2003年 夏秋編


レポート17   「Nits a la fresca」


2003.7.16(水) --- Palma de Mallorca

 6月のある日、前に撮った写真をベンハミンの家に届けにいく。リビングに通してもらい、ソファーでくつろいでいるとマエストロ登場。毎度のように渋い顔で「暑いな~」というあいさつから。この時期、特に6月の末から7月の頭にかけては記録的な猛暑となり、連日40度近くまであがった。誰と会ってもこの決まり文句から始まる。カフェ・バルセロナ前にて
 ここで、7月10日にパルマ海浜公園「パルケ・デル・マル」でコンサートがあり、チエイも弾いてくれ、と言われる。暑さとは裏腹に、静かに涼しく、この大舞台への参加が決まった。「Siempre preparado(いつでも用意はできている)」とクールになったつもりで言い、家を出る。……でも後で緊張してくるんだろうなあ、きっと。
 共演者は、昨年11月の「初舞台」でも一緒だったキコやパコ、他のメンバーもみんな知っている人たち。息子のベンジはもちろんのこと、アントニオ“エル・チャト”、フリオ、そしてマンディー。このメンバーでは初演となるので、何度もリハーサルをすることになった。場所は、おなじみ「カサ・アンダルシア」。
 だが、いろいろメンバーの都合があり、最初のリハーサルは延期になり、1週間後の火曜日にあった第1回のリハーサルもひとつのテーマの「ジャマーダ(いわゆる『決め』の部分)」だけを合わせ、「暑いから」と1時間あまりで終了。「ほら、チエイ、踊れ」とフィエスタに変わる。僕の経験上、みんなで車を出してきて練習する割にはちょっと効率がよくないような気が。大丈夫かなあ。彼らはよくても僕自身は不安。
 帰りがけに気分転換を兼ねて、「カフェ・バルセロナ」にラテン・ジャズのライブを見にいく。最近はすっかりここに通いつめているので、本日の出演者とも顔見知り。終わった後、さて帰ろうかと思うと、フリオとマンディーがやってきた。なんとなくオールナイトくさい雰囲気。僕はかなり「雰囲気重視」な人間なので、これに逆らわず、「バルセロナ」で働いているナチョたちも一緒に海岸まで行き、フリオがわざわざ海岸フィエスタ。下の写真、僕の頭の上にいるのがキューバ人のマンディ。パルマ・ノバ(パルマ近郊)まで迎えに行って連れてきたアレハンドロも加わって、夜明けの6時半ごろまで弾いたり歌ったり踊ったり。これもひとつの練習法……かな。
 金曜日にはフリオをフィーチャーしたフラメンコのライブが「バルセロナ」であったので、それを見ながらおおまかな流れをイメージする。でも自分自身が弾いていないとかなり難しいかも。結局以降のリハも、あんな感じで進み(内容はご想像におまかせします)、最後のリハも「通しリハ」にはならず、結局僕にとっては未練習のテーマを多数かかえたまま、本番当日を迎えることになった。こうして振り返るとかなり危なっかしいですが、もうそんなことは言ってられません。でも、「場所を設定しての練習」以外、普段からメンバーともかなりコミュニケーションが取れてきているので、ステージに対する不安とは別の、ちょっとした安心感もあった。共演者と打ち解けた状態で弾けるというのは、とても重要なことだ。
 6月の終わりから8月の頭にかけて開催される、パルマ市主催のフェスティバル「ニッツ・ア・ラ・フレスカ(涼しい夜、または納涼の夜?)」では、いろいろな会場で音楽や演劇、映画上映などが催されるのだが、パルケ・デル・マルの会場では最初の音楽イベントとなる。
 車でベンハミンと一緒に、午後8時に現地に到着。さっそく音響チェックに入る。公園内には噴水のある人工の湖が広がっているが、特設のステージはなんとその上。したがって、ステージと観客の間は水。揺れる桟橋を渡り、セッティングを行う。だが椅子がない。ディレクターのメルセデスが「あ、忘れた。手伝ってくれる?」と倉庫から出してきたので運ぶことに。舞台を一目見れば椅子があるかないか分かるでしょ。でもジャズやロックのライブなら、あまり椅子は使わないか。みんな働いてくれないので、結局僕が率先して何度も往復する羽目に。僕は舞台全体を見る癖があるので、どうしても気を使ってしまう。モニターが演奏者全員に行き渡って設置されているのはありがたい。なんとか音を合わせ、控室に戻る。メルセデスが、「スペイン人とキューバ人(マンディーのこと)、日本人がマヨルカでフラメンコ、とてもインターナショナルね」と言ってくれたのはとても嬉しかった。
 この日の進行は、まずベンハミンのソロから始まり、僕、マンディー、ベンジが加わってタンゴス、ブレただいまリハーサル中リア、ルンバと続き、歌のソロ、そして踊りのテーマへとつながる。タンゴスとブレリアは前もって打ち合わせをしていたが、ルンバは未練習。「少し合わせたいんだけど・・・・・・」と催促するが、ベンハミンは「わかったわかった」となかなか来ない。他のメンバーはすでにやってきた彼らの友人たちと公園をウロウロ。フリオとアントニオは別の所での仕事があるので本番直前まで来られず。結局ルンバも最後の部分だけを合わせて、ベンハミンは他の人と話をしに出て行ってしまった。
 僕が日本でライブをする際には、だいたいの場合、本番まではどちらかというと控室で静かにしていたり、せいぜいコンビニに買出しに行ったりする程度。別にスペインでそれを適用することもないけど、周りのペースに合わせて外に出てコンディションを崩したら元も子もないので、おとなしく、いつも通りに待つことに。この「もぞっ」とした、なんともいえない緊張感が、僕は好きだ。今まで何度となく、この精神状態を体験してきた。そして終わったあとの達成感と安堵感。これを17年前から味わってきてしまっているのだから、もう演奏はやめられない。
 開演は午後10時。15分ほど押してスタート。公園の上にあるカテドラルのライトアップが美しい。ベンジやマンディーと舞台袖で待機。マンディーが僕に「Are you ready?」と英語で振ってくれると、僕はまたしても「Siempre preparado」と答えた。もうすっかり口癖になっているが、決まり文句があるとすいぶん気が楽になる。1曲目のソロが終わり、拍手が起こる。これで、かなり多くの観客がいるのが分かった。ステージに上がる。驚きとも歓声とも嘲笑ともいえない、微妙な反応。とりあえず客席に視線を送り、目であいさつ。
 タンゴスから。自分の音はよく聞こえないものの、ベンハミンのギターとパーカッションはよく分かるので助かる。さすがのベンハミンも緊張しているのが感じられる。フレーズの順番は変わったものの、無事に弾き終える。続いてブレリア。ベンハミンのフレーズと僕のフレーズを交互に弾く。お互い次に何を弾くかはその時点で決めるのでけっこうスリリングだったが、かなり面白い演奏になったと思う。
 さて問題のルンバ。一定のコード進行の繰り返しなのである程度は把握できるが、パターンが変わる部分はつまずきやすい。ベンハミンのリードなので彼は思いのままに弾いていけるが、合わせるほうはけっこう大変。即興でハーモニーを入れたりしながら乗り切る。
 ギター演奏の後はパーカッションのデュオ。マンディーとベンジのぶつかり合い。コンガやカホン、ジャンベを駆使し、テンションはどんどん高くなっていく。マンディーが両手を広げて上へ下へ。歓声を一身に浴びる。こうしたパフォーマンスはさすがだ。
 パコのファンダンゴのソロ、そしてブレリアへ。次にどの詞を歌うかは全てパコ次第。僕も耳をとんがらがせる。と、ここで僕は根本的なミスに気づいた。ベンハミンなら分かっているはずだからと、無意識のうちに自分の視線は隣のギタリストの手を向いていた。しかし、座り位置は僕から向かって左側(舞台中央)がベンハミン、右側がパコ。したがって僕は歌手と反対の方を向いて弾いていたことになる。演奏的に良くないのはもちろん、見た目的にも明らかにかっこ悪い。伴奏経験の乏しさが露呈してしまったか。でも今は弾いている最中、何気なくパコに視線を向けてリカバー。後半はなんとか歌ともリンクさせることができた。もう顔中が汗だらけ。ぬぐう余裕もない。
 ここでアントニオ“エル・チャト”登場。マイペースにゆっくりと、何かをつぶやきながら、舞台前方を「散歩」してから位置につく。彼のキャラクターと行動が絶妙にマッチしていて、すごい演出効果になっている。もう客席からは「アントニオ!」コールが飛び交っている。ベンハミンのギターでソレア。最後はマイクを捨て、舞台の前ぎりぎりに立って客席に語る。持っていくなあ。
 そして第1部の最後は2人のバイラオールによるマルティネーテ・イ・シギリージャ。黒いスーツで固めたフリオとキコが順番に登場。踊りの曲目では唯一、僕も一緒に練習しているので、少しは腰を入れて演奏できる。フリオはシギリージャのコンパス(フラメンコの曲目の中でもリズムのアクセントが独特で非常に難しい)に苦労していたが、本番では完璧に決まる。フリオによる1つの区切りのあと、キコが出てきた。彼は18歳ながら自身のグループを率いて活動する若き踊り手。杖で床をたたきながら、ゆっくりと出てくる。足が小刻みに震えているのが分かる。ものすごい緊張感の中から爆発。そしてフリオとキコの闘いが始まった。パコとアントニオが交互に歌い、一気に終宴へと向かう。最後はアントニオが2人をいざなうようにして、舞台から去っていった。
 一瞬の休憩をはさみ、全員舞台についたまま、第2部に入る。ギターソロ、カンテソロの後、フリオによるアレグリアス。今度は白いスーツで登場。僕もミュートでリズムをとりながら様子を見つつ、途中から参加。するとベンハミンが「チエイ~」と僕のほうを見てニヤリ。シンコペーションのパターンをいろいろ仕掛けてきた。時々応えきれなかったが、アレグリアスは僕の好きな曲目なので、テンションを上げることができた。
 キコによるソレア・ポル・ブレリア。曲目もアレグリアスと対照的だが、その踊り口もフリオとは全く違うカラー。思わず見入ってしまう。僕はギターやパーカッションの補助に徹して弾いたのでやや機械的になってしまったが、心の中ではむしろ、踊りや歌と共に演奏する喜びに満ちていた。
 最後はそのままブレリアによるフィエスタに突入。最初に引っ張り出されたのはマンディー。最高の笑顔をふりまきながら一振り。次は誰だ、とみんなで視線を送りあう。ベンジが登場。普段から僕に見せてくれている得意のパターンを披露。と、横からフリオが来て僕のギターを取り上げた。「チエイ、行け!」
 すでにいろいろな場所でさんざん踊らされているので、もはや抵抗も何もない。まっすぐ前に出ると、客席からは、最初の時とは違う、1つになった嬉しい反応。一礼し、教えてもらったジャマーダから、ベンハミンに敬意をこめて彼のパターンを一振り。そういえば、舞台上で踊って歓声をもらったのは生まれて初めてだったかもしれない。
 アントニオは歌い、踊りながら舞台前方を往復し、さっきとは逆に、フリオとキコを迎え入れる。2人は何度も客席にアピールしながら交互にサパテアードを踏む。そして、コンサート終演。
 細かい点を挙げればきりがないし、帰りの車の中でもベンハミンからきっちり「ダメ出し」をもらった。でも、あの時間、あの空間を多くの人々と共有できたことはこの上ない喜びだし、ステージから控室に戻る際に、多くの友人にもみくちゃにしてもらいながら、演奏できてよかった、と正直に思う。「Nits a la fresca」ならぬ、それは熱い、暑い、厚い夜だった。

パルケ・デル・マルこんな舞台です。写真は友人のピアニスト・イシスたちのライブ風景。
(写真上から: カフェ・バルセロナ前にて/海岸フィエスタ/ただいまリハーサル中/パルケ・デル・マル(最下段左)、こんな舞台です。写真は友人のピアニスト・イシスたちのライブ風景(同右)。……残念ながら本番当日は写真を撮れませんでした。自分の写真も無し……。)


レポート18   「マヨルカ島・ちょっぴり観光案内」 

2003.8.6(水) --- Palma de Mallorca

 この島に滞在してから、いつのまにか通算で6ヶ月を超えてしまいました。この美しい島にすっかり魅せられてしまったこともありますが、それ以上にここでは本当にいろいろな出会いがあり、「人」単位でのつながりを大切にしたいと考えていた僕にとっては、この上ない、恵まれた環境にいると思います。
 さて、これまで「マヨルカってどういう島なの?」という質問を数多くいただきました。そういえばこの「スペイン・レポート」のほとんどはパルマ・デ・マヨルカから送ったもので、ここでの出来事を取り上げることが多かったですが、マヨルカという島についてはあまり書いていませんでした。島内をくまなく周ったわけではありませんが、自分で足を運んでみたり、連れて行ってもらったりした場所は数多くあります。そこで今回は、ちょっとこの島について書いてみたいと思います。情報の量や正確さにはあまり自信がないのですが、少しでも雰囲気を感じていただけたら嬉しく思います。なお、データなどはいろいろな本や新聞、各WEBサイトから勝手に引用してきたものなので、どうぞご了承ください。
 スペイン全土の地図を見ていただければだいたいの位置関係は分かると思いますが、スペイン東部、カタルーニャ地方とバレンシア地方から三角を結んだ地中海上に、マヨルカ島のあるバレアレス諸島があります。他にもメノルカ島やイビサ島、フォルメンテラ島などがあります。マヨルカ島の大きさは約3640k㎡で、なんと僕が生まれ育った、われらが埼玉県とほぼ同じ面積です。「海」という決定的な違いがありますが・・・・・・。

★パルマ・デ・マヨルカ

 パルマ・デ・マヨルカはマヨルカの南西の海岸沿いにあるバレアレスの中心都市で、約30万人が暮らしています。パルマはマヨルカ島の人口の約半分がいるといわれているので、島全体ではそれほど多くの人が住んでいるわけではありませんが、今の時期、バカンスシーズンには人口が倍になります。イベリア半島南岸のコスタ・デル・ソルと並ぶリゾート地で、スペイン国内はもちろん、ドイツやイギリスなどから多くの観光客がやってきます。いわゆる「芸能人」もたくさんやってくるので、テレビや雑誌に毎日ネタを提供しています。ちなみに僕はリゾート的な暮らしをしているわけではありません。したくてもできません。
 年間300日以上が晴れ、冬は暖かく、夏は涼しい、1年を通して乾燥した地中海性気候、と言いたいところですが、今年はちょっと違います。前のレポートにも書きましたが、今年は特に暑く、島の電力消費量は今年でもう8回記録を更新し、7月21日には全島で7時間におよび停電してしまいました。きつかったです。ヨーロッパ全体が猛暑、逆に日本はなかなか梅雨が明けなかったというし、今年は(も?)何か変です。

★バルデモサ~デイア~ソジェール (トラムンタナ山脈)
 気を取り直して、島の北側にはトラムンタナ山脈という、標高1000m級の山々が連なっています(最大標高は1445m)。大西洋やイベリア半島方面から吹いてくる風を受け止めているので、パルマや島の東部はとても乾燥した大地が広がり、逆に山の反対側、といっても北側はほとんど山から一気に海、という感じですが、緑の多い景色が広がっています。
 この地域には、「Valldemossa」「Deia」「Soller」という3つの有名な村があります。「バルデモサ」は人口1000人ほどの小さな村ですが、音楽家ショパンと作家ジョルジュ・サンドが暮らした村として知られています。僕は詳しい事情は分かりませんが、この静かな村での2人の恋をイメージするだけでも、なんとなくロマンティックな気分になれます。
 バルデモサから、海沿いの山道を通っていデイアくと、突然村が現れます。「デイア」は多くの芸術家や作家が「隠れ里」としたところで、マヨルカ屈指の美しい景観をもつと言われています。水の流れる音を聴きながら坂をのぼったりおりたりするだけで、何かかきたてられるものがあります。
 そのまま山を降りていくと、ふもとに「ソジェール」という町が広がっています。オリーブやオレンジの畑が広がる静かな町です。こうして書くとソジェールはとても遠く感じられますが、ここへはパルマから直接行くことができます。道路はもちろんですが、ソジェール鉄道という路線があります。「スペイン・レポート」のバックナンバーの頭に登場する古めかしい列車の写真がそれです。パルマからアーモンド畑を通り、トンネルを抜けて到着。それだけでもう鉄道ファン冥利につきるというものです。さらにそこから、これまたレトロな路面電車で15分ほど揺られると、ポルト・デ・ソジェールという小さな港町にも行くことができます。

★マヨルカ島の交通
 パルマに戻ります。パルマのスペイン広場からはこのソジェール鉄道と、どちらかというと生活路線である、もう1つの鉄道が走っています。いつも最新版の頭に載っている写真がそれで、僕の住む「ポン・ド・インカ」もその沿線。マヨルカでは比較的大きな町である「インカ(Inca)」、そこから2つに分かれて「マナコール(Manacor)」、「サ・ポブラ(Sa Pobla)」まで開通しています。
 ただ、マヨルカ島は道路がとても発達しているので、車やバスでの移動の方が圧倒的に便利です。僕は今回も国際免許を取らずに来てしまったのですが、少しだけ後悔しています。というわけで、バスで走ることにします。パルマをはじめ、島のミロ美術館からカラ・マヨールをのぞむ南西側はリゾートホテルや別荘が立ち並び、やや開発されすぎの感がありますが、それでも美しい海や山を見ることができます。かつての漁村である「ポルト・デ・アンドラッツ(Port d'Andratx)」や、レポートにもしばしば登場する、友人が多く住む「パルマ・ノバ(Palma Nova)」、パルマのすぐ西側にある「カラ・マヨール(Cala Major)」の沿岸などは、パルマから簡単に足を運ぶことができます。カラ・マヨールから丘を登っていったところにはミロ美術館もあります。

★鍾乳洞、地底湖、ビーチ
 今度は反対に、一気に東の端っこまで行ってみます。ポルト・クリストのそばには「ドラック(Drach)」「アムス(Hams」という2つの大きな鍾乳洞があります。僕が入ったのはドラック洞窟ですが、この世界には幻想という以外の表現が見つかりません。「誰か住んでるの?」と思わず聞きたくなります。奥には世界最大級の地底湖といわれるマルテル湖が広がり、ボートに乗った楽団によるクラシック・ミニコンサートというおまけもあります。帰りに少しだけボートにも乗せてもらえます。
 パルマのすぐそばにある「アレナル(Arenal)」に広がるマヨルカ最大のビーチはレストランやホテルが立ち並ぶ、まさにリゾートビーチです。空港が近くにあるのでボーイングやエアバスの離発着を1分おきに拝むこともできます。
 人が大勢いるビーチが苦手なら、島の南東側の沿岸をおすすめします。バスの便は少ないので、レンタカーでの移動が最適だと思います。このあたりは島の中でもさらに「田舎」な地域で、逆に言えばそれだけ、静かで美しい海を堪能することができます。先日、友達とその家族に「コロニア・サン・ジョルデコロニア・サン・ジョルディィ(Colonia Sant Jordi)」にあるビーチに連れていってもらいました。途中の手付かずの海を車窓から味わい、そして子どもに戻ってはしゃいできました。その後の「大日焼け」という代償がありましたが・・・。
 ここで、「隣のビーチに行かないか」と誘われ、独身男4人組、てくてく海岸を歩いていくことに。メンツは今回のホストファミリーの末っ子、アルベルト、その近所のミゲル、そしておなじみアレハンドロ。20分ほど歩いて着いたところは「Es Trenc」というビーチ。よく見ると、みんな素っ裸。トップレスには慣れつつありましたが、ここは「全裸率」が高い。さすがにびっくりしました。後で聞いたところ、ここは有名なヌーディスト・ビーチだとか。直接車で行くと入場料を取られるそうだから、エス・トレンク、恐るべし。しかし、この海は今まで僕がマヨルカで見た海の中では最もきれいだと感じました。
 島の北側は夜に連れて行ってもらったところが多く、詳しい雰囲気は分からないのですが、近々機会があればぜひ行ってみたいところです。島の最北端のフォルメントール岬(Cabo Formentor)も有名なスポットです。

★やっぱり食事のおはなし……
 最後は僕らしく、食事のおはなし。魚介類が豊富なので、それを使った料理がおいしいですが、郷土料理といわれるものは、どちらかというと「Pobre」(質素)な料理が多いです。トゥンベット(Tumbet)はジャガイモとナスをベースした野菜の煮込み。マヨルカ風スープ(Sopa de col Mallorquina)は、野菜とパンで作ります。パンがほとんどスープを吸っているので、スープ、というイメージではありませんが、素朴な味わいです。フリート・マヨルキン(Frito Mallorquin)は、レバーとジャガイモ、ピーマンを炒めたもの。豚肉やそれで作られた食品などもおいしいです。魚介類では“ピカピカ”という、イカのげそを辛いソースで煮込んだものがあります。“ピカピカ”は picante (辛い)からきているのでしょう。
 特に知られているのはエンサイマーダという菓子パン。生地をうずまき状にしき、焼いたもので、食感はクロワッサンに近いと思います。お土産用にも人気で、30cm以上のものが入った箱を持つ人の姿を空港で必ず見かけます。12月にパルマを出る際、ギターを機内に持ちこめず、カウンターで預けさせられたのですが(ちなみに今のギター機内持ち込みの成績は7勝2敗)、到着した空港で荷物を待っていると、出てきたギターケースが真っ白。まさか氷ではないか、とドキッとしたのですが、どうも違う。よく見ると、前後にはやや崩れたエンサイマーダの箱が。エンサイマーダにたっぷりかかっている粉砂糖が、ギターにもたっぷりかかったのでした。

※「マヨルカ」は発音的には「マジョルカ」の方が合っていますし、カタカナ表記でも一般的には「マジョルカ」の方が多いようです。ただ、字の体裁やイメージから、僕は「マヨルカ」の方を使っています。

(写真上から: デイア/ミロ美術館からカラ・マヨールをのぞむ/コロニア・サン・ジョルディ)

 


レポート19   「マヨルカ島・2つの北東部紀行」     ●最新版の直前のレポート

2003.10.7(火) --- Palma de Mallorca

 2ヶ月ぶりのレポートです。バカンスシーズンに合わせて一緒に休んでしまい、どうもすいません。9月にはマドリッドとアンダルシアに行ってきたので、そのレポートも近々アップしたいと思っています。
 さすがに秋ともなると、3ヶ月以上続いた猛暑もようやく落ち着いてきました。だいぶ動きやすい季節になったので、前から行って見たかったマヨルカ島の北東部にも足をのばしてみることにしました。

9月2日(火)Alcudia-Puerto de Pollensa-Parque Natural

 アルクーディアに向かうバスの時間は確か朝の10時15分だった。あまり時間がなかったので、よく行くバルでテイクアウトを試みる。ここのトルティージャ(スペインオムレツ・卵とジャガイモで作る)がお気に入りなので、いつも食べている。店のお母さんも、僕と顔をあわせるなり「トルティージャ?」と聞いてくれるほど。今日も例によってそれを頼み、パンにはさんでもらった。水のボトルと一緒に持って駅のホームへと急ぐ。
 でもなかなか列車が来ない。早朝降った雨がかなり強かったのだろう。遅れているようだ。ホームで袋を取り出し、約30センチあるボカディージョを完食。食べ終わったところでタイミングよく列車到着。パルマに着いて急ぎ足でバスターミナルへ。ちょうどアルクーディア方面のバスが乗車中で、これまたセーフ。今日は「間」がいい日かな。
 バスは一路、高速道路に乗ってアルクーディア方面へ。途中インカに停車。インカは革製品の町、いたるところに靴やかばんの店・工場が並んでいる。ちなみに、靴ブランドである「カンペール」も、このインカが発祥の地だという。
 インカを過ぎると、けっこう起伏のある景色が広がってくる。実は、今向かっているアルクーディアには友人のコンサートですでに一度訪れているが、その時は夜だったので、昼間訪れるのはもちろん初めてである。
 パルマから1時間ほどで対岸にあたるアルクーディアに到着。旧市街の周りには城壁が。この港町はおそらく、かつてはマヨルカの北の玄関を守る重要な要塞だったのだろう。それにしても、今日は人がたくさんいる。国内では8月いっぱいでバカンスを終える人が多く、パルマは9月に入ってかなりすいてきた。でもこれは……と、よく聞くと、周りはみんな英語、イギリスの人たちかな。さらによく見ると、城壁の内側に、たくさんのテントが並んでいる。今日は見本市の日だったようだ。島の北東部は、それぞれの町を結ぶバスがかなり多く運行されているが、みんなぎゅうぎゅう。ちょっとしんどそうなので、一度脱出することに。南行きのバスは混んでいるので、比較的すいている北行きのバスに乗り、ポジェンサ港を目指す。
 バスはポジェンサ湾の沿岸に沿って走る。雨のせいで水はやや濁っているものの、美しい湾だ。景色も開けているので、前方にはもう町が見え、さらにその向こうにはフォルメントール岬へ続く半島が。15分ほどで到着。
 ところでこの日は、何を目的にするわけでもなく、ただ、「このへんに行こう」と来ただけなので、しばらく散歩して、やや暇になってしまった。これからどうしよう。このままフォルメントール岬まで行ってみようかと考えるが、わずかなバスはフォルメントールの村まで、さらにそこから岬までは12キロも離れている。仕方がない、景色だけを味わい、一度アルクーディアに戻ることに。
 同じバス停を降りると、まだ人はいっぱいいる。今度は南行きのバスに乗ってみることに。しかしなかなか来ない。ようやく来たバス、ただし待った分だけ、乗る客も多い。市内交通バスなので、バス停ごとに体を入れ替え、それは大変。
 とりあえず「Ciudad de Lago(湖の街)」という場所にいってみようと考えていたが、気がついたらもう過ぎていたようだ。沿岸の並木道を猛スピードで走っていく。と、突然川が現れた。大きくはないが、どこかで見たことがある。さらに駐車場の看板に「自然公園」とある。そうだった、このあたりには自然公園が広がっていて、とある本で見た写真があの川だった。行ってみようとその場で決め、思い切って下車。ただ、公園の入り口からはかなりアルクーディアの南にある自然公園先に進んでしまった。とことこ来た道を歩いて戻る。道路の東側は別荘やホテル、テニスコートなどが並んでいる。その向こうはおそらく海、そして西側はアシが広がる湿地帯。だいぶ曇ってきたが、歩くにはむしろありがたい。すれ違う車や自転車からなんとなくリアクションを感じつつ、20分ほど歩いて、入り口までたどり着く。
 この日は人っけのない所に行きたいとも思っていたので、ここはぴったり。1キロほど奥まで入ってみる。風に揺れる草の音、水鳥の鳴き声と水の音。曇り空から差し込んでくる太陽の光がきれいだ。
 バスがらみの喧騒をようやく忘れ、しばらくのんびりとした気持ちで過ごした後、今度は川に沿って、そのまま海に行ってみることにした。道路からはほんの200メートルほど。マヨルカでもかなり大きいビーチだ。どの海でもそうだが、まったく、この青さはなんなんだ。遠浅の海の色が何層にも分かれている。しかしこの日は風が強い。遊泳禁止の赤旗が立っているので、海水浴客はみんな撤収に入っており、代わりにヨットが楽しそうに泳いでいた。
 帰りのバスもなぜかいっぱい。そこで、途中まではしばらく歩いて戻ろうと、てくてく歩く。それにしてもスーパーが多い。ただ、ほとんど英語の看板。おそらく、このあたりは主にイギリスの英語圏、そしてホワイト層の人々の別荘地なのだろう。だれか知っている人がいるのでなければ、ちょっと歩きづらいかも。でも、こういう所を知るのもまた面白いものだ。

ファンホと新パッケージのタバコ●10月6日(月)Pollensa

 それから1ヶ月後。今度は11時のバスに乗る。1時間ほどでポジェンサに到着。前回行ったポジェンサ港から少し内陸に入った、マヨルカ島でも一番北の地域にある街だ。ここには友人のファンホ(レポート5に登場)が住んでいる。7月以来しばらく会っていなかった。いきなり電話をしてみようかな。
 と、バスを降りた場所で携帯を取り出したところに、「チエイ!」と僕を呼ぶ声が。なんとファンホがいきなり目の前に自転車で登場。お互いびっくり。小さい街とはいえ、なんと運のいいことか。
 ちょうど彼はパンを買いに行くところだった。一緒についていき、古い静かな街並みを堪能しつつ、そのまま家におじゃますることになった。ファンホの家はモロッコの民芸品の店で、ここも実は夜に連れてきてもらったことがある。ウードなどの楽器もおいてあり、自然とセッションが始まった。彼がタバコを取り出すと、なんとジョージ・ブッシュの写真が入った新聞記事が差し込んである。最近のタバコのパッケージには、「Fumar Puede Matar(喫煙は死をもたらす)」なんていうちょっとやりすぎの注意書きが大きく載っているのだが、彼は「Fumar(喫煙)」の部分だけを隠すようにブッシュの顔をはめこんでいる。しかも記事はアラビア語。んー、黒い傑作だ。
 お昼もごちそうになる。ファンホのお父さん特製のオジャ(鍋料理)。鶏がらベースのスープにニョッキのような浮き身やゆで卵が入っている。味もまさに“おじや”。この日は曇り空でけっこう寒い日。体も心もとても温まった。自家製のコロッケもおいしい。ちなみにスペインのコロッケはポテトコロッケよりもクリームコロッケがポピュラーで、これは鶏肉が入っている。デザートはなんと柿。完熟するまでとっておいた実を半分に切って、そのままかぶりつく。ちなみにスペインでも日本語で「カキ」という。柿は日本からの外来種なのだ。
 愛犬「カマロン」とたわむれた後は、外でファンホの友人たちとカフェを飲む。彼らはみんなポジェンサ出身なのか、しゃべる言葉はみんなマヨルカ語。さっぱり分かりません。カタルーニャ語とほとんど同じなのだそうだが、標準スペイン語---カスティーリャ語とは発音がまったく違う。時々フポジェンサの眺望ァンホが訳してくれるのをみて、途中からはみんなカスティーリャ語に合わせてくれた。ファンホと友達のマルセロ、その兄のトニーは一緒にパーカッションのグループを組んでいる。去年僕も練習に連れて行ってもらい、シャカシャカしてきた。彼らは来年、リオのカーニバルに参加する計画を立てているそうだ。
 パルマ行き最終バスの前のわずかな時間を使って、ファンホと丘に上ってみた。広場からのびる階段の上には小さな教会があって、そこまでは365段ある。上りも下りも数えてみるが、途中で2人とも挫折。昼にいただいたワインとその後の会話の席で飲んだマヨルカのハーブ酒(40度)がよくまわる。でも、階段の数が365段あると言われているのだから、まあいいか。
 展望台からの景色は素晴らしかった。ポジェンサの街が眼下に広がり、ポジェンサ港やアルクーディア、その間のポジェン教会への階段サ湾、さらにその向こう側にはフォルメントールへと続く半島まで見渡せる。僕にとって今までで指折りの景観だ。
 反対側にも、マヨルカで一番高い「Puig Major」という山が遠くに見える。ちなみにファンホの話によれば、かつてはもうちょっと標高があったそうだが、米軍が地中海域の飛行機や船を管制する目的で山頂に基地を作ったため、削られて低くなってしまったという。なんだかなあ。
 島内の他の街もそうだが、北東部もまた、もう一度来たいと思わせてくれる。そこに友人がいればさらにイメージも変わるし、楽しみも一段と増える。世界中にこういう場所を持てるといいなあ、なんていう夢を抱きながら、パルマに帰るバスの中でほろ酔い気分に浸るのだった。


(写真上から: アルクーディアの南にある自然公園/ファンホと新パッケージのタバコ/ポジェンサの眺望/教会への階段)



レポート20   「秋祭り日記」


2003.10.14(火) --- Palma de Mallorca

 秋ともなると、人々もバカンスを終え、普段の生活に戻っていきます。僕もそれに合わせて再びイベリア半島へ行ってみることにしました。

●9月8日(月)~10日(水)Palma-Madrid

 いつもの代理店で手に入れたチケットを手に、一路マドリッドへ。いつもお世話になっている「アルボル」に泊まることに。
 マドリッドに留学で来ている友人のあっちゃんに会いにいく。バルで閉店間際まで食べて飲んで話した後、チョコラテリアに連れて行ってもらう。マドリッドではチューロを熱いチョコレートにつけて食べるのがポピュラー。このチューロはTDLのチュロスのように甘くてシナモンがかかったものではなく、練った小麦粉を搾り出してあげたシンプルなものだ。カフェとの相性も良く、朝食にもうってつけ。
 翌日、宿がいっぱいだったので、探すことに。マドリッドの目抜き通りであるグラン・ビア沿いに宿を確保して移動。複数のオスタルが入居している建物で、部屋のコンディションはだいたいどこも同じ。ただ、高層階ほど料金が高くなるようだ。
 せっかくなので、夜はフラメンコのタブラオに行ってみようと思い、「カフェ・デ・チニータス」に予約の電話をかける。マドリッドに来る際、ベンハミンに「親戚が弾いている」と教えてもらっていたので聞いてみたが「今は弾いていない、どこにいるか分からない」との返事。ちょっと情報が古かった……のかな。
 でもマドリッドの老舗だけに、どんなアーティストが出るかが楽しみだ。おっと入り口にはトマス・デ・マドリーの大きな写真が。んー、若い。そしてショーは期待通り、とても楽しむことができた。音響は一切カフェ・デ・チニータスのステージ使わない、生音でのフラメンコ。特にペパという女性の踊り手はズボンを履いての男振りで踊り、圧倒的な存在感を見せてくれた。
 外に出るとかなり寒い。マドリッドは内陸なので朝晩は冷え込む。夏が厳しかっただけに、より体が震えるが、ほんの少しだけ懐かしくもあった。
 水曜日はあっちゃんの大好きなサッカーにからみ、R・マドリードのホームスタジアム、サンティアゴ・ベルナベウに連れて行ってもらう。熱心なレアルファンでもある彼はもうここで何試合も観戦したそうだ。テレビで見ていてもよく分かるが、サッカーの、少なくともヨーロッパのクラブチームの試合では、ホームとアウェーの違いはあまりにも大きい。それは移動云々ではなく、観客、すなわちサポーターが味方か敵かという一点に尽きると思う。もちろんここはR・マドリードの本拠地だから、すべてはレアルのために。白いスター軍団のグッズ店からは、スタジアムの中がのぞける。あっちゃんはこの日の約1週間後に開幕した欧州チャンピオンズリーグの試合にも応援しに行ったというから、うらやましい。

●9月11日(木)Madrid-Jerez

 アトーチャ駅に向かう。この時期、アンダルシア地方のヘレスで秋祭りがあり、さまざまなイベントが行われている。その内容はずばり、ヘレスの3大シンボル、馬、シェリー酒、そしてフラメンコ。せっかくイベリア半島に出てきたのだから、これはもう行くしかないでしょう。
 去年利用したときは長距離列車が発着する側の構内が工事中だったが、ほぼ完了してきれいになった。利用者は一度エスカレーターで上に上がり、検札と荷物チェック(X線)を通る。そういえばこの日はアメリカの同時多発テロからちょうど2年にあたり、よりチェックが厳しく行われているようだ。チェックの先はAVEやアラリス(バレンシア行き)などの利用者専用のサロンになっていて、発車時間になるとゲートに並んでホームへ。まるで飛行機に乗るみたい。
 アンダルシア地方に向かうにはAVEが便利だが、高いので、2回目以降となると、どうしてもより安いほうを探す。でもバスでの長距離移動はちょっと苦手なので、やっぱり電車がいい。そこで、カディスまで走る「アルタリア」という特急に乗ることにした。車両の構造はタルゴとほぼ同じで、マドリッド―セビージャ間はAVEと同じ線路を時速200キロくらいで走る。セビージャ・サンタフスタ駅の手前で在来線に入り、出発から4時間ほどでヘレスに到着。
 5月に来たときにもお世話になっているKenさんとYuukiさんの紹介で、サンティアゴ街にあるマリアの家に部屋を借りることができた。これまで男性を泊めたことはないそうなのでやや緊張するが、浴室に鍵を取り付ける工事をして準備OK。
 イベントのパンフレットを見ると、今日からペーニャでのフラメンコが始まるとのこと。
 今日の場所は「ぺーニャ・テレモート」ヘレスのカンタオール、故・テレモート・デ・ヘレスにちなんだペーニャで、息子のフェルナンド・テレモートたちが作ったもの。新しくできたので、市の中心地から離れた住宅地の中にある。途中までバスで行き、道をあちこちでたずねながらようやく着いた。
 テレモートの親戚や、その仲間たちが椅子をずらっと囲み、次々と出てきては歌い、踊る。来て早々、すっかり堪能してしまった。

●9月12日(金)Jerez

 借りた部屋と同じ広場内にはKenさんの住む家もある。この日、その家のオーナーのご厚意で、ヘレスに来ている日本人を招待したパエリアパーティーがあった。マリアに誘われ、僕も途中から仲間に入れてもらった。ひと通り食べ終わった後は自然にフィエスタになる。そこには、オーナーの親戚か友達の息子がいたのだが、彼の踊りがものすごい。まだ小さい男の子なのに、もうバイラオールとしてのすべてを心得ているような、そんな存在感を見せてくれた。
 今日からアスンシオン広場の特設会場でもフラメンコのイベントがある。ヘレスのフラメンコにおける重要な地区、サンティアゴ街の人々が登場。カンテではティア・フアナ、アントニオ・エル・ピパのおばあちゃんが、あの声を聴かせてくれた。ギターではニーニョ・ヘロらが出演。2人とも2000年にスペインに来たとき、セビージャのフェスティバルで見ている。ティア・フアナはエル・ピパ舞踊団の公演で、ニーニョ・ヘロは、実は名前は初めて知ったのだが、顔と音は覚えていて、確かチャノ・ロバートのグループと一緒に出ていたはず。そのたたずまいもさることながら、その音とパフォーマンスには強烈な個性を感じる。一音聴くだけで、「おっ、彼のギターだ」と思える、ムイ・フラメンコなギタリストだ。

●9月13日(土)Jerez

 借りている部屋にはキッチンがあるので、やっぱり「食」の欲望が頭をもたげてくる。市場へ行きましょう。カディスで水揚げされた海の幸が豊富にそろい、しかも安い。仕入れ品はマグロ(たぶん本マグロ中トロ)、ムール貝、車エビ、シャコ。量はご想像におまかせします。調理法と味付けはシンプルに。マグロはレアに焼いて、塩コショウ。ムール貝は白ワイン蒸し。エビとシャコは塩ゆで。そのスープもいただくことに。うまかです。これでコストは魚介類分のみ、1人あたり800円前後。でも食材の安さに慣れすぎてしまうと、日本で買い物をするときに問題になりそうなので、要注意。
 夜は闘牛場で、ヘレスの秋の恒フィエスタ・デ・ブレリア例イベント「フィエスタ・デ・ブレリア」が開催。今年で36回目だそうだ。夜の10時過ぎに開演。第1部は大勢のアーティストによるフィエスタ。特に素晴らしかったのは、ソルデーラ一族の「エル・ボ」。フラメンコの多くのCDに参加しているので名前は知っていたが見るのは初めて。まめにマイクをセッティングしているので「スタッフなのかな」と思いきや、いきなり飛び出してシャツを上へ下へヒラヒラさせながら歌い、抜群の運動神経で一振り。鮮やか。
 第2部は、ヘレスのフラメンコギターの大御所で、Kenさんの師匠でもあるパリージャ・デ・ヘレスが登場。フラメンコを知る人には説明するまでもない、歌手パケーラのギタリスト。現代フラメンコの音楽には欠かせないパリージャ3兄弟のおじさん。メロディーはシンプルに、だがこのよどみなさ、体の中に気持ちいいくらいスルスルと入ってくるこの感覚。さすがにマエストロだ。パリージャの後はフラメンコファミリーによる演奏と続く。
 第3部は踊りから。メルセデス・ルイスが登場。いいバイレを見せてくれたのだが、僕はこの時休憩明けで戻るのに間に合わず、後ろから見たのでちょっと悔しい思いをした。
 席に戻ったところでカプージョ・デ・ヘレスのステージに入る。ニーニョ・ヘロのギターで爆発カンテ。みんな総立ちになる。
 最後はゲスト、レメディオス・アマジャ。僕もCDをよく聴くし、ここでも人気があるはず。と、ここでちょっとした「事件」が。カプージョのカンテを身を乗り出して聴いていた客がいきなり腕を組んで椅子にもたれかかる。後ろからは歓声の指笛ではない、どちらかというとブーイングらしき笛が飛んできた。レメディオスはヘレス出身ではないのだが、それにしても一体この反応は・・・。最初は歌いにくそうだったが、マイクを捨てて一生懸命客席にアピールする。もちろん数的には好意的に聴く客が多いと思うので、後半はけっこう盛り上がり、3時半過ぎにコンサート終了。とても楽しむことができたが、何かひっかかるものを感じつつ、帰路についた。

●9月14日(日)Jerez

 眠い目でテレビの画面に目を向けると、ヘレスのローカル局「Onda Jerez」でこの秋祭りの様子が放送されている。ちなみにこの祭りはブドウの収穫祭のセレモニーで始まったそうだ。もちろん、ヘレスのワイン、シェリー酒のためのブドウだ。さすがにヘレス、市のスポットCMもブレリア調だった。
 日曜なので店は閉まっているが、秋祭りの期間中なので、子ども向けの人形劇や路上パフォーマンスなど、いろいろなイベントが行われている。
 この日の夜はヘラルド・ヌニェスのコンサート。アスンシオンでは4夜連続で、ギターをフィーチャーしたコンサートが行われた。変則の調弦を多用して、独特の音世界を展開する。特にダブルベースとのからみが素晴らしく、印象に残った。ヘラルドは、その技術ではフラメンコギタリストの中ではおそらく3本の指に入るであろう。まさに超絶技巧を駆使して、まったくミスのない、「サイボーグ?」と思うような完璧な演奏をしてくれた。CDで聴いた限りではやや機械的なイメージがあったが、やはりライブでは熱かった。ゲストのカンテやバイレを入れても自分のスタイルを崩さないのは大事なことだと思う。

●9月15日(月)Jerez

 すっかり体は夜のコンサートのためだけのモードになっている。とりあえず買い物に行く。と、市場の前のバルには俵英三さんと大沼由紀さんが。そのまま会話の席に入れてもらう。フラメンコも含めて、スペインに来ている日本人の間では、マヨルカに住んでいるというのはやはり珍しい方なのだと思う。それでも前向きに興味を示してくれたのは、とても嬉しかった。俵さんはスペインに20年以上住んでいるそうだが、スペインに来てまだ間もないころ、なんとコスタ・デル・ソルのタブラオでベンハミンと一緒に弾いていたというからびっくり。いろいろと「生きる力」を伝授していただいた。
 今夜はモライートの息子、ディエゴ・デ・モラオのコンサート。彼も変則チューニングを駆使。父とは違う表現で楽しませてくれた。ここでゲスト、ディエゴ・カラスコが登場。ビデオでは見たことがある。そして、期待通りのことをしてくれた。ギターを振り回しながらステージを左へ右へ。一度聴いたら忘れられないその声。ごちそうさまでした。もう1人のディエゴ、ピアニストのディエゴ・アマドールのピアノもいい。コンパス感あふれるブレリアを聴かせてくれた。こちらも大満足。

●9月16日(火)Jerez

 少し疲れたので、今日は休もうか、と頭を切りかえて、スーパーへ足を運ぶ。ワインのコーナーにたどり着いたのが運のツキ。一本選び、ついでに、一度作ってみたかった料理の食材をそろえる。時間と食べかけですいません手間を省くために、今回はゆでてあるガルバンゾ豆、冷凍ほうれん草、トマトソースの缶を買う。ほうれん草を解凍して炒め、ガルバンゾを加えて軽く味付けをし、そしてクミンをたっぷりといれる。この風味が重要。最後にスプーンでトマトソースを加えつつ塩で味を決め、オリーブオイルを一周させてできあがり。セビージャ風ほうれん草炒め。うん、われながらうまくできた。
 パコ・セペーロのコンサートに行こうと思うが、どうも体が重い。「Onda Jerez」でも生中継しているので、テレビにしようか。でも帰ってきたマリアが行きたがるので仕方ない。
 この一連のコンサートで、途中で後ろから入るのは今日が初めて。街の中心部、しかも無料ということで、もう人がいっぱい。なんとか席を確保するが1つだけ。そこで、なんとマリアとシェアして座る。2人とも大きいので、どちらかが立つとちょっと危険です
 終演後、会場に来ていた友人たちと合流し、ペーニャへ足を運ぶ。ここはソルデーラのペーニャで、僕がいいなと思ったエル・ボの姿もあった。ギタリストは若い。アントニオ・デル・モラオという名前から、モライートの親戚だろう。髪型から衣装まで、まさにダビ・ビスバル。いきなり立ち上がってターンしてくれたら面白いかも。さすがにブレリアは水を得た魚のごとく、元気な演奏を見せてくれた。モライートのフレーズも多用する。彼のメロディーやスタイルはヘレス・スタイルのギターに本当に大きな影響を与えているのだなと思う。

●9月17日(水)Jerez

 アスンシオンでのコンサートも1つのクライマックス、モライートが出演。そしてゲストはホセ・メルセ。ちょっと早めに並んでみるが、2時間前から開場を待つ人でいっぱい。開演1時間前にゲートが開くと一斉に駆け込む。通路右側から席を確保、と思いきや、いきなり左からショールが飛んできた。一列私たちの所よ~。なるほど、みんな自分だけでなく、家族や友達の分までとらなくてはいけないのだ。なんとなく「間」におさまってしまい、走ってくる客を尻目に仕方なく後ろに下がるが、予定が変わったらしく、最初に行った場所に席を空けてもらった。
 コンサートはモライートのソロから。一音一音の説得力がすごい。そして何より、聴いている側にストレートに伝わってくる。彼のギターが多くの人に愛される理由が改めてよく分かる。ブレリアのあの調子。
 ホセ・メルセ。持って行ってくれました。うまい。モラオのギターも一段と脂がのる。ファンダンゴでは、歌の終わりの部分でもまるで「拍子木」を思わせるしめくくり方。堪能してしまいました。
 その流れでペーニャへ。余韻に浸りたい気もあったが、せっかくなので足を運ぶことに。サン・ミゲル地区にあるペーニャ、その名も「エル・ガルバンソ」。面白いことに、歌の雰囲気やペーニャ内の空気も、これまで聴くことの多かったサンティアゴ地区のペーニャとは違う。ヘレスの中でもいろいろなスタイルがあるというが、聴いてみると少し納得できる。今日の歌手がそうだ、という点もあるだろうが、なんというか、穏やかな感じがある。この違いはとても興味深かった。

●9月18日(木)Jerez

 ちょっと一息。

●9月19日(金)Jerez-Sevilla-Sanlucar-Chipiona

 セビージャに行く。簡単な用事を済ませるが、かなり時間があいたので、サンルーカル・デ・バラメダに足をのばしてみる。だが、バスの降りる地点を間違えて、町の入り口で降りてしまった。中心部まで歩くこと40分・・・。
 気を取り直して、グアダルキビル川の河口にあるこの町は、マンサニージャ酒の産地でもある。味も製法もシェリーとほぼ同じ。そもそもシェリーという名称はヘレス近辺でとれたブドウでつくったワインにのみつけられるのだが、まるでどこかの牛肉みたい。
 ボデガの前のバルで一杯。魚介類のタパスとよく合う。しばし散歩して、そのまま海沿いにチピオナまで行くことにした。バスで15分ほど、ホテルや別荘が立ち並ぶ、カディス県のリゾート地。でも9月なのか、もう人の姿はまばら。でも逆にそれが、静かな海岸の景色を僕にくれた。

●9月20日(土)Jerez

 マリアの話によると、今日はヘレスの王立馬術学校でショーがあるという。一緒についていくが、どうも今日は招待のみの日だったようだ。だがマリアも引き下がらない。すると、門の係員が懐から招待券を2枚出してくれて、中に入れてもらってしまった。
 馬のショーを楽しむ。マリアは馬が大好き。彼女の顔もどことなく馬に似ている。人は好きな動物に顔や習性が似るものだと僕は考えている。ちなみに僕は猫が好きだが、顔はともかくとして、少なくとも自分の行動パターンは猫に近いとは思う。
 今日はアスンシオン広場での最終日。ゲストはエル・チョコラーテ。僕の好きなカンタオールの1人で、肌の色はまさにその名の通り。渋い歌を、渋く歌い上げる。
 だが、先にゲストが出てしまった。果たして今日のコンサートはどんな人たちなのか、と思ったら、袖からゆっくりと出演者たちが出てきた。みんな杖をつきながら、何かしゃべりつつ、よっこらせと座る。「アイー」という声をマイクが拾う。その時、メインのマリア・ソレアが手を引かれつつ登場。このタイミングの絶妙さに客席からは大歓声。今日はヘレスの長老たちのステージ。これだけのメンバーを、しかも最終日にもってくるとは、このイベントのプロデューサーもやるもんだ。

●9月21日(日)Jerez

 馬のパレードを見に行くが、もう過ぎた後だった。文字通り「後塵」を拝す。
 Kenさんの家におじゃまして練習。モライートのコンサートのビデオを見ながら、タンゴのフレーズのコピーを一緒に試みる。
 今夜からはアルカサル裏の広場でコンサート。歌手のロリータが出演。なお、いわゆる「ロリータ」ではなく、ローラという名前の愛称です。念のため。テレビのバラエティ番組やCMによく出ているので知っている。母親のローラ・フローレスはヘレス出身で、ロリータも感慨深かったのだろう、最後は涙の熱唱。
アルコスの展望台から
●9月22日(月)Jerez-Arcos-Jerez

 朝早く出る。前から行って見たかったアルコス・デ・ラ・フロンテーラへ日帰り旅行。30分ほど内陸へ入ると、崖の上に立つ白いアルコスの町が見えてきた。ふもとのバスターミナルから20分ほど坂を上り、旧市街の中心に到着。展望台からアンダルシアの風を満喫する。と、細い小道で何やら準備している。案内所で聞いたところ、この通りで料理に関するイベントがあるらしい。開場を待って中に入ると、マンサニージャ酒でお出迎え。地元のホテルやレストランがテーブルを並べて、ここを訪れた観光客に、郷土料理の数々が無料でふるまわれる。主に宿泊客が対象なのだろうが、僕もちゃっかりごちそうになる。
 と、奥からプレートを持った一団が現れた。デモであることはすぐにガストロを満喫分かったが、見ると、特定のホテルに対する抗議文が書かれている。ちょっと難しいことが書いてあるが、「未払い」がどうのこうのとか、「バルセロナからやってきたお前たちが我々の仕事を奪った」とあるので、内容はある程度理解できる。観光地であっても、ここは小さい町。土地や観光ビジネスに関するトラブルが起こってしまったのだろう。満腹になりながらも、ちょっぴりほろ苦さも感じつつ、その場を後にすることに。
 ヘレスに戻る。今夜はポップ・フラメンコの若手グループ、ナバヒタ・プラテア。地元だけあって声援が飛び、フアニャーレスもゲストで登場。最後のブレリアによるフィエスタでは半ズボンのニーニョ・ヘロも弾く。
ホセ・メルセのコンサート

●9月23日(火)Jerez

 フラメンコイベントのトリはホセ・メルセ。ギターはもちろんモライート。何もいうことはありません。


●9月24日(水)Jerez


 今日はヘレス・ローカルの祝日。みんな閉まっているので家でゆっくり。明日はグラナダに行ってみる予定。
 午後、Virgen(聖母)が街を練り歩く。肌の色はなんと茶色。黒いVirgen。何か歴史を感じてしまう。到着したところの近くでは、秋祭りの終わりを告げる花火が。普通に街のど真ん中で、何かの倉庫の前らしきスペースから打ち上げ。しかも「開花」の地点がやけに低い。ほぼ真上で空いっぱいに柳。感動よりもスリル。火災報知器が鳴る。石造りの家が多いスペインならでは……なのかな。
黒いVirgen
祭りのあと
(写真上から: カフェ・デ・チニータスのステージ/フィエスタ・デ・ブレリア/食べかけですいません/アルコスの展望台から/ガストロを満喫/ホセ・メルセのコンサート/黒いVirgen/祭りのあと)
(おわり……2003年10月16日、帰国しました。) 

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