<1>ペテコのビオリン  El Violin de Peteco


 そのビオリンの音色を聞いたのは、1978年の暮れだった。
 初めて手にしたロス・カラバハル “LOS CARABAJAL” のアルバム。冒頭からいきなり流れてくるビオリンに若々しく力強いコーラス。この1枚のレコードから、やがて私がサンティアーゴ・デル・エステーロの音楽にのめり込んでいくことになるなどとは、そのときは想像もしなかった。
 当時の私の趣味は、美しく哀しくも激しさを秘めたサンバのロマンチシズム、演奏グループではロス・トゥク・トゥクやロス・チャルチャレーロス、ロス・キジャ・ウアシ等だったから、カラバハルの奏でる明るい長調のチャカレーラに、いきなりグッときたというわけではなかった。それよりも、アルバムの最初の曲 “Domoingo Santiagueño” を聴いて、驚いてしまったのである。
 ……プリメラの2回目の間奏、4小節目でビオリンの音が跳ねている? 続いてセグンダに入っても、さらに別の曲にも、跳ねている部分が。まさかと思った。アンデスものにならありそうなテイクだが……ミキシングやマスタリングを疑ってみたけれど、何度聴き直しても弓が弦の上をホニャニャン! と跳ねているようにしか聴こえないのであった。
 気になって繰り返し針を落としているうちに、なんだかこのビオリンがとても好きになってしまった。なんと言おうか……流麗とはちょと言いにくい……野趣? に富んだ音……「山のバイオリン」か。
 ジャケットには4人の若者が写っていてその右上がビオリン弾きだが、名前がわからない。裏面には名前が書いてありその下に4人の写真があったので、その並び順から推測して、彼の名前はロベルトだと思った。それから結構長い期間、そう思い続けていた。
 実はその後が問題だった。ビオリンは私の子供のころからの憧れ、しかし自分で弾くなどとは想像もしていなかった楽器。だがこのロベルト? の弾くビオリンのせいで、数週間後にビオリンを手にしてしまうことになる。30歳前後の素人客を訝しむ老舗バイオリン店の若い店員、さらに「4声でハモった直後にバイオリンを弾いてる、歌いながら弾くんですよ!」などと、クラシックの掟破りの話で怪しさに追い討ちをかける私。それでも結局、中古のビオリンを手に意気揚々と帰宅したのであった。その後私にビオリンが弾けたかどうか、それはまた別の話として、このレコードのビオリンは私にそれほどのインパクトを与えたのである。
 彼の名がロベルトではなく、ペテコ "Peteco Carabajal" であるとわかったのは、それから10年近く経ってからのことである。1970〜80年代前半のアルゼンチン・フォルクローレの主流はサルタで、サンティアーゴ・デル・エステーロの比重はまだそれほど重くはなかった。そのころ私が名前を知っていたサンティアーゴの音楽家といえば、アンドレス・チャサレータ、エルマノス・アバロス、ドミンゴ・クーラ、ファリアス・ゴメス家のチャンゴやマリアン……。やがて私はロス・マンセーロス・サンティアゲーニョスに熱を上げるのだが、その程度であった。サウンドは……みな結構シブいのである。
 カラバハルの名前をしばしば目にするようになったのは1980年代初めからであった。チャサレータとともに名曲「テレシータ」を作ったアグスティン "Agustín Carabajal" の名は70年代から散見されたが、やがてカルロス "Carlos Carabajal"、フアン・カルロス "Juan Carlos Carabajal" の名前を見つけるようになった。だがそれもロス・トゥク・トゥクやメルセデス・ソーサ等のレコード・ジャケットに、曲の作者として……であった。ペテコの名が彗星のように現れるのはそれからしばらく待たねばならない。そして今、ペテコはアルゼンチンの現代フォルクローレを代表する音楽家の一人、1990年代以降は素晴らしいアルバムを次々と発表した。先輩方と違って大半がCD時代のアルバムである。ペテコの作品を取り上げるアーティストは多いし、日本のファンの中でもペテコの名前はかなり知られてきた。あのビオリンはペテコ22歳の演奏だとわかったのも、そのころだ。
 サンティアーゴ・トリオ〜ロス・カラバハル〜M.P.A.〜ロス・サンティアゲーニョス〜ソリストへと道を歩み続けるペテコの、新しいアルバムを手にするたび、彼のビオリンの音をしみじみと味わうたび、私の記憶はあのホニャニャン! という音にタイム・スリップし、なつかしい思いに浸る。だから私の弾くビオリンは今だにホニャニャ〜ンといってるんだよ……なんて、ニヤニヤしながら。 <ffuma takao 2006.2.1>

LOS CARABAJAL"Domingo Santiagueño"PHILIPS 6406062 (1978)
---このレコードはまず入手不可能ですが、ペテコのCDアルバムは国内に出回っています。他のジャンルのようにどこでも買えるというものではありませんが、根気強く(ネット検索も含めて)お探しになれば、近年のアルバムなら必ず出会えます。(こちらのページには小さいですがCDの写真を掲載しています。)

<2>へつづく
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