<8>サンバに還る


 2006年11月、”チャカレーラ塾”なるものを始めた。きっかけはほとんどなりゆきだったのだが、20年近く形だけ ---要するに適当に--- 踊り続けてきたチャカレーラを、その年の夏から妻と二人でかなり本気で踊っていたので、その勢いで始めてしまった。初開講の様子は別のページに書いているので興味があったら覗いていただければ……。>>
 ねらいは、チャカレーラの踊りを体験し、その向こうに広がっているアルゼンチン・フォルクローレに興味を持ってもらえたらうれしいなあ、というものだったが、もう一つは自分の健康上の理由もあった。
 幸い第1回目は想像以上の成功を収めた。勢いというのは恐ろしく、息子を塾長(サンティアーゴ経験者だから文句はあるまい。しかし実権は私が握っているので、傀儡?)私は講師ということにして、ミチオ・セガに顧問を頼んだ。ほとんど冗談みたいなこの計画に彼は即、乗ってくれた。
 しかしあとが続かない。そもそもカップル・ダンスが照れくさいのか、それともボリビア中心のアンデス音楽以外にはあまり興味がないのか、その後開講する機会はなかなか訪れなかった。だが我が家に音楽ファンが来訪するたび、半ば洗脳のような状態で、狭い部屋の中で妻と一緒に踊って見せ語り続けてきたので、もう何十回も塾を開講したことになっている。
 チャカレーラを踊れば踊るほど、サンバを思うように踊りたいという欲が出てきた。人前で踊るつもりはなかったが、いつでも自分のイメージにある踊り、DVDを見るたび惚れ惚れするアルゼンチンのあるカップルの踊りを、何パーセントかでも真似できたらと思うようになった。そしてだいたいそんな状態に近づきつつあると思っている。
 面白いもので、チャカレーラは激しい踊りという印象があるだろうが、敏捷性が重要なのであって、エネルギーを使うのはむしろサンバの方だった。有酸素運動の傾向が大変強いので、坐骨神経痛のために甘やかしていた筋肉たちは徐々に目覚め、体重も減り坐骨神経痛も軽快した。舞台の上で「血圧は高い、血糖値も高い、しかし所得は低い……」などとやって、同世代のオバさまたちにウケていたのも、所得を除いて改善されていった。

 サンバは、フォルクローレを愛聴し始めた1970年代半ばから好きで、長い歌詞を覚える困難さを除けば最も愛するものであった。歌曲性が高く、一生聞き続けても尽きない名曲がたくさんあって、「代表曲は何ですか」と問われたら答えに窮する。だがそんな質問をしてくれる人は極めて少ない。最近知り合ったファンたちの間では「灰色の瞳」でだいたい間に合ってしまっているようだ。たまにはダニエル・トロの「エル・アンティガル」を挙げる人もいるが、それはケーナの曲だと思っているかららしい。古いファンが口ずさむアタウアルパ・ユパンキの「トゥクマンの月」さえ、新たにフォルクローレ・ファンとなった人たちにはほとんど知られていない。
 それでも数年前からサンティアーゴ音楽熱烈愛好家のYana.と親交を深め、つい先日は一緒にアルゼンチン音楽談義ができる古河市のSiba.氏とめぐり合えた。これだけでもすごい確率の出会いなのだから、大喜びすべきことなのだ。
 この「三昧」ではすでにサンバの音源を紹介しているが、ある意味どの曲を紹介しても同じだから、かえって自分の好みだけで選曲できるのは大変ありがたい。
 フォルクローレの歌には「帰還」というテーマがしばしば見られる。還っていくのは故郷や家族や古い友であったり、心の原点であったりする。私も妻も今、サンバに還っていこうとしているらしい。
 フォルクローレには、男女の愛の歌や社会へのメッセージもあるが、上記のような故郷や家族、祖先、大地、山や川などをテーマにしたものが多く、中でも「母」への思いは相当強いようだ。父や祖父も出てくるが、祖母に負けている。
 こんな歌がある。17年前、ミチオは、私たちが聞き取ったつたない歌詞をチェックし、「赤ペン」添削してくれた。さらに訳まで付けてくれたのだった。そのファックスの添書には、
 「たぶん生きている間は、"Me perdona, mamá vieja" と言いつづけねばならない不孝者です。それですむわけがないのに、歌を聞いて訳して、贖罪をすませた気になる愚か者です」
 ……と書かれていた。


         わが悲しみのサンバ

   何度泣きたく思ったことか でも泣けなかった、泣けなかった
   心よ、そんなにまで悩むほど 何をされたのか俺には判らぬ

   何度夜中に目覚めたことか すすり泣いて、すすり泣いて
   おふくろが夢に出て 俺のために泣いたから

      だから俺のサンバには 奇妙な悲しさがまじってる
      俺の夢には、覚めた心を泣く死んじまった希望がつきまとうから

   何度思いにふけったことか おれにはバチが当たったのだと。
   悲しんでも泣けないのだから、恨みを持つ者のように泣けないのだから

   神様はお望みなのか 家に戻って嘆くことを
   そしてふるえる声で 「ごめんよ、おふくろ」と言うことを

      だから俺のサンバには……

    (ZAMBA DE MI SENTIR /Hnos.Rios - Pedro Sanchez /1991.9 瀬賀倫夫訳)


 2008年12月6日、一昨日の夜、わがチャカレーラ塾顧問のミチオは、約束した“チャカレーラ・フェスティバル新潟”の2009年実現を待たず、逝ってしまった。
 <ffuma takao 2008.12.8>

★「わが悲しみのサンバ」"Zamba de mi sentir" -- LOS CARABAJAL"Domingo Santiagueño"PHILIPS 6406062 (1978)"から。

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