瀬賀倫夫氏の“フーマ紹介”のエッセイ (1991)


フーマ ~ 小林ファミリー
---- 埼玉に咲いた摩訶不思議な花 ----
EL SANTIAGUEÑO (瀬賀倫夫)
 関東平野の風景を、例えば新潟の田園地帯なんかと明らかに違ったものにしている要素の一つがあちこちにある欅(けやき)の木じゃなかろうか。地上に出るのを待ちかねてたように枝が根本部分から幾つにも横に張りだし、幹(みき)がないとも言える姿はまるで舞茸(まいたけ)のお化けを見るようで、20年前、新潟~東京を急行佐渡で往復することになった大学生の私には珍しかった。電車が上州路から野州路に入ってもその風景は大きくは変わらない。相変わらず欅と、何故か屋根の輪郭を白く塗った家々が田舎の風景を東京直前まで形成している。新潟の北辺のど田舎に生まれ育った私は、東京のすぐ側に田舎があることを当初奇異な印象で眺めていた。18歳。外出着と言えば学生服しか考えられない「田舎者」を自認する私には、大都会のすぐ側の田舎は、別の言葉で言い表すべき場所のように思えた。屋敷を囲む木立、にょきにょきと伸びる欅、その下に神社、空疎なほどに溢れる陽光。これが関東ローム層か、の赤い壌土は何故か湿り気が感じられた。
 往復の度に私の目の前を通り過ぎる風景はいつも無言で、何回見ても決してその中に私が立つことの無い確信のようなものが、その風景を夢のようなものにした。そして幾度目かで私はこの関東の田舎の風景を幼時に擬似体験していることに思い当たった。石井桃子の「ノンちゃん雲にのる」の映画であり、その本だった。東京にほどよく近い田舎が舞台のこの物語を活字と映像で体験した私の潜在記憶に、「東京に近いのに田舎」という設定はある種の理解しがたい謎の風景として刻みつけられたのだろう。
 古い絵葉書の中の風景を探すみたいに、私は沿線の風景を眺めるようになっていた。

 埼玉の杉戸町は私の眺めた風景のずっと後ろにある。しかし延長線上にある。小林家は町外れにある。いや村外れと言ったほうが相応しい。神社がある。すぐそばに大きな欅がある。欅の下の黒い土はやはり湿っていた。多分その中に立つことはないだろうと思えた風景の中に私は立っていることを実感する。ほどよく古い、洋館めかした造りの小林家の二階、小林隆雄氏の仕事部屋兼音楽室の窓から田舎風景が動かず固定されていた。ちなみに隆雄氏は栃木の出身。この杉戸の家は奥様の洋子さんの実家である。隆雄・洋子夫妻に智詠(ちえい)君の小林一家と洋子さんの母上、山田京子さんの計4人が住んでいる。
 よくもまあ他人の家のことを書きたてるなあ、とあきれちゃいけない。この4人がすなわちお花見コンサートのゲスト「フーマ」のメンバーなのだから。家族4人が総てメンバー、猫を除いて仲間外れなし。3世代4人がフォルクローレのもとがっちり結束したのだ。テレビのパートリッジ・ファミリーはドラマだがフーマは事実。副題に摩訶(まか)不思議と書いたのは語呂合わせだけじゃない。
 根っからの田舎者である私は、アルゼンチンでも田舎にやすらぎを覚え、特にサンティアーゴ・デル・エステーロというド田舎に心許せる知己を得たことを繰り返し述べているので、多くのひとはうんざりしていることまで知っている。私を単に運のよい人間と思うひとも多いのだが、私は私の唯一の特技である集中力が呼び寄せた当然の帰結と思っている。求めよさらば与えられん、はホントである。求め方が足りずにてきとーにきりあげちまう99%の人間は与えられずに終わってしまう。それだけだ。サンティアーゴに集中した私の念力は、帰国後、私なんかよりもっと前から、そしてもっとすごい愛着をもってサンティアーゴを見つめていた小林隆雄氏とのつながりをイトも簡単に呼び寄せた。
 小林氏のフォルクローレ一般についての該博な知識についてはここでは述べない。奇跡のようなフーマ結成を語るのが本来の主旨だろう。音楽を通じて結ばれた洋子さんとのドゥエットを子守歌がわりにきいた智詠くんがフォルクローレに異常な興味を持ったことからフーマの歴史は始まる。最初はカルカス党だった智詠くんはやがてアルゼンチン北西部のサンバ、チャカレーラに当然のごとく熱中する。サンバ、チャカレーラなんかに狂うと、ピーヒャラ党には人気のないギターを何故かやりたくなってくる。お父さんのほうはぺテーコ・カラバハルを愛する余り、普通のひとが5~6才で始めるバイオリンに40近くになってトチ狂う。智詠くんがリズム感抜群で努めていたボンボをやる人間が足りなくなる。ここからがスゴい。それまで、二階のムコ殿一家の音楽を、或いはコうるさい、と聞いていただけだった洋子さんの母上、つまり智詠くんのおばあちゃん京子さんにこのムコ殿はボンボを押し付け、サンバ、チャカレーラの叩き方をおしえこんでしまったのである。チャルチャレーロス、キジャ・ウアシ、トゥク・トゥクそしてロス・カラバハルなどアルゼンチンフォルクローレ伝統のスタイル、4人組のコンフント「フーマ」の誕生だ。勿論、日本で唯一無二である。何れそのうち猫の手も借りるかもしれない。
 奥様洋子さんは清楚で、心優しいイラストレーターである。いろんな雑誌・単行本に人柄どおりのやさしいイラストを書いている。今回のチラシもタダで書いてもらった。
 小林家を辞する朝、周囲は一面の霧に包まれていた。そのせいか関東の田舎の朝は濃密に思えた。静寂も思いほどだった。裏日本では決して味わえない関東の冬の朝だった。ノンちゃんが迷いこんだ雲のなかのような霧だった。ここで育った洋子さんのような女性は誰もがノンちゃんのような経験を幼いころに持っているのかもしれない、と思った。
 フォルクローレにはある種の幼時回帰願望があるようだ、と時々思う。だから幼いころに田舎の記憶を持つものにその魅力は一層強くなる。埼玉の片隅に咲いた不思議な花「フーマ」を見て、そして聴くとその思いはより確信に近くなる。
 新幹線の車窓からも、私の「絵はがき」の風景は望める。見えたと思うと東京に着く。日本の99%が田舎だということがおかげでやっと判ってきた。

新潟中南米音楽愛好会会報『越佐Hoy』 (no.91 1991.4.1) より

小林ファミリー“フーマ”、と瀬賀倫夫氏〈右〉 (1990)


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