“幻”のフォルクローレ愛好会「パンチャコヤ」 1977-1981    

 Panchacoya










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 1977年から4年間、東京に“パンチャコヤ”というフォルクローレ愛好会がありました。メンバーは社会人が多く、「グループで演奏をしたいが、多忙で仲間探しができない、練習時間が少ない」という悩みをもつ人たちでした。最初は7人でスタート、曲を決めてみんなで練習していましたが、徐々に参加者が増えてきました。そのため愛好会のルールを決め、月1回の例会を四谷で開くようになりました。

 楽器はケーナが最も多く(当時はサンポーニャは少数だったのです)次いでチャランゴでしたが、幸いギターが弾けるメンバーが3人いましたので、この1ヶ月間おのおのが「これが吹きたい、演奏してみたい」と考え練習してきた曲を、最初にミーティングで発表してもらい、ギターやチャランゴ、パーカッション等の担当を決め、2時間ほどの練習の後に発表=ミニ・コンサートを行いました。

 バッキングのメンバーは“流しのお兄さん、おじさん”のようにメンバーの間を次々と渡り歩き、コードを合わせ、メロディのからみを合わせ(自分ではこのときの体験がかなりの勉強になったと感じています)……。パッキング担当者でも自分で演奏したい曲はありますので、それは別のメンバーに手伝ってもらいます。

 メンバーは他の愛好会やグループに所属していないことを条件にしていました。“たった一人で練習している”自分たちの最低限度・唯一の愛好時間と空間を保障し合うためです。でもみんないずれはグループを組みたいという願望があり、このパンチャコヤから誕生したグループはみんなで応援しよう、グループでできるようになった人は例会では“たった一人”のメンバーを常に立ててサポートしよう、という話し合いを何度もしました。

 お客様は歓迎してゲストとして受け入れましたので、活動経験の豊富なグループや遠方の愛好家の方々も遊びに来てくれました。こちらからは特に入会を誘わないのですが、馴染みになったゲストが「メンバーに…」と言ってくれることもありました。そんなときはみんなで拍手! です。

 1979年から始めたコンサートは、家族や友人に「こんな音楽をやっている」と知ってもらうための“内輪うちわの音楽会”だったのですが、どこで聞きつけたのか、たくさんのお客様が来てくださいました。コンサートは第3回まで開くことができました。結成当時の状況を思い出すと夢のような変化でしたが、コンサートのときでも、パンチャコヤの最も大事な“たった一人”のメンバーが主役であることを固く守ろうとしてきました。

 メンバーは一時は最大24人にまで達し、会の中からいくつかのグループも生まれました。しかしこの成長と活発化は同時に、旧来からの“たった一人”のメンバーには十分に例会中の時間空間を得られにくい状態となってきました。バッキングを引き受けてくれるメンバーも増えてはいたのですが、日曜日の午後の短い時間ではかなり窮屈なものになっていました。結局1981年秋のコンサートを最後に、「パンチャコヤの初期の目的は達した」として、解散しました。今ではその名前を言っても聞いたことがない人がほとんどです。アンデスのジャングルにひそむ謎のパンチャコヤに因んで名付けた愛好会名でしたが、今は“幻”の愛好会となりました。

 あれから四半世紀が経ち、あのころの仲間のうち池端慎次君、横山尚彦君が若くして他界されました。他のメンバーたちはそれぞれの道を歩み、今でもフォルクローレを愛好し続けている人やプロの音楽家になった人たちもいます。下の2枚の写真を拡大して観察していただくと、見知った顔(当時と変わっていなければ……ですが)を発見できるかも知れません。


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