合わせてみんなひたすら踊セビージャのフェリアでり続ける。きれいな服装だ、と、いきなり目の前に馬の顔。突進してくる馬車をかわし、フンをまたいで歩く。この臭いこそがフェリア、というわけではないが、とにかくいるだけで楽しい。
 ただ、残念なのは生演奏があまりなく、ほとんど録音された音楽だった。時間帯にもよるだろうが、これだけの規模となると、すべてのカセタにミュージシャンがいるというのは無理か。それともう一つ、セビージャのカセタは一般の人間、それも外国人はなかなか入れないようだ。それぞれの団体の関係者か、その親戚、友人でないと中に入るのは難しいそうだ。僕はセビージャでの現地の友人のネットワークをほとんど持っていなかったし、踊れないのでアピールもしづらい。通りに面しているところはテラスになっているので中はある程度のぞけるが、決していいコンディションではない。
 一般に開放されているカセタが数箇所あるのでとりあえずそこに入る。今日はとても暑い。しばらくそこで過ごした後、別々に分かれて、セビージャ在住の青柳さん、白鳥さんとグルグル周る。青柳さんはフェリアを取材して映像を配信する仕事をしているのでパスを持っている。生演奏しているカセタを見つけ、交渉に入る。OKをもらえれば中に入って撮影可。そこで2人で外で様子を見つつ、音楽にあわせてパルマ(手拍子)をしていると、中の人がマンサニージャ酒(シェリーと同類)をおごってくれた。これは嬉しいこと。少しずつ祭りの中に入ってきた、あとはカセタに入れればいいのだが。
 次のカセタへと向かう。と今度はみんな中に入れてくれた。おお、これはラッキー、と思ったが、次の瞬間、ちょっとした「事件」があった。あんなにカセタの前や中でワイワイやっていた人々が、僕たちが入った途端、サーッと引くように出て行ってしまった。僕も引いた。スタンバイしていたミュージシャンも困惑顔。僕は原因究明に頭をフル回転させていたが、その原因の一つが「SARS」であるだろうということはすぐに浮かんだ。
 春にスペインに来てから、毎日のようにテレビではこの肺炎のニュースをやっている。去年に比べて、僕が建物に入ったときや乗り物に乗ったときの周りのリアクションが少し違うのは前から感じていたし、おそらく向こうからは中国人も日本人も同じに見えるだろうから、気持ちは分かる。差別的な視線を浴びた経験もこのところ多くなってきている。たまに直接「中国人か?」と聞かれるが、そのたびに「僕は日本人だから大丈夫だ」と弁解せざるを得ない。しかし、そのときすでに僕からも中国の人に対して差別的な態度をとってしまっていることに気づく。いやな連鎖だ。前にエボラ出血熱が流行したときも、アフリカ系の男性を見た知人が「エボラだ」などと言っていたこともあったし、こういう状況は病気本体と同様困ったものだ。他にも、もともと僕たちが歓迎されていないのもあるかも知れないけど。最初に「入っていいよ」と言ってくれた人も少しばつが悪そうな顔をしていたが、徐々に状況も回復してきて、人も集まり、なんとかフィエスタも再開。ただ、僕も変に気を使ってしまい、あまり居心地の良いものではなかった。
 気を取り直して、引き続きフェリアを見たり夜のセビージャを散歩したり。ヘレスに帰るバスはもう終わっているので、新しい友人と朝まで飲んで話し込んだ。

5月4日(日)―Sevilla-Jerez

 一睡もしなかったがなぜか疲れていなかったのでセビージャ観光。ただ日曜日なので、よく行くバルはどこも閉まっている。ヒラルダの塔に登ったり、スペイン広場近くの公園を散歩したりしながら午後まで過ごし、祭りの余韻をかみしめながら、ヘレスへと戻る。日曜日のヘレスは本当に静かだ。もしマヨルカに来ていなかったらアンダルシアに住んでいただろうし、この地には何か縁があるような気がする。
 さて、これからどうするか。アルヘシラスへ戻り、アフリカに行くか。このまま「逆周り」を続けてコルドバに行くか。と、電話が。ベンジからだ。フェリアはマヨルカでもある。僕は来週からだと思っていたが、ベンジの情報では今週始まるらしい。ベンハミンは「11日からだ」と言っていたのに……。マヨルカのフェリアまでには戻ろうと思っていたので日程がつまってしまった。

●5月5日(月)-Jerez-Sevilla-Cordoba

 お昼まではヘレスで過ごす。念のため、セビージャ、ヘレスからマヨルカに帰る便を調べて見るが、今の時期、こちらからマヨルカに飛ぶのは高い。去年、セビージャから飛んだときの倍以上だ。帰りの切符、がちょっとした問題になった。帰りの日を決めていなかったので片道で来たが、往復で買っておけばよかったかも
 モロッコのタンジェに行くには日帰りでも正味2泊を確保しなければならないので結局、今回は(も)アフリカはあきらめ、コルドバに向かうことにした。実はコルドバでも明日から「パティオ祭り」というのがある。ただ、どういう祭りかは分からない。コルドバは多くの建物にパティオ(中庭)があるので、それにまつわる祭りかな。とにかく行って見よう。
 途中、セビージャに寄り、バル「メソン・セラニート」に行く。ここの人たちとはもう馴染みになっている。安くて多くてうまい。
 コルドバに着いたのは夕方。宿を探すが、明日から祭り、見つかるかどうか。ユースは大きいのだが満室。メスキータのそばもいっぱい。と、ある宿の主人が「この先の界隈にオスタルがいくつかある、と教えてくれた。僕もそこに数軒あったことを思い出し、行って見る。幸運にも、一人部屋が空いているオスタルに入ることができた。グアダルキビル川に新しくかかった橋を渡ってみる。前に工事していたところができたみたいだ。橋の先はまだ行き止まりだが、ここに公園ができるようだ。ここからの眺めもまたいい。またお気に入りのスポットができた。

5月6日(火)―Cordoba-Malaga

コルドバのパティオ祭り さて、祭りはどこであるか、外に出て探して見る。狭い路地のバルコニーいっぱいにきれいな花が飾られている。観光案内所で地図をもらってみると、なんのことはない、さっき見たその花が「祭り」だった。街の中のパティオやバルコニーを色鮮やかな花で飾る、これがパティオ祭り。パティオのほとんどが一般の家庭のもので、このために解放されて、自由に出入りして見ることができる。コンクールも行われていて、どのパティオ、どのバルコニーが一番美しいかをそれぞれが競っている。フェリアとはまた違った良さがある。
 しばし堪能した後、午後の列車でマラガに戻ることに。木曜日に戻ることを考えていたので、今日のうちにチケットを手に入れておいたほうがいいと思った。来たときに泊まったのと同じホテルに入り、すぐに閉店間際の代理店に駆け込む。セビージャよりは幾分安かったが、それでも来た便の倍以上。仕方ないか。

5月7日(水)―Malaga-Nerja-Malaga

 今日はコスタ・デル・ソルを味わおうと、ヒブラルファロ城に登る。マラガの町並みと海と山が一望できる。真下には闘牛場が。そういえば僕はまだ闘牛を生で見ていなかった。セビージャではうっかり忘れていた。でも闘牛場はどの街にもあるし、まヒブラルファロ城からマラガを望むた機会はあるさ。昔、よくテレビのバラエティー番組で闘牛をやっているのを見たが、そのロケをやったのがここの闘牛場だった。いつも前フリで包帯を巻いていたあのおじさんは元気かな。
 もう一つ、コスタ・デル・ソルの街を見ようとネルハに向かう。ただちょっと天気が悪い。また、泳ぐにはまだちょっと早いので街は閑散としている。でも海の眺めは素晴らしい。少し雨が降ってきた。ちょっと「白い村」にも足をのばそうと考えたが、あきらめて戻ることに。かなりの大雨になってしまった。コスタ・デル・ソルはその名の通り「太陽の海岸」。マヨルカもそうだが、雨が降ることはトップニュースになるほどの大変な問題。でもたまにはどんよりとした海も悪くない。

●5月8日(木)―Malaga-Barcelona-Palma

 午前の便でパルマに戻るが、バルセロナ経由の便だった。安いのはこういうことか。時間がかかってしまったが、隣のスコットランドの男性と仲良くなったのでこれもあり。やっぱり旅は面白い。僕の場合、あちこち動き回るとそれなりにいろいろなものに出会うことができる。近いうちにまた巡りたい。ただし、その前に明細票をチェックしないと。
(写真上から: ジブラルタル海峡の向こうはアフリカ/セビージャのフェリアで/
コルドバのパティオ祭り/ヒブラルファロ城からマラガを望む)



レポート13   「フィエスタ・エン・パルマ」

2003.5.20(火) --- Palma de Mallorca

 おとといの日曜日まで、僕の精神状態はすっかりお祭りモードになっていた。もともと祭りに行ったり人ごみの中を歩いたりするのは好きなほうではなく、地元の夏祭りなどにはほとんど行っていないし、東京の花火大会などに繰り出していくこともなかった。ただ、今は外国にいるせいか、人と会える機会をできるだけ作ってみたかった。というわけで、いろいろやりました。
 とりわけ9日から18日までパルマ市内で開催されたフェリアには、よく足を運んだ。フェリアといっても、セビージャのそれとは幾分異なり、カセタ(テント)の半分以上はディスコ……日本でいうところのクラブ……状態で、スペインポップス、ラテンポップスやセビジャーナスがかかり続け、老若男女関わらず、みんなとにかく踊りまくっていた。僕の友人の多くはなぜか僕と共通して人ごみが好きではなく、一度行って「もういい」と、疲れた表情をしている。ただ一人ベンジをのぞいては……。したがって、主に彼と行動を共にすることに。

●5月10日(土)

 最初に行ったのは前半の土曜日。週末は人がとにかく多い。父のベンハミンも一緒に、まずここにカセタを建てている「カサ・アンダルシア」に入るカセタでセビジャーナを踊るキケ(右)。他のカセタと比べると比較的「大人」な感じで、フラメンコ好きが多く集まる場所のようだ。僕もベンジもセビジャーナスは踊れないが、リズムに合わせて手をたたいたり足を打ったりして参加。その後ベンジの仲間のキコやキケたちと、いくつかカセタをはしごしてまわる。

5月14日(水)

 この週の前半はいつも通りに過ごす。一度昼間のフェリア会場に行ってみるが、見事に誰もいない。ここのフェリアは完全に夜行性のようだ。何人かに連絡を取ったところ、週の後半になってから行くらしい。そこで水曜日にはレイナ広場に出没。まずサラオに行くが閉まっている。彼らの頭もすでにフェリアの中にあるのかもしれない。隣のバーでサッカーを観戦。欧州CLの準決勝、ユベントス対R・マドリッドの第2戦。第1戦はR・マドリッドがホームで2-1で勝っている。R・マドリッドはロナウド、フィーゴ、ジダンといささかスター選手を集めすぎだが、とにかく華やかで、ロベルト・カルロスやラウル、カシージャスなど好きな選手もいるので応援している。しかしここは運悪くブリティッシュ・スタイルのバー。周りはみんな英語。準々決勝でマンチェスターUがR・マドリッドに負けているせいか、このチームがさらにベッカムまで獲得しようとしているせいか、ほとんどアンチ・レアル。よってユベントスが先制すると大歓声。デル・ピエロが針の穴を通すようなシュートで2点目を上げるともう大変。さすがに居づらいので後半は別の店に移動。結局3-1でホームのユベントスが勝ち、決勝進出。残念です。
 外を歩いて回復させ、久しぶりにカフェ・バルセロナへ。アントニオ“エル・チャト”とベンハミンのレギュラー・ステージ。アントニオ、僕がいるのを意識してくれているのか、次の歌をどれにするか考えながら「ワカラナーイ!」と叫んだり、途中退出しようとする客に「チョットマッテ、ダイジョブ?」と言ったり。2時過ぎからの第3部はいつになくなごんだ雰囲気。そこで店の男の子がベンハミンのギターをとり、アントニオと一緒に演奏。と、ベンハミンが「チエイ、弾くか?」ときた。2つ返事で1曲演奏。

5月15日(木)

 午後にベンジと会う約束をしていたのでベンハミンの家へ。一緒に弾いたりCDを聴いたりして遊んでいると、ベンハミンが忙しそうに来て「ベンジ、行くぞ」。どうやら今夜仕事があるようだ。僕も誘ってくれたのでついていくことに。行先はパルマ郊外のリゾート・ホテル、宿泊客相手のフラメンコショー。マヨルカにはこうしたグループがたくさんあって、いつもどこかのグループがホテルや予約制のレストランで演奏している。僕が知っているのはごくわずかだが、ここのギタリストやダンサーの多くはこうした活動をしている。ちなみにベンハミンのグループ名は「パシオン・フラメンカ」。訳はフラメンコの一般的イメージで第一に出てくる表現です。僕はこのときバッグを持っていたので、ベンハミンは僕がカメラを持っていると思ったらしい。しかし今日は部屋においてあって残念。僕を誘ったのはそういうことか。
 マヨルカ島では、フラメンコの多くはこのような形で演奏されるそうだ。僕の知っている範囲では、フラメンコが観光に用いられることについてかなり批判がなされているし、僕も『民芸品的』な売り方について賛成ではない。ただ、現状として彼らはこの方法で生活しているし、そもそもフラメンコが知られるようになったのは、これに興味を持ったヨーロッパやアメリカの人がお金を払って見るようになったから、という理由が大きいだろうから、これも一つのあり方なのかもしれない。
 演奏も終わり、帰路につく。ゆうべは遅かったので休みたかったが、ベンジはフェリアに行きたそう。僕のわき腹をつついてベンハミンに頼むようサインを送ってくる。自分で言いなさい。でも結局折れて半目状態でベンハミンに頼み、フェリアに行くことに。最初は渋い顔をしていたベンハミンも、偶然知り合いの美人ダンサーに会ってからは一転、気前よくふるまってくれました。

●5月16日(金)

 週末用の食材を買い出しに市場に行くと、その前で歌っている歌手が。前にも通りすがりに聴いたことがある。知らない曲なので彼らのオリジナルなのだろうが、曲調、歌い方からするとアルゼンチンかも。そこでたずねてみると、まさにその通りだった。ちょうどこの朝、アルゼンチン、サンティアーゴ・デル・エステロのフアン・カルロス・カラバハルにメールを送ったばかりだったので、これも何かの縁。自己紹介すると、「何か弾けるか?」と言ってくれた。そこでチャカレーラを一緒に演奏してみる。通りすがりの日本人がいきなり弾いたので、周りの人々は驚きの顔。そういえばストリートで演奏するのはほとんど初めてだった。固定された空間とは違う面白さがある。彼らとまた会うことを約束。セルヒオとレオは別れ際、ペテコ・カラバハルの曲をサービスで歌ってくれた。
 今夜はアレハンドロがフェリアに来る。どの服を着ようか迷うが、土日の服を考えると、ローテーション的には普段着になってしまった。会ってみて失敗。アレハンドロも友人のフリオもスーツで決めてきた。あらら、どうやらフリオの彼女も来るらしい。「おい、恋人が欲しくないのか」とつついてくる。ここで人と付き合うのに服選びは重要な要素。去年の11月に一度苦い体験をしているので、身にしみて良く分かる。
 会場に向かう。アレハンドロはいつにもましてハイテンション。いささか動きが多い。恋人が欲しいなら、その服装につりあった行動をとりなさい。それにしても今夜は暑い。上着は必要ないな、となぐさめつつ、いろいろ周ってみる。他の友人とはあまり会えなかったので、フリオが別の場所に踊りに行こう、と提案してきた。そこで Porto Pi という港の近くにあるクラブに行き、踊ることに。正直、僕は踊りが下手だが、みんな面白がって見てくれるので仕方がない。

●5月17日(土)

 すでに自分の体は夜行性になっている。土曜は昼間は寝て、しばらく練習し、夜に照準を合わせる。びしっと決めたベンハミン、エンリケータ夫妻最後の週末だけあって人がものすごい。1人で歩くのは危険なのでカサ・アンダルシアのカセタに逃げ込み、連絡を取りながら人を待つ。ただ飲んで待っているだけではなんなので、少し体を動かしていると、それまで僕を横目でちらちら見ていた人たちもはやし立ててくれた。ママたちに引っ張られて一振り。しばらくして、ベンハミンが家族全員を連れてやってきた。この日はみんなフル装備。僕もそうしてきたつもりなのでセーフか。カセタの奥の予約席に入れてもらい、しばしフィエスタを堪能。と、ベンジが外回りを誘ってきたので一緒に徘徊することに。クラブ「ヒラルディージョ」で働いているアルベルトも合流。彼もギターを弾いていて、日本にもよく来るディエゴ・アマジャに師事している。若者たちはみんな相手を求めていて危険な空気が立ち込めている。トラブルに巻き込まれないよう注意を払いつつ、僕もその中に身を投じてみる。

5月18日(日)

 日曜日の夜はベンハミンのグループが演奏する。さんざんベンハミンやベンジから「見に来い」と誘ってもらっている。金曜に会ったフリオが踊り、そして歌うのはパコ。記録用の写真を撮ろうと暗くなる前から会場内にいると、Porto Pi のクラブで知り合ったホルヘとマンディが。彼らもパーカッションで参加するそうだ。これは楽しみだ。また状況によっては飛び入り参加もありかもしれない。
 ゆうべとは一転、人はまばら。みんなもう使い果たしたのか、明日から普通の生活に戻るからか、カセタも半分ほどはもう撤収に入っている。そのかわり、今日は知っている顔によく会うし、演奏のあるカセタに限っては人が集まる。ほのかな期待をしつつ待っていると、メンバーが少しずつそろってきた。アルベルトとキケも来た。キケはよくカセタで踊ったりセビジャーナスの指導をしたりしていたが、今日はオフ。さて、そろそろ入ろうか、と入り口に向かうと、思わぬ事態が待っていた。
本日予約制。女性のみ』。
 こんなの聞いていない。これは困った。演奏者は中に入ってしまったので、とりあえずアルベルトとキケと3人で待つ。とここでベンジが来た。ベンハミンに聞いて交渉すれば中には入れるかもしれない。3人とも「アーティスト」なのだからその扱いで入れないだろうか、あるいは今日だけ女になろうか、などと作戦を立てていると、開始時間になってしまった。中を見るとどこから入ったのかベンハミンが奥にいる。頼みの綱にコンタクトをとろうと電話をするがつながらず。ベンジにかけると彼はすぐに飛んできた。彼も今日のことを知らなかったのでやや動揺した様子だったが、「privadoだ」と言ってすぐに戻ってしまう。主催者側の強硬な態度を見ると、おそらく演奏者の力ではどうにもならないということが予想できた。
 ぞくぞくとグループの知り合いや友人たちもやって来たが、状況を見て困った顔をし、すぐに帰っていってしまった。とりあえず頭を切り替えて、3人でしばらく見回ることに。ホットドッグを片手にいくつか開いているカセタをのぞいて、一度演奏のあるカセタに戻ってみる。すでに入り口が閉められているが一部ビニール張りになっている。また隙間を空けてのぞいてみると、第2部が始まっていた。フリオの踊りは素晴らしい。マンディはキューバの人でパーカッションのリズム感がすごい。ただ、演奏を見るにはいかんせんコンディションが悪い。挙句の果てには店の人間が出てきて、のぞいている僕たちに向かって「しっしっ」ときた。なんとも融通のきかんカセタだ。
 キケはもうあきらめてどこかに行ってしまった。そこでアルベルトと2人で引き続き徘徊する。アルベルトの顔の広さにあやかって、僕も少しばかり外交をし、セビジャーナスも初めて踊ってみる。
 外に出ると、演奏の終わったメンバーがやってきた。今日がこういう趣旨であることはもちろん誰も知らず、ベンハミンもあやまってきた。演奏を見られなかったのは残念だが、その後メンバーと席を囲んだり、内輪のフィエスタを楽しむことができたのは不幸中の幸いだった。
パルマのビーチ
 今までにない、ハイテンションな日々だった。翌日、クールダウンしようと海岸行きのバスに乗る。灯台下暗し、とはまさにこのことで、パルマのビーチにはまだ行っていなかった。話に聞いたとおり、トップレスの女性が多く、果たしてクールダウンになったかどうか。同じくこれまで行っていなかったカテドラルなども見学。ステンドガラスに反射した紫色の光がなんともいえない幻想的な空間を生み出している。ああ、ようやく落ち着いてきた。でも、この祭りの余韻は忘れないでおこう。


(写真上から: カセタでセビジャーナを踊るキケ(右)/びしっと決めたベンハミンと
エンリケータ夫妻/パルマのビーチ)



レポート14   「スペイン北西部・味わいの旅(前)」


2003.6.4(水) --- Pont d’Inca

 パルマでのお祭りからほどなく、今度はまだ行ったことのない北西部(カスティーリャ・イ・レオン、アストゥリアス、ガリシア地方)に足を運んでみることにした。いろんな所に行けば行くほど、海外に滞在できる期間が短くなるというジレンマは常にあるが、やっぱり行ってみたいし、そのために蓄えたお金なのだから、仕方がない。……と自分を納得させつつ、せっかく行くのなら、この際たっぷり味わってしまおう。したがってテーマは「味わいの旅」。ただ食べる、という意味ではありません。念のため。

●5月21日(水) Palma-Madrid

 前回のことを考慮して、航空券は今回は往復で買った。この時期、マヨルカ島は入るのは高いが出るのは安いので、4月にバルセロナから飛んできたのと同じ値段でマドリッドまでの往復が買えてしまった。これはラッキー。時間帯はやや不利だけど。
 またも到着は夜。空港からメトロ(地下鉄)に乗って、以前お世話になった日本人経営のオスタルへと向かう。空港からのメトロは新しく、通路も広くて明るいので、幾分安心感がある。いくつか乗り継いで40分ほどで到着。途中、長い通路もあるが、普段から東京の地下鉄を利用している僕にはたいした問題ではない。
 むしろ“たいした問題”は、パスポートのコピーを忘れてしまったこと。スペインはコピーの携帯でOKだが、このところ本物を持ち歩く習慣がついていたせいか、うっかりした。マドリッドは盗られる危険性が高い街なので、夜は外出しづらい。仕方なくそのまま就寝。

●5月22日(木) Madrid-Salamanca-Avila

 大まかなルートは決めていたが、どの街に行くかは、電車の駅かバスターミナルで時刻表を見てから決めることにした。いきなりちょっと遠くなるが、まずサラマンカに行って見ることに。スペインに来るのに、「旅」にするか「留学」にするか迷っていた時に、サラマンカについての資料を調べていたことがあるので、一度見てみたかった。以前アンダルシアで会ったスサーナに会えれば嬉しかったのだが、もうスウェーデンに帰ってしまって残念。
 旧市街を散策。マヨール広場はいろいろな街にあるが、ここのマヨール広場はとても大きい。マドリッドとさほど変わらないかも。カテドラルが2つあるのが面白い。それにしても、学生の町というイメージ通り、若者が多い(一応僕もそうです)。シエスタの時間には公園で本を読んでいたり、仲間とたわむれていたり。少しうらやましい。
アビラの城壁 やや戻るが、北に行く前にもう一つ足を運んでみたい場所があった。アビラには中世の城壁がほぼ完璧な状態で残っている。その中に街が広がっている、まさに城塞都市。子どものころからRPGをこよなく愛していた僕にとって、城壁はなくてはならない存在。城壁に沿って歩いていけば、何かお宝が見つかる……わけないか。
 味わうつもりが、まだろくに食べていなかったので、この地域の名物を食べてみようと調べるが、chuletonだった。牛のチョップ。一般的なchuletaよりも重量感がある響きなので大きいのだろう。看板を見るとどの店でも2000円以上。ちょっと難しいかな。いきなりつまずく。この日はいくつかバルをはしご。ここのスタイルは、お酒を頼むと少量のタパスが出てくるというもの。本当に「お通し」程度だが、安いので、はしごをするには最適かも。城壁に戻り、夕日を味わう。この日の日没は21時27分。

●5月23日(金) Avila-Valladorid-Leon

 カスティーリャ地方は、標高500mから1000mの台地。1000mを超えるアビラは空も近く大地というより高原、という感じがある。その地方を北へ走る。車窓からは緑の大地が広がっている。この時乗っていたのはタルゴだが、タルゴは車両と車両の間に車軸が1本しかないので、「ドッ、ドッ、ドッ」と独特の車輪音がする。この景色ととても合っていて面白かった。
レオンの車窓から(アビラーバリャトリッド) 今日の目的地はレオンにしたが、直接行くと3時間もかかるので、途中のバリャドリッドで途中下車。駅前の広場にはカセタがいっぱい。おっ、ここでもフェリアか、と思ったら、本が並んでいる。どうやら、本のフェリアが開催されているようだ。よくバリャドリッドは学問の町と形容されるそうだが、これもイメージ通り。街を散策しても、どことなく「知」の香りがしてくる。雰囲気もよく、お気に入りの街になった。「カンポ・グランデ」という大きな公園がある。緑が多くて美しい。大きな門があり、周りが高い鉄柵で囲まれているので、昔の庭園なのかもしれない。
 レオンに向かう快速に乗る。レオン駅からは歩き、前日予約しておいたホテルに泊まる。たまにはババンと3つ星。古い建物を改装したらしく、とても雰囲気がある。ビジネスホテルでは決して味わえない趣だ。旧市街を散策。と、大きなバックパックを背負った人々が。通りを見ると「Camino de Santiago」とある。そうだ、ここはサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼の道の経由地。分かりやすい看板があって、どこが巡礼の道か、どの方面が次の目的地かがはっきり書かれている。かねてから僕は何かを踏破したいと思っていたので、いつか機会があれば、と考えるが、とにかく長いし、ましてや「巡礼者」ではないので、とりあえず気分だけ味わうことに。
 そういえば、このところまとまった食事をしていなかったので、思い切って食べようと検索。できれば、パルマで食したことがあるコシードを食べたかったが、どの店でも「木曜のみ」とある。木曜に食べるというのには何か意味があるようだ。今日は金曜。惜しい。
 1人でレストランではなんだが、バルの奥にあるComedor(食堂)なら入りやすい。カウンターで一杯飲んだ後、2階のComedorへ。せっかくなので、レオンの名物といわれるものを注文。まずは「セシーナ」という名のハモン。今まで食べたハモンとはちょっと違う。よりいぶした感じがあり、チョリソを思わせるほのかな辛味がある。後で聞くと、なんと牛肉の生ハム。油分が少ないせいか、オリーブオイルをぬってあるところがスペインらしい、か。続いて、「モジェーハ」という、牛の首の肉を味わう。色は白く、細かく刻んだのを煮込んであるので見た目は鶏肉っぽいが、味は確かに牛肉。とても濃厚な味わいだ。どちらも初めての味で大満足。ただ、肉、肉、と食べてしまったのでもうギラギラでございます。朝の4時まで寝付けず。

●5月24日(土) Leon-Oviedo

 寝てはいないものの、よく飲み、よく食べて汗をかいたのでそれほどしんどくはない。おそらく基礎代謝が上がっているので、なんとか大丈夫そうだ。アストゥリアスの車窓から(レオンーオビエド)
 一度、このまま北に行って見ようと、アストゥリアスに向かうタルゴに乗る。マドリッド発なので途中から乗るせいか、停車駅が少ないせいか、レオン始発の快速よりも安い。出発から1時間ほどで山岳地帯に入る。長いトンネルを抜けるとそこは……の世界だった。こうも景色は変わるものだ。緑が生い茂った山々。ここがアストゥリアスか。
 オビエドに到着。泊まるところを探そうと思ったが、駅前のホテルの下に面白そうなレストランがあったので、このホテルに泊まることにした。荷物を置いてさっそく下のレストランへ。入り口にバルがあり、奥に食堂がある。地下もあったので、店のおじさんに聞くと、「どちらでもいいぞ」と。とりあえず下に降りて見ると、白い布のテーブルクロスに黄色い照明、しかも人がいない……のでそのまま引き返す、「今日は上で食べる」とさっき聞いたおじさんに言うと嬉しそう。やっぱり最初にコンタクトをとった人と最後まで付き合うのが一番いい。
 上は紙のテーブルクロスの大衆食堂。テレビがかかっているのはとても重要。ワインは一本まるごと、スープも大きな器でどんと持ってきてくれる。おかわり自由、というアピールが嬉しい。定食メニューを注文したので、さすがに全部、というわけにはいかないが、気持ち多めにいただく。
 街を散歩する、と、雨が降ってきた。カフェで雨をしのぐ。このあたりのバルやカフェには「pincho」というタパスがある。ピンチョというのは串だが、いわゆる串料理ではなく、小さいボカディージョやサンドイッチに串が刺してあるというものが多い。シーチキンや鶏肉、豚肉のフライなどがはさんであり、軽食にはうってつけ。
 雨が強いので今日はあきらめて部屋に戻る。今日「ホテル」にしたのは、テレビつきである必要があったからだ。下のバルからピンチョや水を持ち込んで、前から興味のあった「EUROVISON」を見る。僕がテレビでよく見る「OPERACION TRIUNFO」は以前のレポート「テレビガイド」で少し紹介したが、この番組で1位を獲得した人はこの「EUROVISION」にスペイン代表として出場する。去年から今年にかけてはこの番組の「第2期」で、「EUROVISION」に出場するのはベス。この日の午後はずっと準備番組をやっていて、彼女の出身地であるカタルーニャのスリアとも中継してもう大騒ぎ。第1期、第2期の歌手たちも勢ぞろいでみんなでベスを応援。
 さてこのEUROVISION、今年はラトビアのリガで開催。もう48回目のようだ。ヨーロッパ26カ国が出場する。僕はすっかりベスを応援。やや緊張していたが、よく歌ってくれました。英語で歌う出場者が多く、自国の言葉で歌ったのは3割くらいだった。終了後、視聴者投票のみで順位が決定。各国の視聴者が自国以外のチームに電話か携帯のメールで投票する。コンスタントに票を獲得したのは、ベリーダンスの雰囲気を取り入れたトルコ、ロシアンポップスでもっとも人気があるという女性コンビが出場したロシア、自国のフォルクローレ・アンサンブルで挑んだベルギーの3ヶ国。最後にはトルコが僅差で勝利。ベスが出場したスペインも人気があったが、結局8位に終わる。視聴者投票の場合、歌もさることながら、いかにインパクトがあったか、好感が持てたか、が重要な基準になるのだろう。なんとイギリスは0ポイントだった。逆にもっとも異彩を放ったオーストリアは高得点を挙げる。ヨーロッパの音楽シーンの「今」をいろいろ感じる番組だった。

●5月25日(日) Oviedo

 朝、山のほうへ向かう。インフォメーションで、オビエド郊外の2つの教会を教えてもらった。坂を上がっていくと、雨が降ってきた。そのまま歩くが、かなり強くなる。あきらめて戻ろうかと市街にもどるバス停で雨やどり。でも遠くには青空が見える。明日はもうオビエドを出てしまうと思うので、今日のうちに見ておきたい。一方では天気が良くなることを信じて待つ。と、山に登るバスがやってきた。思い切って道路を横切り、その教会の方に行って見ることにした。
教会への小径 終点では、バス停そばの施設の人に場所を教えてもらう。天気のせいで客は僕1人。とても親切だった。しばらく歩く。途中の下り坂はもはや川になっていてちょっと危険。やっぱりやめといたほうがよかったかな、と思うが、勇気を出して先へ進む。それにしても、この地域の緑は、植生こそ違うが、どことなく日本のそれに似ている。毎年、祖父の墓参りに南那須に行くのだが、その山道を思い出す。と、その先に教会が。
 サン・ミゲル・デ・リージョ教会は10世紀前後に建てられたという。ユネスコの世界遺産にもなっている。近くサン・ミゲル・デ・リージョ教会には同じ時期に建てられたサンタ・マリア・デル・ナランコ教会もある。すぐそばには道路も住宅地もあるが、この空間だけは、突然タイムトリップしてしまうような不思議な趣があった。
 市街に戻り、アストゥリアス料理を探す。ここで有名なのはファバーダという煮込み料理。白インゲン、豚バラ、チョリソ、モルシージャ(豚の血の腸詰め)が入っていてこれがうまい。一緒にスズキも食す。
 夜はホテルの下のレストラン。アストゥリアス風ポタージュを頼むと、なんとファバーダと同じ組み合わせ。味付けは違うが、これぞアストゥリアスか。また、このとき一緒に食べたのはカプーチョという、牛肉のチーズ、ハモンはさみ揚げ。うーん、やっぱり「味わいの旅」はすなわち「食べまくりの旅」になりつつあるな。  (つづく)

(写真上から: アビラの城壁/レオンの車窓から(アビラーバリャドリッド)/アストゥリアスの車窓から(レオンーオビエド)/サン・ミゲル・デ・リージョ教会)


レポート15   「スペイン北西部・味わいの旅(後)」

2003.6.6(金) --- Pont d’Inca

レポート14のつづき)

●5月26日(月) Oviedo-Gijon-La Corun^a

ヒホン港 アストゥリアス地方はスペイン北部沿岸地域。でもオビエドは少し内陸にある。そこで港を見に行こうとヒホン行きの近郊列車に乗る。30分ほどで到着。カンタブリア海のながめにしばし浸る。
 ここから、東にあるカンタブリア地方・バスク地方へ行こうか、または西のガリシア地方へ行くか今まで考えていたが、この際だからイベリア半島の一番端っこに行って見ようと、ガリシア行きを選択。オビエドのバスターミナルに戻る。確か午後4時にガリシアのラ・コルーニャ行きのバスがあったはず。だが、窓口に行くと販売員は渋い顔。もう満席らしい。このところチケットを直前に買う癖がついていたのであかんかったかな。次の便はなんと夜の10時。ガリシアまでは直接高速が通っていないのでかなり時間がかかるようだし、電車だと鈍行の乗り継ぎなので1日がかり。帰りのことを考えると早いうちに行っておいたほうがいい。と、他所の会社に問い合わせてくれたのか、別便があるらしい。3時のポンテベドラ行きのバスに乗って、なんとか行けそうだ。
 乗車。バスは高速を通って…って、レオン方面へ?。沿岸道路を期待していたのであらら。4時のバスに乗れていたら海岸線を堪能できたかもしれない。まあ仕方がない。
 バスはレオンの手前で高速を降り、西へ進路を変える。道のわきをボーっとながめていると、また大きなバックパックを背負った人が。よく見ると、幹線道路のわきに細い道が走っていて、よく手入れされている。そうか、これが巡礼の道。レオンからサンティアゴ方面へ巡礼者たちと同じ道をたどる。思わぬところで幸運に恵まれた。
 逆に不運なのはこのバス、各駅停車。さらに、途中でバスを乗りかえることに。ガリシアは結構広いので、途中で分かれるようだ。引き続き各駅ラ・コルーニャの灯台停車。高速に乗っては降り、山間部の町まで入っていって1人降り、また高速に乗る。けっこうしんどいが、乗客にとってはこのバスこそが生命線なのだ。じっと我慢。結局コルーニャに着いたのは9時半。乗り換えも合わせて6時間半もかかった。予想以上に時間がかかると疲れも一段と増える。
 また、この疲れの一因は、コルーニャの夕日を見たくてソワソワしていたこと。まだ空は明るい。荷物を置いて海岸まで急ぐ。しばらく歩いていると、見えました見えました。ぎりぎりセーフ。日が沈む最後の5分間をまったりとながめる。疲れも取れました。ここはポルトガルと同じくイベリア半島の一番西の地域。プラス1時間時差があるイギリスやアイルランドよりも西にある。時計の針は午後10時2分をさしていた。

●5月27日(火) La Corun^a-Santiago de Compostela

 朝はコルーニャの海岸沿いを歩く。半島に突き出た町なので、ぐるっとまわるように半島を一周。すぐ1メートル隣を海鳥がゆっくりと通り過ぎていく。このあたりの海岸はリアス・アルタスと呼ばれていて、沈降した海岸線が複雑に入り組んでいる。リアス式海岸はここからきているそうだ。なんとなく見たことがあるこの光景。日本に一時帰国している間、演奏で2度、三重を訪れているが、そのときに連れて行ってもらった志摩や賢島の風景に似ている。そういえば、「志摩スペイン村」はガリシアの海岸に似ているからそこにできた、という話を聞いたことがあるが、確かに納得。
 駅に向かい、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す。オスタルに荷物を置いて、カテドラルに行って見ようと思うが、その前に腹ごしらえ。食堂に入り、メニューを見ると「Gallego(ガリシア風)」のメニューが目立つ。とりあえず2品注文する。あれ、「Judia verde」ってなんだったっけ? 出てきてあらら。サヤインゲンがこんもり。そういえば、前に総菜屋でテイクアウトしたとき、パスタと間違えてインゲンを買ってうっかりしたことがある(どうやって間違えたんだよ…)。2回目。別にインゲンが嫌いなわけではないが、1皿ひたすらインゲンだけを食べるというのはしんどい。泣く泣く残す。「ガリシア風」に惑わされすぎてはいけません。2皿目のメルルーサになんとか救われた。ちなみにガリシア風とは、パプリカが利いた赤いソースで仕上げられたもので、ちょっと辛味がある。魚介類、特にタコとの相性は抜群にいい。
サンティアゴのカテドラル カテドラルに入る。ピレネーを越えて、800kmの巡礼の道の終着点。これまで見たカテドラルとはなんとなく雰囲気が違う。文字通り「たどりつくところ」というにおいがする。ここの祭壇は後ろから入れるようになっていて、人々は並んで聖ヤコブ像の肩にキスをしていく。信者でない僕がするのはさすがに恐れ多いので寸止めでキス。
 夕方までしばらく市街を散策する。昼に悔しい思いをしているのでお腹がやたらとすいている。名産品店の前にはチーズがたくさん並んでいる。大きく分けて3種類。うち一つは食べたことがある。ガリシアのチーズだったのか。「tetilla(テティージャ)」というチーズで、円錐という面白い形をしている。ポピュラーなチーズの味に遠くはないが、特徴はその食感。ふんわりとやわらかく。それでいて濃厚な味わい。他の2つもその系統のようだ。そのチーズがありそうだと目をつけていたバルに入り、メニューをもらう。と、肉のメニューのところに「chuleton」と書いてある。チュレトンはアビラであきらめている。この際、思い切って注文。チーズも、一番ベーシックと思われるもの(Queso de Pais-国のチーズ)を頼む。まるで絵本に出てくるたまごのケーキのような形をしている。チュレトンは出てきてびっくり。骨付き肉がどかっ。ざっと1ポンド(約450グラム)はありそうだ。チーズもふんわりうまい。あっという間に完食。
 ようじでシーハーしながら(したつもり)部屋に戻り、テレビをつけるとちょうど「OT」とやっていた。厳密に言えば「OT」の後番組「Generacion OT」。みんなでベスを迎え、EUROVISONを総括。よくがんばった、とみんなでほめていたが、どうやら「3位以内」を目指していたようなのでときおり悔しそう。後で調べると、1位をとったトルコの「Sertab Erener」も2位ベルギーの「URBAN TRAD」も自国では有名なアーティストだそうだし、3位のロシアは「t.A.T.u」だ。t.A.T.uはスペインの雑誌にもよく登場しているし、彼女たちは確か日本でもかなり紹介されているはず。この3組は見ていて特につきぬけるものを感じた。
 なお、この「OT」、去年の第1期はロサがEUROVISIONに出場。同期のダビ・ビスバルやブスタマンテ、チェノアなどは、前にも書いたようにもう売れっ子。また日本でも彼らのCDが銀座4丁目の楽器店にあったのを確認している。第2期では特にベスとマヌエル・カラスコが人気。最後まで残らなかった人たちもシングルを録音して販売し(3ユーロ)、20万枚を突破したらアルバム制作にかかれるらしい。「OT」はすっかりスペイン・ポップスを席巻してしまっているようだ。これが「いい状況」といえるかどうかは分からないが、みんなうまいし、かっこいいし、キャラクターもいいし、何よりサービス精神が旺盛。これが幅広い層に(若者はもとより、子どもたちにも人気があるので必然的にその親もファンになる。それぞれの歌手の地元の人々にも)受け入れられているのは事実だ。
 さて、この番組。今日が最終回のようだ。近々「OT3」が始まるようだ。次はどんな歌手が出てくるかな。

●5月28日(水) Santiago-Vigo-Madrid

 ビーゴについたのはお昼前。金曜の朝にパルマに戻るので、夜行でマドリッドに戻ることに。これまでいろいろなタイプの鉄道に乗ったが、夜行寝台は実は初めて。子どものときからブルートレインにあこがれていたので、ようやくかなったか。2等寝台(4人部屋)の切符を買う。同室の人々に恵まれることを願う。
 とりあえず港まで歩く。途中、カードを持っている銀行があったのでお金をおろす。夕べはチュレトンを食べて胃が大きくなってしまったので、やっぱりお腹がすく。そこで例によって、奥にテーブル席があるバルに入る。普通のテーブル席に座るつもりだったが、僕が日本人だと気づいたのか、「こっちへ」と案内される。さらに奥に入ると。入り口からは見えなかったきれいなクロスのかかったテーブルが並んでいる。あらら。でもこれでガリシアも最後だから、と観念。
 興味深いのは、「本日の魚介類」が素材名で書いてあり、「キロいくら」で表示されている。1キロ5000円とかすごいことになっているが、100グラムなら500円。そこで、エビとアサリを少しずつ注文。ガリシアのチーズでまだ食べていなかった「SAN SIMON」も頼んでみる。エビはグリル、アサリは白ワイン蒸しだ。エビは丸ごと食べられるし、アサリもスープが良く出ていておいしい。チーズはふんわりとしているが、他の2つよりも塩気が利いている。ゴーダチーズより少し強いくらい。まだ満腹にならなかったので、ここで思い切ってアンコウまで頼む。スペインの市場には必ずといっていいほど、アンコウが置いてある。自分ではさばけないので、こういう機会でないと食べられない。もうぷりぷりです。
 お会計。気がついたら、これまでの外食(日本を含む・自腹)での最高額を更新してしまっていた。お金をおろした直後の食事は危険だ。ちょっと味わいすぎたかな。
ギーア公園からビーゴ湾を臨む 腹ごなしに、山に登ってみる。ギーア公園からビーゴ湾を臨む。貝の養殖イカダがたくさん浮かんでいる。人と建物が視界に入らない瞬間、日本に戻ってきたような気分になる。
 10時過ぎの夜行列車「ホテル・トレイン」に乗る。車両は基本的にはタルゴと同じだが、寝台が連結されていて、コルーニャ発の列車と途中で一緒になってマドリッドまで行く。ベッドで横になっていると携帯にメールが入る。さっき友人にメールを打ったのでその返事かと思ったが、見ると、サービス会社から「ようこそポルトガルへ」とある。なんと! この列車、今ポルトガルを走っているのか。確かにビーゴはポルトガルとの国境に近いから、ポルトガル国内を経由するのか。だとしたら、これは面白い。

●5月29日(木) Madrid-Segovia-Madrid

 朝日とともに目覚める。景色はもうカスティーリャの大地だ。しばらく揺れて、7時40分、マドリッド・チャマルティン駅に到着。外に出ると連結された車両の長いこと。20両近くある。路線図を見て確認すると、ビーゴから、別列車を接続するオウレンセの間、気持ちポルトガルをかすっている。国境は越えていないかもしれないが、携帯の電波が変わったことを通して、なんとなく国際的だなあ、と浸る。
 普通ならここでゆっくり、といくのだろうが、僕の足はもう次を向いていた。すぐに切符を買い、30分後のセゴビア行きの普通列車に乗る。今これを書いてみて、なんと忙しい旅をしているんだか。でも直前まで寝ていたのだから、このときはまったく気にならなかった。
 セゴビア行きの列車はいわゆる通勤列車と同じもの。しかも2階建て。通勤、通学の人々と一緒にしばらく立っていたが、途中でようやく座れた。2時間弱でセゴビアに到着。
 なぜセゴビアに来たかというと、理由は1つ。「Cochinillo」、子豚の丸焼きが食べたかったからです。昨日に引き続き、まったくこりておりません。別にセゴビアでなくてもいいのだが、名物なのだし、マドリッドから往復9ユーロで来られるのだから、いいんです。
 巨大なローマ水道橋を堪能した後は、お待ちかねのランチタイムでございます。コチニージョを食べられる店はたくさんあるが、高くなく、それでいて雰囲気のよさそうなバル兼レストランをチョイス。スープを飲み、そして出てきました。丸ごと出てくるところを想像していたが、運ばれたのは中央部の切り身のみ。残念。でもよく考えれば、もし丸ごとだったら2~3キロあるだろうし、今僕の目の前にあるのだって300グラムはある。今回はこれで十分。皮はパリッとやわらかく、中はとてもやわらかい。食感だけなら「これが豚肉?」と思えるほど。今度どこかで食べる機会があれば、何人かで丸ごといきたいものだ。
 折り返し、マドリッドに戻る。近郊列車なので、椅子はプラスチック。これで2時間はちょっとおしりが痛い。マドリッドに戻った後は、前回と同じオスタルへ入る。今度は外出したいので、完全手ぶらを装って外に出る。
 小腹がすいたので、昨年の10月にマドリッドで初めて入ったバルに行く。当時はほとんどメニューが分からなかったが、今は全部分かる。これも成長の証かな?
 マドリッドは首都なのでものの品揃えが違う。何か資料になる本やCDがないかとソルやグラン・ビアあたりを探す。fnacでスペイン音楽のコーナーのCDを見ていると、横に見たことのある顔が。他の客も気づいて「マヌエル」と声をかける。フラメンコの大御所カンタオール、マヌエル・アグヘータだ。どうやら自分のCDを確認しに来たらしい。僕もコンタクトをとってみようと思ったが、隣には日本人と思われる女性がいる。踊りをやっているだろうことはすぐに分かるが、それにしても、すごいメイクアップ(失礼)……でも、ステージに上がるんじゃないんだから。ここはCD店なんだから……。マヌエルも他の人と話しこんでいたし、結局声をかけられず。彼らが去った後には、アグヘータのCDだけがななめに浮き上がっていた。
 マドリッドでは、アメリカのファーストフード店の看板も目立つ。日本ではとにかくマックが主流だが、スペインでよく見るのはバーガーキング。なんといっても大きいし、お国柄と合っているのだろう。僕も時々ハンバーガーがすごく食べたくなるときがあるので、パルマのスペイン広場にある同店に行く。ハンバーガーは、正直、日本の方が安い。でもポテトとコーラの量の基準が違う。レギュレーションは少し異なるようだ。店員の対応も、多少マニュアル化されているとはいえ、いたって自然な対応。小銭がなくて50ユーロ札を出すと、めんどくさそうな顔をする。マドリッドにはスターバックスもあり、ここで久しぶりにアメリカンコーヒーを飲む。
 さて、夜は何にしようか。コシードを食べようかと考えるが、お昼に豚肉をお腹いっぱい食べてしまったし、それほど食べたい気分ではなくなってしまった。そこで、最後はなんと日本食。前から興味のあった、マドリッドの老舗日本料理店に。
 久しぶりの味噌汁を味わい、すっきりしたところで、来たときとは違う道で戻る。と、途中の広場で、建物から出てくる人々が。見上げると「サラ・バラス」とある。確かサラ・バラスの舞踊公演は僕が来た前日の20日に終わったはずだが……追加公演か! トマティートに続き、またしてもフラメンコの公演を目前で見逃す。そういえばマヌエルも隣の女性もドレスアップしていた。このためか。少しへこんだが、今回のテーマは十分に達成したし、スペインにはいろいろな音楽を聴く機会がたくさんある。スペイン北西部・味わいの旅、少しでも音に反映…してくれるといいんだけどね。翌日金曜の朝、ポン・ド・インカの部屋に無事帰宅。

(写真上から: ヒホン港/ラ・コルーニャの灯台/サンティアゴのカテドラル/ギーア公園からビーゴ湾を臨む)





レポート16   「3つのフラメンコ」

2003.6.20(金) --- Palma de Mallorca

 パルマでの僕の音楽的なつながりはフラメンコ関係が多いので、聴くチャンスには恵まれている。ここのところ、3つの演奏を続けて聴いた。どれも面白かったし、いろいろ考える機会を与えてくれた。

 まずはベンハミンのグループから。ベンハミン、ベンジ、ルイサ、フリオたちが出演し、ときどきパコも歌う。場所は海岸沿いにあるリゾートホテル。バル---カフェテリアの中にはたいていショータイム用のスペースがあって、いろいろなステージが行われている。一応音響機材もそろっている。ホテルなので控え室には不自由しないが、舞台のコンディションはいいとはいえない。演奏者用のモニターもないので、自分たちの音が互いによく聞こえない。踊り手の足の動きなどを見ながらカバーするしかない。
 しかしこの日は、いつまでたってもベンハミンが来ない。まだ前の場所で弾いているようだ。観光客が増えるこの時期、彼らはとても忙しい。1日ステージで踊るフリオ2ヶ所、3ヶ所は当たり前。客も待ちくたびれた顔をしているので、パコがソロを歌おうと出る。と、ここでようやくギタリスト到着。僕は黒い服を着て舞台の袖で音響のコンソールをいじくる。僕もよく音が聞こえないので客席の方へかがんだ姿勢で行ったり来たり。客で来ていた友人から「ニンジャ・フラメンコ」と称される。
 フリオは僕と同い年だが、もう「フラメンコは僕のすべてだ」と言い切る。踊りにかけるエネルギーは半端じゃないし、歌と合わなかったりすると、終わった後、控え室で歌手と激しくやりあう。彼のフラメンコへの真摯な姿勢にはすごく敬意を持っている。

 次に、カフェ・バルセロナでの企画ライブ。ギターのバレンティン、カサ・アンダルシアで知り合ったカンテのミゲル、本人も知らずに命名されたジュニオール・アビチュエラ(笑)。しかしこの日は日曜日、夜は客がなかなか集まらない。さらに、開演時間になってもベンジは来ないし、バレンティンにいたっては以前ナンパした女の子たちを追って向かいのバルに入り浸っている。かなりゆるゆるです。
 しかし、始まるとびしっとなるのがスペイン人のすごいところ。バレンはよく指が動く。バレンの友達の女の子たちも踊りを学んでおり、舞台でパルマをたたく。1曲終わったところでようやくベンジが到着。ベンハミンとフリオも来た。たぶん別の所での演奏が長引いたのだろう。最後まで聴き終える。楽しかったが、1つ引っかかることがあった。
 バレンが弾いたのはすべてトマティートの曲。フレーズはもちろん、そのニュアンスから奏法までそっくり、まさに完全コピーだった。ミゲルもカマロンの歌を中心に歌っていた。尊敬するアーティストに音が似るのは非常に良いことだと思うし、ほぼ完璧に弾きこなす右から2人目がバレンティン、写真中央がミゲルのはたいしたものだ。僕はそうできない。ただ、すべてがすべてそうであったこの演奏には、何か落ちないものがあった。
 帰りの車の中でもぞもぞしていると、ベンハミンがようやく落としてくれた。「バレンティンは良く弾いている。でも彼はいない」。そうか、彼のすべてがトマティート。ただ、「乗り移った」というところまではいっていない。となると、「やっぱり本物には劣る」という点がどうしても浮き上がってしまう。僕もそうなりたいと思った時期があっただけに、少し…よく分かる。
 僕の知る限り、フラメンコでは他人の曲を他人の曲として演奏することはあまりない---そもそも「曲」というよりも、フレーズや歌(1つの詞)単位で演奏されることが多いし、さらに即興が多く盛り込まれる。したがって、例えばCDに収録されている曲をそのままの形で演奏するケースは少ない---。また、追悼企画などは別として、現役アーティストへの「トリビュート」企画もあまり聞いたことがない。
 もちろん、時には他人のフレーズも弾くこともあるし、歌はいろいろな詞が、たとえ前後の脈絡がなかろうと飛び出してくる。ベンハミンだって時々パコ・デ・ルシアやビセンテ・アミーゴのフレーズを弾く。でもパコやビセンテが弾いているのと全く同じようには弾かない。ベンハミンの場合は彼の音の中にそのフレーズが彼なりの形でとりこまれているし、他のギタリストについても何人か聴いてみてそう感じた。
 ベンハミンは世代的には叔父のぺぺ・アビチュエラやフアン・アビチュエラより、息子たち(ケタマ)の方に近いのだが、自分のスタイルは「アビチュエラ」だという。15歳ですでにマドリッドの「カフェ・デ・チニータス」で、ぺぺやその同世代のギタリストと弾いていたのもあるだろうが、彼はいわゆる屋号の「アビチュエラ」を継承する道を選んだ。それでも、その先には「ベンハミン」という存在がある。彼はつねづね「自分はアビチュエラだ。でも、自分の感情や知を表現するし自分のフレーズを弾く」と言っているが、自分の基本となる軸を「アビチュエラのフラメンコ」としながらも、最終的にはベンハミンという「個」でもって音楽を発している。どんな背景があろうとも、それを背負いながらも、最後は自分の表現。考えてみれば、僕がある音楽を好きになるときは、常にジャンルよりアーティストが先だし、その背景を知れば知るほど、そこから出てきた「彼ら」という「個」の重要性を改めて感じる。
 ところで、よくフラメンコが語られる際には3つの要素が用いられる。表現法としての「カンテ(歌)」「バイレ(踊り)「トーケ(ギターなど)」の3要素と、より内面的な「知」「情」「技」の3要素だ。ここで僕が言いたいのは後者の3要素についてだが、ベンハミンもよくこの3つの要素を口にする。もちろんこれは、ものを表現したり作ったりすること全般についていえることだと思う。体力はとりあえず前提として(というより、あまり自信がないのでふれたくない)、例えば、「知」はその領域についての知識や考え、音楽的表現への理解、その世界で自分がどう歩めばいいか、という「頭のよさ」も含めた要素、「情」は、まさにそのまま。喜怒哀楽。それを体で知るための、いわゆる「人生経験」もあてはまるだろう。僕が日本でいろいろな人から「足りない」と言われて、「旅」に出るきっかけにもなった要素。そして、最後はそうした「知」や「情」を形にできるだけの「技」。これを磨くのをおこたってはいけない。たまにシエスタの時間にうっかり昼寝をしすぎて練習しそびれることもあるけど……。
 これらの要素が偏りなくバランスよく組み合わされて、かつ演奏に自然な形で表れることが、大事なことだと思う。バレンのことから掘り下げてしまい彼には申し訳ないが、いろいろ感じることの多いライブだった。

アントン・ヒメネス(右)とベンジ さて、最後はもう1つ、カフェ・バルセロナの特別企画。マドリッドから来たフアン・トリビーニョとアントン・ヒメネスのライブ。アントン・ヒメネスはホアキン・コルテスのバックを努めるギタリスト。ホアキンに興味がある人は、一度はその印象的な顔立ちを見たことがあるはず。このライブは5夜連続で行われたが、僕はいろいろ用事があったので見たのは2回だけだった。フアンは今の若手のポピュラーな唱法、アントンもモデルノ・スタイルで複雑な和音を駆使しての演奏。非常に興味深かったが、いかんせん時間が短かったのが残念。1部につき3曲というのはちょっとあんまりだ。特別入場料を取ってまでやるのだから、もう少し長くやってほしかった。ベンハミンもアントニオ(チャト)も後でそれを知り怒っていた。彼らのレギュラーの日程をつぶしてまで入れた企画のだからそりゃ当然だ。
 やや強引だが、演奏者の客に対する関係にもさっきの3要素がいえると思う。例えば、カフェ・バルセロナは30人入るのがやっと、という狭いスペースだけど、自分たちの演奏はここでは特別な状況で行われているものであることを把握しないといけないし、そこに来ているお客の気持ちを理解しなくてはいけない。そのための舞台構成やトークなどは、お客を満足させるための大切な技術だ。
 ただ、金曜の夜は、ちょっとおまけもあった。終演後、店の中でフィエスタ状態になり、僕も引っ張り出されてブレリアを一振り、とこれが大うけ。ホアキンなみの超高速バージョンと逆に超低速バージョンをリクエストされて踊ることに。暗くて音楽が鳴っており、僕にとっては言葉でのコミュニケーションがとりづらい場所、どうしても体を張ってしまう。もう少しだけ体力に自信を持ってもいいか。

(写真上から: ステージで踊るフリオ/右から2人目がバレンティン、写真中央がミゲル/
アントン・ヒメネス(右)とベンジ)

                                    (つづく)

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