ビバ・アンダルシア 〜スペイン旅行記2000〜



 2000年の9月に短期でスペインを旅行してきました。今回のトピックス追加にあたり、「番外編」として掲載します。旅行記の内容はもちろん実体験に基づくものですが、会話の内容などは自分がそう読み取った部分、あるいは自分の言った内容がそう伝わっているといいな、という期待も含んでいるのであしからず。(小林智詠)


2000年 9月18・19日(成田〜パリ〜マラガ)

 成田空港についたのはもう日が暮れた午後7時。生まれて初めて乗る飛行機は夜の便であった。現在、日本からスペインへの直行便はなく、ヨーロッパ内で乗り継ぐしかないのだが、今回はパリ経由でスペインに入ることに。機内で夜を明かし、19日の昼頃にはめでたくスペイン入り、という計算だった。日本からスペインに行く場合はだいたい首都のマドリッドかバルセロナに入ることが多いというが、僕は最初から南部・アンダルシア地方に限定して旅行しようと決めていたので、南部の都市であるマラガへ直接行くことにした。マドリッドのホテル代とそこからの交通費も浮くしね。
 飛行機は21時55分に出発。無事に離陸してひと安心。パリまで約13時間のフライト。うわさには聞いていたが、エコノミーはかなり狭く、電車の特急くらいの座席で前後がつまっているので、やや大柄な僕にとってはきつい。予想通り、体のあちこちが痛い。ついファーストやビジネスがうらやましくなる。料金はそれぞれエコノミーの3倍、2倍(普通運賃比)というから、座席も待遇もそりゃ違うだろう。空港内にはファースト・ビジネス用のサロンもある。一応成田でチェックインするときに「あのう、シャルル・ド・ゴール(パリの空港)でだいぶ待ち時間があるんですけど……」と言ってみたが、結局サロンの利用パスはもらえず。
 さて、お尻をさすりつつ、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは19日の午前4時半(現地時間)。マラガに入るためにはここから同じパリにあるオルリー空港に移動しなければならないのだが、ここで僕はあることに気づいた。「フランス語……」。そう、僕はフランス語がしゃべれない。機内で配られたフランスの入国カードを見て嫌な予感がしていたのだが、さあどうしよう。スペイン語に気をとられて、フランス語のことなど全く考えていなかった。まあ、「ボンジュール(こんにちは)」「ウィー・ノン(はい・いいえ)」「メルシー(ありがとう)」「シルヴプレ(お願い・どうぞ)」ぐらいでなんとかなるだろう、と思い、結局なんとかなってしまった。空港の人は英語でも応対してくれたので、乗り継ぎカウンターでも、バス移動でも、カフェでも、「ボンジュール」で始まり、細かい内容は英語でふんばり、最後に「メルシー」で終わり。ああよかった。しかし、なんだかなぁ。
 オルリー空港からマラガ国際空港までは2時間半ほど。ラッキーなことに同じ便でマラガに行く日本人の女性がいたのでご一緒することに。彼女はマラガに何度か語学留学で来ているというので、マラガのホテルにつくまではだいぶ気が楽になった。
 不思議なもので、現地を知る日本人がそばにいるだけでも、かなり気分が変わるものだ。余談だが、僕の知り合いで南米のペルーに行った人がいて、そこでは以前から友達だったペルー人に街を案内してもらったという。その街は彼の地元なのだが、知人によれば、実はガイドから事前に「危険区域です」と教えられていたところだったのである。しかし、その街が友達の生まれ育ったところであるというだけで、知人は不思議な親近感を抱いたそうだ。僕の場合、フラメンコを通してスペインには愛着を感じていたが、実際に行くとなるとやはり緊張や警戒心を持たずにはいられない。だが今回の旅で、僕は前に書いたようなことも含め、この知人と同じような気持ちを実際に何度か味わうことになる。
 マラガに着いて、タクシーで市内のホテルまで移動。留学生の彼女とはここで別れ、ホテルに無事チェックイン。部屋に入るとさすがにどっと疲れが出る。時間は午後2時。スペインと日本の時差は8時間だが、10月末まではサマータイムのため、このときは7時間。よって日本ではもう夜の9時。移動でまる1日かかってしまった。やはり直行便がないのはちと苦しい。
 休むと面倒くさくなるだろうからと今まで来ていた服を洗濯し、部屋の中に干してほっとひと息。今回僕が持っていった荷物はリュック1つのみ。でかいトランクやキャスター付きのバッグだと1人では動きづらいと思ったので。衣類などは極力減らして、けっこうまとめることができた。
 ベッドに横になる。今はシエスタ(昼休み)の時間。店もシャッターを閉めている。夕方になったら外へ出ようと、ほんの昼休みのつもりで目覚ましもセットせずに寝たのが間違いだった。ふと目を覚ますとあたりはもう暗い。しかも外はやけに静かだ。はっとして時計を見ると…午前2時!…考えてみれば日本では午前9時だから普通か、って、完全に時差ボケじゃん! 飛行機で調整をしたつもりだったのに……本気でヘコみつつ、スペインでの初日は終了。

9月20日(マラガ〜コルドバ)

 夜中の2時に起きて以来ろくに眠れないまま7時半までボーっとしていた。フロントで「朝食は7時半から」と聞いていたので時間通りにレストランへ。パン主体のバイキングでコーヒーなどはおかわり自由。昨日、マラガまでの移動中に機内食を食べて以来何も口にしていなかったのでさすがに腹が減って、はいなかった。だってだって……。
 そんなショック状態の僕を救ってくれたのは目の前に広がる地中海だった。海岸の日の出を生で見るのは生まれて初めてだったので感動してしまった。食事後、海岸を散歩して、ようやく気を取りなおすことができた。ま、旅はこれからだしね。
 ホテルをチェックアウトし、国鉄駅へと向かう。マラガからやや内陸に入ったところにあるコルドバまで特急に乗って2時間強。駅の窓口で切符を買い、構内に入る。う〜ん、すっかり「世界の車窓から」の気分だ。
 番組のテーマ曲を頭の中で流しつつ、駅のカフェで待っていると、英語で話しかけてくる男が1人。風貌はごく普通の、30代ぐらいの白人男性だが、隣の席になれなれしく座ってくるシチュエーションはどう考えてもあやしい。恐れていた犯罪の影をひしひしと感じながらとりあえず半分無視していたが、男はしつこく「セビージャ、セビージャ」と繰り返し言ってくる。なんだ、セビージャへの行き方が分からないのか、と思って耳を傾けたら、なんとその男は「セビージャに行くのに金がないから100ペセタくれ」と言ってきたのだ。現地の通貨であるスペインペセタは数値の上では円と比較して7:10、だから100ペセタは日本円で約70円ということになる。100ペセタではコーヒー1杯(125ペセタ)も飲めないじゃないか。これはますますあやしい。
 「お金はあげられないよ」と言ったのだが男はしつこく「100ペセタだけじゃないか」とまとわりついてくる。そのまま10分ほど断りつづけていると相手は400ペセタを出して「これと500ペセタを交換してくれ」ときやがった。さあ、どうするか。僕はそのとき小銭を持っていなかったので、「わかった。ちょっと待ってくれ」と言って席を立ち、男の様子をうかがいながらカフェのカウンターに行き、自分でコーヒーを注文しておつりをもらい、「これだけしかあげられないよ」と100ペセタを男に渡した。僕はこのとき何よりも、男の次の行動を気にしていた。これをタネにスリやひったくりを仕掛けてくるのではと身構えていたのだが、……男は「サンキュー」といってさわやかにその場から去っていった。なんだったんだ、あの男は。それに僕のとった行動はあれでよかったのだろうかと考えたが、とにかく身の危険は避けられたので、まあよしとしよう。
 この一件のせいで長く感じられた待ち時間も終わり、コルドバ方面に向かう電車がホームへ入ってきた。どんな電車なんだろう、とドキドキする。何を隠そう、僕は子どものころからちょっとした鉄道ファンである。スペインの鉄道に乗ることは今回の旅の楽しみの1つだったのだが、ん?3両?しかも車両の形はいかにも遅そうな雰囲気をかもしだしている……本当に2時間でコルドバまで行けるんだろか。
 ところで、スペインの鉄道は時刻表通りには走らないことで有名だそうだ。1992年にスペイン新幹線「AVE」ができたときに国鉄が「5分送れたら運賃は全額お返しします」と宣言した(?)くらいだから筋金入りだ。
 しかし、もう切符は買っちゃったし、これに乗るしかない。指定席の番号を確認し、座席に座る。車内は結構きれいで内装はJRの特急とさほど変わらない。テレビとイヤホーンもついている。首都マドリッドまで7時間かけて走る特急「インテルシティ」。と、ホームを見ると、若いカップルが何やら抱擁している。そうだな、長いお別れになるしな…って、いつまでやってんじゃい!発車間際まで10分ぐらいずーっとよ。でもなぜか見ていてちっともイヤらしい感じがしない。本当に離れて寂しくなる気持ちをお互いに確かめ合っているようだ。さすがお国柄、文化になっているのね、と自分の孤独を慰めつつ、マラガを出発。
 遅いとなめてかかっていたこの電車、とばすとばす。アンダルシアの大地を時速130キロぐらいで駆け抜けていく。太陽。青い空。白い雲。赤い大地。自分の描いていた南部のイメージがそのまま実像となって僕の目に飛び込んでくる。南部に限って気候の話をすると、地中海沿岸は1年中温暖な地中海性気候で、内陸に入ると寒暖の差が激しくなる。これから向かうコルドバなども、夏は40度を越える暑さになるそうな。今の時期は特に空気が乾燥しており、風にあたっているとあっという間に唇がかさかさになってしまうほどである。
 10分ほど遅れてコルドバに着いたのが2時近く。よりによって一番暑い時間帯に来てしまった。9月とはいえ30度くらいはある。ただ乾燥しているので、日本のそれとは比べものにならないほど過ごしやすそうな感じがした。
 さっそくホテルへ向かうためタクシーを拾う。かなり恰幅のよさそうな運ちゃんだ。せっかくだからとこっちから気候の話を持ちかけてみた。「今日はいい天気ですね」と、スペイン語会話の本に書いてあるそのまんまを言ってみると、「そうだな。でも朝晩は冷えるから気をつけな。真夏は40度から45度になるから俺もいやになるよ。今はちょうどいい時期だ」と、かなりなまりの入った言葉で答えてくれた。アンダルシア地方には「S」と「Z」を発音しない独特のなまりがある。僕が「Estupendo(すばらしい)」となまりを入れて言うと「お、いいぞ」と誉めてくれた。こんなことで喜んでいる僕って幸せ者?
 そういえば、こうして普通の会話をするのはこの旅では初めてのことだった。ホテルでの「予約している〜です」や駅での「コルドバまでツーリスタ(2等)を1枚ください」といった事務的なやり取りは、お互いに必要な情報が伝われば済んでしまうことであり、それ以上のコミュニケーションがない場合も多い。だが、タクシーでの会話のような何気ないやり取りの場合、それまで使ったスペイン語とは違う「何か」を求められている気がする。それは例えば喜び、悲しみなどの感情表現だったり、その場で自分が思っている意見を相手に伝えることだったりというようなものであろう。もちろん、日本語でも同じことがいえるが、僕は現時点であまりスペイン語を知らないだけに、その「何か」についての足りなさをひしひしと感じる。しかしその場に入ればそんなことを言っていられないので、「なんか変な東洋人だな」と思われてもいいから、とりあえず、意思疎通することを第一に心がけた、つもりで、ある。
 旅の日程を話したり、コルドバの見どころを聞いているうちにホテルに到着。かなり豪華なホテルだ。日本で予約する際、現地の施設の詳しい様子はほとんど分からず、賭けに近い状態だったのだが、この日は大当たり。「あちゃー」とつぶやきながらも、予約してしまったからには泊まるしかないもんね、へっへっへっ。
 部屋に荷物を置く。と、セーフティボックス(金庫)を発見。コルドバではしっかり観光したいし、ここには2泊するので、貴重品を入れておこうと思ったのだが、ボタンを押しても反応がない。何をやってもビクともせず、仕方なくフロントへ。カマレロ(ボーイ)に一緒に来てもらうことに。なんとなくバカにしたような顔をしていたので「いやぁ、セーフティボックスは初めてでね」とごまかすとカマレロは「フン」と鼻で笑いやがった。こいつ、完全になめてやがる。
 部屋に戻り、ボックスを見てもらったが、やはり反応がない。さすがにあせったのか、「ちょっと待っててください」と慌てて出ていった。数分後、修理工らしきおっちゃんがやってきた。おもむろに固定されているボックスをはずし、「直してきますからしばらく待っててください」と言った。30分はかかるとのこと。そのとき僕はまだ昼食を食べていなかったので「食事に行きたいんですけど……」と言うと、「それじゃ私が部屋に入れないじゃないか。待っててくれよ」と返して出ていった。また待つのか。ふと、マラガでの一件を思い出す。まだ2日とはいえ、スペインに来てからは移動かホテルばっかしだ。ひょっとして今日も……だんだんブルーになってきた。
 幸いなことに15分ほどで修理は終わり、貴重品をしまって晴れて外出。こんなにモノがはっきり見えるのは久しぶり、というほど空気はカラッとしている。まるで絵はがきのようだ。レストランで食事を済ませ、是非見たいと思っていたメスキータ(回教寺院)を見学。ここはもともと後ウマイヤ朝期におけるイスラム教のモスクだったが、のちにこの地を「奪還」したキリスト教徒によって中央部が破壊され、カテドラルを造ってキリスト教の大聖堂に転用されたという。歴史的背景、宗教は詳しくないが、この巨大な建築物にはとにかく心を奪われる。とかく宗教に疎い僕でさえ、荘厳な気持ちになってしまうのはなぜなんでしょう。
 美しいイスラム芸術を堪能したあとはしばしの散歩。アルカサル(王宮)も含め、3〜4時間は歩き回っただろうか。7時半になるとようやく暗くなってくるので、そのあたりでホテルへ。ようやく旅行っぽくなってきたと実感。明日は何が起こるかな。

9月21日(コルドバ)

 朝、目がさめるとまだ暗い6時半。昨日寝たのが午後9時くらいだから、久しぶりの早寝早起きだ、なんてね。朝食まで時間があるので部屋のテレビでオリンピック中継(シドニー)を見ることに。
 どのチャンネルでもスペイン代表が出る競技をやっている(当たり前か)。日本代表の様子は自分が見た限りではちっともわからなかったが、その代わり、日本ではなかなか見ることのない「水球」や「乗馬」を楽しむことができた。それから面白いのがCM。とにかくナレーションの多いこと多いこと。どのCMでも商品の画やイメージ映像を流しながら、15秒でも30秒でも喋りっぱなしだった。現在は音楽とのタイアップがほとんどである日本のそれに慣らされているせいか、非常に新鮮さを覚えた。
 さて僕には、コルドバに来たら絶対に会いたいと思っていた人がいる。コルドバ在住のギター製作者、マヌエル・レジェスである。実は、僕はこの人の作ったフラメンコギターを愛用している。去年この楽器に触れて思わず「出会い」を感じ、すっかり惚れ込んでしまった。
 住所はギターに書いてあるものの、それがどこなのか分からなかったので、昨日観光案内所で聞いてみたら、なんとホテルから歩いて10分くらいの所だった。というわけで朝食後、地図で住所を確認してさっそく外へ。
 “Armas”という通りを入っていくと、ごく普通の家にギター工房の看板がかかっていた。ドアのところに“Abierto(開いている)”とあったので、中へ入ってみる。誰もいないので「おはようございます」と2、3度大声で言ってみる。と、奥から白髪の男性が出てきた。見た感じはおじさんというよりもおじいさんだ。確信をもって「あなたがドン・マヌエル・レジェスですか?」と聞くと、期待していた通りの答えが返ってきた。憧れの人に会えてもう感激よ。
 ドン・マヌエルは最初、「怪しい東洋人だな」という顔をしていたが、僕が「あなたのギターを持っています」と言うとさすがに驚いたようで、さっそく帳簿を見せてくれて「この人とこの人が日本人だ、知っているかい?」と聞いてきた。やはり日本人はありがたい「お得意様」であるらしい……。
 ギターの工房へも快く迎え入れてくれた。現在は息子もギターを作っており、日本にも「マヌエル・レジェス・イーホ(息子)」の作品が輸入されている。日本で「親父はもうトシだからギターを作っていない」といううわさを聞いていたのだが、しっかり仕事をしているようなので安心した。
 残念ながら完成品は置いていなかったが、制作中のギターを見せてもらったり、「マヌエル・レジェス」愛用のギタリストについて説明してもらったりして、すっかり世話になってしまった。「ギターは使っていればどんどん音が良くなる。どんどん練習してくれ」という嬉しい言葉をもらい、ドン・マヌエルの工房を後にした。
 中心街をぐるっと周り、楽しみの1つであるバルへ。アルファベットで書くと「BAR」だから、意味はそのまんま。「鳥とジャガイモのプレート(直訳)」とビールを注文。スペインのバルで驚いたのは、とにかくお酒が安いこと。ビール1杯とワイン(グラス)1杯がそれぞれ125ペセタ(約90円)とかなんだから。逆にオレンジジュースを頼むと200ペセタとかするからビックリ。
 店員の兄ちゃんがさかんにこっちを気にしている。「ポージョ(鳥)が分かるか?コーッコッコッコ」とかなり調子がいい。料理ができたときも鳴きマネをしながら運んできた。こちらも負けじと「コーコッコッコッ」と首を振りながら食ってやった。
 昨日見学したメスキータの脇にフラメンコのタブラオ(フラメンコ用の舞台がある店)を発見。広告をよく見てみると、見覚えのあるギタリストの写真が飾ってある。おっ、メレンゲ・デ・コルドバじゃないか。僕、この人の教則ビデオを持っているんですよ。コルドバのギタリストでマエストロであるメレンゲ・デ・コルドバは、現在活躍している多くのフラメンコ・ギタリストの先生でもある。そのうちの1人、ビセンテ・アミーゴは僕の好きなギタリストの1人で「マヌエル・レジェス」を弾きこなす若き名手である。
 ショーは夜の10時半から。比較的伝統スタイルの踊りと音楽で、メレンゲ自身が説明を加えながら進行していった。客はほとんどフランスやドイツからと思われる観光客で、それも「フラメンコは初めて」っぽい人ばかりだったので、「本場の雰囲気を」というわけにはいかなかったが、なかなか見ごたえのある楽しいステージだった。
 このころになると当初の悩みだった時差ボケもすっかり解消し、ますます旅が楽しくなる、はずだったのだが……。

9月22日(コルドバ〜ヘレス)

 僕にはもう1人、スペインに来たら会いたい人がいた。日本人で現在セビージャでフラメンコ舞踊を勉強中のトモコさんである。彼女とは日本にいる時からフラメンコを通しての知り合いだった。ホテルをチェックアウトしてから、僕の行きつけのギター屋から教えてもらった電話番号にかけてみる。実はこのとき、まだ23日・24日分の宿泊先が決まっていなかった。日本ではセビージャの宿泊を確保できなかったのである。でもせっかくだからセビージャにも泊まりたい。だから、あわよくばトモコさんに紹介してもらおう、と調子のいいことを考えていた。しかし日本にいるときはそれほど親しいわけでもなかったし、もう忘れられているかもしれない。果たしてどうだろうか。
……相手がかすれ声で「はい」と出る。緊張しながら「あのう、小林智詠と申しますけど」「あっ、ちえいくん?」よかったー、覚えててくれた。「実は今、コルドバに来ているんですよ」といきなり言ったので向こうはビックリ。申し訳ないと思いながらも、しめしめとさらにたたみかける。「明日セビージャに泊まりたいと思うんですけど、どこかいい所ありますかねぇ」すると、「ああ、それなら、友達にも紹介したオスタル(家族経営などの小規模ホテル)があるから、一緒にあたってみようか」。おおっ、いきなり会えそうだ、これはラッキー。明日の昼頃にセビージャの鉄道駅かバスターミナルで待ち合わせることを約束し、電話は終了。
 よく海外に出ると性格が変わるというが、けっこう積極的になっちゃうもんですねぇ。日本ではこんなふうにはできないんですよ、僕は。
 コルドバ駅にて。特急券を買うため窓口に並んでいると、前にいるじっちゃんが2人、窓口の人とやり取りをしている。どうもAVE(新幹線)の席を予約しているようだが、なんとじっちゃん、10枚以上購入しようとしている。窓口の人も困った感じで、延々と確認やら何やらやっている。隣の列はどんどん進むのに自分の列だけちっとも動かず。もう電車がきちまうよ。それに後ろの兄ちゃんが今にもじっちゃんにカラみそうな雰囲気だ。と、ようやく終わったようで、めでたく切符を購入。駅ではもうちょっとゆったり過ごしたいよ。
 これから僕が乗るのは「タルゴ200」という国際特急で、軌道(線路)の幅が違う路線でも車軸を変えながら走れるというスグレモノ。ちなみにスペインは他のEU諸国と軌道が統一されていないらしく「鉄道鎖国」とも呼ばれている。日本の鉄道でもいくつか軌道の種類があるが、徐行しながらガチャンと台車の幅を変えるのはスペインならでは、かもしれない。
 コルドバからヘレスまで約2時間半。途中、明日下車予定のセビージャを通り、午後2時過ぎにヘレスに到着。またシエスタ(昼休み)の時間に来てしもた。
 シエスタについて。スペインでは学校でも会社でもお店でもシエスタがあり、だいたい午後2時から4時あるいは5時まで昼休みを取る。各々自分の家に帰り、家族みんなでゆ〜っくりと昼食をとるのがこの地の習慣だそうだ。3食のうちで重点が置かれるのは昼食で、2時間くらいかけて大量に食べるらしい。今度、一般の家庭を訪れる機会があったらぜひ、それを経験してみたいものだ。よってスペインの都市部では通勤・通学ラッシュが4回あるとのこと。
 外に出ると、やはり街はシ〜ンと静まり返っている。お店は見事なまでにそろってシャッターを閉めている。銀行まで閉まっているのにはさすがに驚いた(ATMは別)。とりあえずホテルに行き、荷物を置いて静かな街を散歩することに。
 バルで食事でも、と思ったが、そこの客はほとんど食べ終わっているようで、みんなグラスを片手に店員と談笑している。そこで1人食べるのはどうも気が引けるし、それほど食欲もなかったのでビール1杯だけ飲んでさっさと出てきてしまった。今朝までの積極性はどこへやら、場に対する「主体的参加」がまったくできなくなっている。しかも暑いので余計にアルコールがまわる。フラフラになるのを抑えながら、気の向くまま4時間近くも歩き回ってしまった。
 ここ、ヘレスの街は「フラメンコの本場中の本場」と言われるほど、フラメンコの盛んな場所で、多くのアーティストを輩出している。僕はそこの空気をなんとか吸おうと、感じようと、少々無理をしてしまったようだ。入り組んだ細い道と似たような広場の連続に迷いながら、特に目立った収穫もないまま、この日はしぶしぶとホテルに帰った。もっと行き当たりばったりの方が良かったかな、と反省しつつ、何も食べずにその日は就寝。まあ、こんな日もあるさ。明日はいよいよセビージャへ行くしね。

9月23日(ヘレス〜セビージャ)

 昨日、朝食しかとっていないせいか、かなりお腹がすいている。そりゃあんなに歩いた後だもの。でも朝食があるだけでもありがたいものだ。日本で予約しておいたホテルには全て朝食がついており、正直かなり助かっていた。しかしながら、せっかくスペインまで来たのに食事をホテルで出すオードブルに頼っていてはもったいない。もっと食べることを楽しまなくちゃね。
 ヘレスからセビージャへはバスでも鉄道でも約1時間。どちらにしようか迷ったが、快適さを考えて鉄道に決めた。実は今回、乗ろうと考えていた路線については、旅行前にインターネットで時刻表を調べることができたのである。便利になったものよのう。
 ホテルをチェックアウトした後、昨日押しかけ電話をしたトモコさんに連絡し、お昼ごろに駅で待ち合わせることに。時間があったので、タクシーの運ちゃんに頼んで駅に向かう前に観光案内所に寄ってもらった。もちろん、これには理由がある。
 ここ、ヘレスはシェリー酒の街としても知られている。なんと36ものボデガ(酒蔵)があり、その多くは見学者を受け入れているという、ときたらぜひ一度はのぞいてみたいものだ。ガイドブックに主なボデガの見学時間は書いてあったが、ガイドブックの情報は内容によってはかなり昔のものだったりするらしい(実際にそうだったという話を聞いた)。だから念のため確認しておきたいと思い、案内所に寄った、ということ。25日にまたヘレスに来るので、そのときに見学することにした。楽しみだなあ。
 駅へついて切符を買う。そろそろお金(ペセタ)もなくなってきた。どこかでトラベラーズチェック(T/C=旅行用小切手)を両替せんとなあ。が…今日は土曜日、銀行は全然開いてましぇ―ん。ということは、セビージャで土日を過ごすことになる。宿は果たして確保できるのか、という不安がわいてきた。
 さて、電車はラッキーなことに時間通りにやってきた。アンダルシア急行で昨日来た方向に戻る格好でセビージャへ。到着も時間通り。鉄道で大正解。
 出口付近の待合所でめでたくトモコさんと合流。幸い駅の両替所も開いていて一安心。バス乗り場へ向かいながら、宿泊の話をすると……なんと昨日の電話後、トモコさんはオスタルやペンションをすでに10軒以上あたってくれていた。さらに苦労の末、予約まで取りつけていてくれたのだ。「一緒に探しましょう」くらいの軽いノリで言ったつもりが、ここまで対応していただけるとは…申し訳なさを感じながらも、非常に嬉しかった。
 アンダルシア最大の都市であるセビージャ(セビリア)は、人口約70万人、やや内陸部に位置しているが、中心部を流れるグアダルキビル川でいうと、同じ川が流れるコルドバより100キロほど下流にあたる。万博や世界陸上も開かれており、またビゼーの『カルメン』の舞台としても知られている。
 トモコさんは日本での仕事を辞め、現在スペインでフラメンコ舞踊を勉強している。同じように日本からスペインに来た人も多く、語学留学生なども含めると、彼女が知っているだけでも50人はセビージャに住んでいるとのこと。実際はもっと多いのだろう。
 紹介してもらったオスタルは中心街から少し離れたアラメダ・デ・エルクレス(「辞書的直訳」でいうと「ヘラクレスの並木道」?)にある。家族経営のようだがざっと15〜16室はある。部屋にはベッド、シャワーもあり、僕にはこれで十分過ぎるほどだ。今まではちょっと贅沢しすぎたからね。
 チェックイン後、トモコさんのフラメンコ仲間と3人で食事へ。途中、何人かの日本人ともすれ違い、自分の知り合いにも偶然会ったり。実は今の時期、セビージャではちょうど「ビエナル・デ・アルテ・フラメンコ」というフェスティバルがあり、街にはフラメンコ好きの日本人が増殖する。スペインの人がそんな日本人をどう思っているかは、とりあえず気にしないことにしました。
 この「ビエナル」では毎晩いろんなホールでフラメンコのステージをやっているのだが、それ以外に、昼間から街角のその辺でチャカチャカやっているわけではない。今回の旅で、テレビのバラエティー番組で映るようなスペインがいかに「ヤラセ」にまみれたものだったか、改めて立証された、かな。
 ところで、スペインの人々にはフラメンコがどう受け入れられているのか、例えば中心である南部に限ってもどうなのか、はっきり言って今の僕にはよく分からない。現地のコミュニティーも持っていないし、10日かそこら旅行しただけでは知る由もない。確かに彼らの文化に根ざしているのかもしれないし、日本のように特定の時期しか用いられない、いわば「夏祭り的様相」を呈しているのかもしれない。今度来るときは年単位のつもりで来ないと、と改めて思う。
 夕方まで少し昼寝をし、散歩がてら観光に出る。スペイン広場で観光用の馬車やロバ車(?)を見ながら暗くなるまで時間をつぶし、「ロペ・デ・べガ」という劇場へ。なぜかというと……今夜ここでビエナルの公演があるからなのである。別にそういう目的で来たわけではなく、だったのだが、結局見たくなってしまったのね。出演するのは「マヌエラ・カラスコ」という、日本にもたびたび来る踊り手で、キャッチコピー通りの「女王」である。僕はまだビデオでしか見たことがない。
 チケットを持っていなかったので当日券を…と思ったのだが、すでに売りきれ。こうなったらダフ屋を初体験か……と思ったのだが、ダフ屋のおっちゃんも(「ない」という素振りで)「お手上げだ」というありさま。次々とタクシーが乗りつけ、華麗にドレスアップした人々が、少し汚れた「ユ○○ロ」Tシャツを着た不審な東洋人の前を通りすぎていく。開演後40分粘ったのだが、結局スタッフに「ダメダメ」と追い出されるハメに。取り残された多国籍の15、6人の間にはなぜか不思議な連帯感が生まれていた……って、おいおい。
 このままおめおめと引き下がれるものか、と思っていたが、ここで「天のおたすけ」。今夜は別の所でもう1公演あるのである。1度オスタルで休憩し、グアダルキビル川を越えた場所にある「オテル・トリアーナ」へ。そこの経営する「ピソ(アパートのような集合住宅)」の中庭に設けられた特設ステージで、カディスの巨匠「チャノ・ロバート」という歌手のコンサートがある。ここでも当日券はなかったので、ダフ屋初体験でついにチケット入手。中はかなり広く、500人は入れるスペースだ。
 第1部は歌とギターというシンプルなスタイルで、4組が入れ替わり立ち代わり登場。最後の2曲はドン・チャノがびしっとしめる。第2部はガラっと変わり、20人以上がずらっと並んで次々と歌ったり踊ったりとお祭り騒ぎ。9月といえども夜中の屋外はさすがに寒い。2部の後半になると客の間からだんだん「いい加減にせい」という雰囲気がたちのぼる。しかしここはさすがドン・チャノ、絶妙なタイミングで登場。「オレは少ししか歌を知らない」とギャグをかましながら見事なまでの歌を披露。観客もこれまたいいタイミングであいの手(オレ!とか)を入れる。非常に興奮する体験だったが、反面こうした空気の「揺れ」にいまいち乗れない自分が歯がゆくもあった。「もうちょっと歌詞を知っていたら」と思うことが何度あったことか。
 さてこのコンサート、開演は午前0時。終演は午前3時半。終演後外に出ると、人が多いはずなのになぜか会場の周りにはタクシーがほとんどない。しかたなく歩いて川を渡ることに。橋のたもとには自分と同じぐらいの年代の若者がたむろしており、いろいろなことをやっている。観察してみたくもあったが、さすがに1人で入るのは恐かったのであきらめる。「夜道を1人で歩くのは危険」という旅行マニュアルに沿って、まめに後ろを振り返りながらようやく橋を渡り、タクシーをゲット。オスタルにたどり着くころには、なんと午前4時をまわっていた。出かける前に「遅くてもいいから」とは言われていたが、さすがにお父さんの機嫌は悪そう……ごめんなさい。

9月24日(セビージャ)

 起きたのは10時半ごろ。今日は日曜日。オスタルの前は道路というより広場なのだが、何やら露店が立ち並んでいる。のぞいてみようと思ったのだが、直感が危険をビビビッと察知、露店を見るのは見送ることに。
 セビージャの治安は比較的良いという情報を事前に入手してはいたのだが、やはり観光客などを狙ったスリや引ったくり、置き引きといった犯罪は多発しているという。特に日本人らしき観光客は、「同類」の僕から見てもかなり目立つ。遠くに見える観光客を見て思わず「ありゃ、いいカモだ」と言ってしまった。
 ちなみにトモコさんも、自転車の後輪やサドルを盗まれたという。盗んでどうするかというと、答えは単純、「売る」んだそうだ。後で聞いたところによれば、それはちょうど僕が見たあの露店なんかで売っているらしい。誰かが盗品を買いとって、露店で売るのかあ。そういえば、あやしげな鉄クズがあったような、なかったような……。
 最初に書いた通り、日曜日ということでほとんどの店はシャッターを閉めている。午前中は近場にあるカテドラルやアルカサルをのんびり見学。ミサを初めて生で見ることもできた。
 夕方になり、今度は劇場でという想いを胸に、「マエストランサ」という、闘牛場隣の劇場へ向かう。さりげなくこの日もダフ屋で購入。正規料金の2〜3倍とはいえ、日本と比べればはるかに安い。こんな行為、日本では絶対しないだろう。とにかく安いから買う。かくしてこの地に「日本人観光客」がまた1つ刻まれた。
 この日は、「アントニオ・エル・ピパ」というヘレスの若手バイラオール(舞踊手)率いる舞踊団の公演。舞踊団の公演をホールで見るのは初めて。日本では1万円以上かかるので見ていない。
 舞台構成については、バランスやテンポが非常に良く、アントニオの「王子さまぶり」が完璧なまでに堂に入っていた。特筆すべきは「ティア・フアナ・ラ・デル・ピパ」という女性歌手の存在。渋いダミ声で圧倒的な存在感であった。かなりのご高齢と見うけられ、しかも「ピパ(=パイプとか樽の意?)」という同じ芸名から親戚ではないかと予想していたのだが、自宅に帰って調べたらなんと実のおばあちゃんと知ってビックリ。
 終演後、同じ公演を見た日本人留学生の人たちとバルで余韻に浸る。話をしながら、同時に日本人のスペイン留学事情を少し知ることができた。その場では踊りを習うために来た人がほとんどだったのだが、留学の流れを大まかに説明すると、日本で「派遣」などの仕事をしてお金を稼ぎ、数ヶ月スペインに留学して、なくなったら日本に戻り、また働いて資金を稼ぐ、というパターンが多いそうだ。僕はこの話を聞いて、なるほどと思うこともあったが、一方で、何か違和感も覚えた。僕がこれまで音楽でお世話になってきた人は、いずれも過去に海外に何年にもわたって入りこみ、1ミュージシャンとして現地の人々とのコミュニティーを形成した人たちである。僕はそうした人を見て、またその人たちから話を聞いて、現地に入りこむことの重要さをちょっとはイメージしていたつもりである。もちろんそれが全てであるとは限らないし、自分が将来どのような海外経験をするのか分からない。ただ、この話は何かを突きつけられたような、個人的にはある意味非常にショッキングなものだったのである。それが音楽か踊りかは問わないにしても、現実的にこういうパターンをたどらざるを得ないのだろうか。学生の自分には正直実感がわかなかったが、このときの会話は後にいろいろ考えるきっかけになった。
 さて、バルで余韻に浸っている間は別にそう深く考えてなかったのでワイワイとやっていたのだが、そこへちょっとおしゃれな女性が英語で声をかけてきた。特にあやしいシチュエーションではないと思いきや、いきなり「小銭くれませんか」ときた。一同に緊張が走る。隣のTさんが「英語わかりましぇーん」ととぼけるが、この女、なかなかしつこい。しばらくしてようやく去っていった。するとバルの中にいた男性が寄ってきて「あいつはコレだ」と「腕に注射」のポーズをとった。意味はすぐに分かる。「クスリ」だ。
 数分後、今度は男がふらふらとやって来てまたも「小銭くれ」。僕以外の人はもう慣れっこのようで、「よく来るよ」と言う。スペインは南側が地中海と大西洋に面しているため、アフリカからジブラルタル海峡を渡って大量の麻薬が流入するという。そのためこの国ではかなりの社会問題となっているとのこと。
 暗い夜道を注意しながら歩き、ようやくオスタルに。ゆうべよりは早いが、それでも午前1時。またまたごめんなさ〜い。

9月25日(セビージャ〜ヘレス)

 オスタルで読んだ朝刊に、昨夜見た「アントニオ・エル・ピパ舞踊団」の公演記事が載っていた。内容はよくわからないけど……。興味深いことに、広告に載っている電化製品の値段の「数値」が日本のそれと全くといっていいほど同じだった(パソコンが16万とか、○○型テレビが「498」だったりとか)。物価の比率はもちろん違うが、値が等しいだけに錯覚してしまう。日本ではいまいちな「2000」の紙幣もけっこう役に立ったりするし、金銭感覚がマヒしそう。
 セビージャを立つ前にトモコさんに会い、お礼を言う。セビージャでの充実した2泊はなんといってもこの人のおかげです。ありがとうございました。どこに行っても、そこに何か身近な存在があるだけでその土地に愛着を持ってしまうという、なんとも不思議な体験であった。
 ヘレス方面に乗った電車は……前回と同時刻……ということは、またシエスタだぁ。街はしーんと静まり返っております。でも前に来たときに聞いておいたボデガ(シェリー酒工場)の見学ができると思い、期待しながらホテルへ。見学は1日に何回か、数種類の言語ごとにそれぞれ行われており、所用時間は各1時間ずつ。僕は午後4時からの回に行こうと思っていた。
 見学に訪れるのは、ゴンサレス・ビヤス社のボデガ。「ティオ・ぺぺ」の名で知られる、シェリー酒では大手の工場だ。早めに着いたので入り口付近でしばらく待っていると、何人か個人見学者がポツポツとやってくる。が、予定時刻を過ぎても窓口に人は現れず、だんだん不安になってくる。しきりに中をのぞいているドイツ人の男性に話しかけると「(英語で)何語の案内でもいいから入りたい」。とにかく困った。次第に1人2人と去っていき、ついに僕1人が取り残されてしまった。
 おかしい。出口らしき別の門にまわり、そこにいた守衛さんにたずねると、「今日は臨時休業なんだ」。なぜじゃー! 休むならちゃんと書いとけ!
 どうもヘレスではついてない。がっかりしながらしばらくぶらぶら。別のボデガへも足を運んでみたが、見学に入れそうな場所は見つからず。ガイドブックにある他の観光スポットもすでに閉まっており、ギターショップをのぞいただけでこの日は断念。また明日か。

9月26日(ヘレス〜カディス〜アルヘシラス)

 今日は早めにホテルをチェックアウト。理由はもちろん、昨日の「リベンジ」である。10時からの第1回見学をねらい、ばっちりスタンバイ。無事、中へ入ることができた。工場内は独特の発酵臭がたちこめている。なんというか、しょうゆの強烈なやつというか、ほこりのような臭いというか。
 遊園地にあるような汽車風のバスで移動しながら、製造課程の説明を受ける。蔵の中をネズミがチョロチョロして、女性客の足がすくんでしまうというハプニングも。とにかくずらーっと並ぶ樽の眺めは「壮観」の一言である。ここで作られたシェリーは「ティオ・ぺぺ」をはじめ各国に輸出されており、日本でも多く見ることができる。樽ごと所有している人もおり、ふたにチョークでサインがしてある。中にはスティーブン・スピルバーグや故・アイルトン・セナの名もあった…ちょっと、案内の兄ちゃん、なに鼻の穴ふくらましてんのよ。
 試飲までさせてもらい、上機嫌でボデガを後に。すきっ腹に2種類のシェリーが入ったため(ワインよりちょっと強いんです)、ほろ酔い気分で駅に向かう。おい、大丈夫か?
 ヘレスからカディスまでは小1時間ほどで行ける。カディスは半島の先っちょにある港町。目の前には大西洋が広がっている。ついにやって来てしまいました。別に大西洋を見に来たわけでもないのに、この感動は何なんだ?
 駅から市街方面へはタクシーで移動。この運ちゃん、かなり「なまり」がきつい(さすが港町?)。スペイン語は旅行中に少し耳になじんだつもりだったが、それが全部ふっとんでしまうほど。
 運ちゃんによると、この町にはけっこう日本人がいるとのこと。実はこのカディス、マグロの水揚げが盛んで、その大量のマグロは当然、日本へも輸出されている。地中海に来たマグロにエサをやって太らせてから獲る、いわゆる「蓄養マグロ」。僕がたま〜に食べる本マグロはだいたいこれ。
 防波堤になっている公園で海を見ながらしみじみとした後、すぐにバスターミナルへ。今日中にアルヘシラスへ行かなければならないため、やや急ぎ足なのである。カディスからアルヘシラスまでは約2時間。大西洋沿いに走り、ジブラルタル海峡を挟んで地中海側の港町に到着、という予定。長距離バスに乗るのはこの旅では初めてだったのだが、バスの事故は多いっていうし、ちょっと心配。さらに追い討ちをかけるように、乗ってみたら、なんとフロントガラスにヒビが! しかも僕の席(指定)は先頭……大丈夫だ、よね?
 幸い事故もなく、無事にアルヘシラスに到着。途中、海岸近くの山道で風力発電所の風車群の中を通りぬける。以前にビデオで見て「ぜひ生で」と思っていた風景だけに感動。
 アルヘシラスはスペインのほぼ南端にあり、港からはモロッコ行きのフェリーが出ている。そう、アフリカ大陸は目と鼻の先。アラビア文字の看板も目立つ。突然別の国に来たような雰囲気さえある。
 今夜泊まるホテルの前には広場がある。そこに、僕の尊敬するフラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの銅像があった。僕をフラメンコという世界にいざなってくれた人物であり、「底無し沼(?)」に引きずり込んでくれた張本人でもある。この人の存在なくしては、僕はこれほどギターという楽器に入れ込むこともなかったであろうし、この国に来ようとも思わなかっただろう。親から偶然進められた、パコの1枚のCDが、いつのまにか僕をこの場に立たせていた。高校生以来の夢がひとつ、この銅像を象徴として達成された瞬間であった。
 が、しかし、この銅像、ギターを弾いている図なのであるが、弦が3本しかない…。一般的には6本なんだけど……しかもパコは現役なのに……どうにかならんかね。

9月27日(アルヘシラス〜ロンダ〜マラガ)

 旅も終わりに近づいてきた。このままマラガへ、とも思ったのだが、ちょっと寄り道をすることにした。残念ながらアフリカではありません。
 アルヘシラスからの鉄道は電化されていない、ディーゼル車。乗るのは栃木に走っている烏山線以来久しぶりだ。内陸へ2時間半余り、美しい渓谷地帯をぬけ、着いたのはロンダという街。峡谷を挟んで建物が並び、間には「ヌエボ橋」という巨大な石橋が架かっている。その高さ、なんと100メートル。凄いと思うのは、このような長い歴史を持つ建造物(多少補強してあるだろうが)の上を普通に車が通っていることである。日本では材質だとか地震だとか、その他歴史的背景があるのでなかなか考えにくい。まさにカルチャーショック。
 本当に「寄り道」だったので、食事を済ませるとロンダを後に。今度はマラガまでバスで3時間。途中にはイヤな山越えが。
 たまたま相席になったベルギー人の兄ちゃんと会話が弾む。ベルギーではオランダ語、フランス語のほかに英語やドイツ語、なんと4カ国語が話されていると知ってビックリ。でも彼に「スペイン語はキミの方がよく知っているよ」とおだてられ、つい木に登ってしまった。彼が「14」日を“diez y cuatro”と言ったのを“catorce”と訂正しただけなんだけどね。彼の言った言葉でも通じると思うし、おせっかいだったかなあ。
 1時間ほどで山を越えると、懐かしのコスタ・デル・ソルが見えてきた。途中、リゾート地のマルベーリャでベルギーの兄ちゃんと別れ、バスは一路マラガへ。6時ごろにはマラガに到着。最初に泊まったホテルに再びチェックイン。もうすぐ、さよならだ。

9月28日・29日(マラガ〜パリ〜ジッカ)

 昼ごろに空港に入る。結局マラガではちっとも観光をせず、ややもったいない気もしたが、10日間の滞在としては、もう十分つめこむことができたように思う。13時40分発の飛行機で出発。さらば、また来る日まで…。
 パリでは少し時間があるので市内を見ようと思ったのだが、この時期、スペイン南部とフランス北部とでは気候がかなり違います。大雨、寒い、風邪ひきそう。疲労感も手伝って、今回は市内観光をあきらめることに。次回は少しフランス語を覚えてこよう。
 深夜発の飛行機で、いよいよ日本へ。日本語のアナウンスが懐かしくもあったが、反面なんとなく違和感がある。これはどうしたことか。スペイン語やフランス語を2週間浴びただけなのに。これは人間の恐るべき適応力なのか? それとも、「忘却力」? 
 成田空港に着いたのは、明けて29日の午後6時。入国審査の所に行くと、「日本人」「外国人」「再入国者」などといった区分がされていた。これをみた僕は思わず愕然とした。セキュリティーの面がどうこうという話ではない。僕はヨーロッパに旅行に行って、特に「国籍」というものを意識せずに過ごすことができたように思う。それが成田に帰ってきて、否応なく「日本人」か「外国人」かという区別に直面することになったのである。これもまた、いろいろ考える機会になりそうだ。
    *   *   *
 今回の一人旅は、後に訪れるであろう長期修行の、いわば「下見」のようなものでした。自分の目で見たものをそのまま述べたり、「楽しかった、また行きたい」という感想を言うのは簡単なことでしょう。しかし同時に、この経験は僕にとってこれからの自分の進む道について考える良いきっかけとなったように思います。そして僕の考えていることがこの旅行記の中に少しでも表れていて、読んでくれた皆さんがそれを感じてもらえれば幸いです。なぜこういうまわりクドい書き方をするのかというと、僕自身、うまく説明できないからです(笑)。というわけで、旅行記はこれでおしまい。

2000年10月〜12月 

※この旅行記は、2000年11月〜2001年1月にかけて、僕が当時在籍していた大学のゼミの新聞の投稿として書いたものです。今回の掲載にあたり、若干の修正を加えています。


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