<5>フォルクローレ・コーラスの至宝、ロス・トゥク・トゥク --ロメロとブラシオを偲んで |
時の流れにまかせて書きかけの文章を放置していた。アルゼンチンの1950年代〜現在の魅力たっぷりなコーラスのことを書くつもりで、その話題の中心はロス・トゥク・トゥク
"LOS TUCU TUCU" であったのだが。 前回から更新もできずに1年近く経ってしまった9月の朝、またもやミチオからのメールで驚愕した。ロス・トゥク・トゥクの乗 った車が列車と衝突し、リカルド・ロメロ "Ricardo Romero" とエクトル・ブラシオ "Héctor Bulacio" が亡くなったという報せだった。カルロス・サンチェス "Carlos Sánchez" とロベルト・ペレス "Roberto Pérez" は重傷を負ったという。このところずうっと続いていた私の不運が、私の大好きなコーラス・グループの悲運と同期してしまったかのようにも思えて、しばし一段と落ち込んでしまった……私の不運など彼らのそれとは比較にもならなかったのだけれど…… 。 トゥクマン出身のロス・トゥク・トゥクはロメロとブラシオ、ココ・マルトス、カルロス・パリーサの4人組で1963 年にデビューした。10年ほど経って、美しく魅力的な歌いまわしのトップボーカル・ココと、シャウトが野性的なカルロス・パリーサ(この人だけサンティアゲーニョ) が抜けた後、若いサンチェスとペレスが加わった。サンチェスの歌声はココをさらに優しくしたような美声で、新しいメンバーを迎えてもトゥク・トゥクのスタイルと印象、美しいコーラスは変わらなかった。 しかしなんと言っても、トゥク・トゥクを象徴する強烈な個性は、リーダー・ロメロの骨太ながら甘い低音と「語り」にあったと思う。 アルゼンチン・フォルクローレの大きな柱のひとつとなったコーラスは、トロバドーレス・デ・クージョやアバロス兄弟等の先駆者の活躍で1930〜40年代から広がりを見せ始め、1948年にロス・チャルチャレーロスが登場して以降、大きなうねりとなっていった。ロス・キジャ・ウアシ、ロス・フロンテリーソス、ロス・デ・サルタ等々……枚挙に暇がないほどの男性4人組コーラスが登場し、人気を博した。多くは北西部のサルタ出身、ギター3、ボンボ1、ガウチョ服と赤いポンチョ、それが定番であった。ソロ、2声や3声の凛としたコーラスは男っぽく野性的で、ロマンチックであった。 トゥク・トゥクもこのジャンルに属するが、とりわけアンサンブルの美しさが光っていた。チャルチャレーロスとは異なる男の色気と、ロマンチックな4声コーラスの奥に秘めたフォークロアな世界を、私はいつも楽しみに聴いた。ときどきロメロの語り口を真似してひとり悦に入ったりもした。 ![]() 昨年、初めて彼らの製品版DVDを入手することができた。1985年にココとパリーサが参加した25周年記念6人組トゥク・トゥクを映像で見ていたが、今度の2005年のコンサートの映像には、ココ・マルトス "Coco Martos" が背広を着て登場し、あの素敵な歌声を聞かせている。お〜お〜ロメロは元気だ〜、と大感激したのであった。 DVDのアルバム・タイトルは、“ロス・トゥク・トゥクよ永遠に-- ETERNAMENTE TUCU” であった。このときはまさか、彼らがこんな事態に遭遇するとは夢にも思わなかった。 1980年代までのガウチョ姿のグループはほとんど黒いブーツを履いていた。しかしトゥク・トゥクは明るい茶色のブーツであった。20年ほど前にありがたくもミノルのお父さんにトゥク・トゥクのようなブーツを作っていただき、恐れ多くも“あかいクツのおじさんたち”の仲間入りをさせてもらったようなうれしい気分になった。つい先日、ギターとバンドネオンのライブに参加する機会があり、私はこのブーツを履いて、妻とサンバを踊った。ロメロとブラシオへの弔意のつもりであった。 冒頭に記した書きかけの文章は、「魅惑のコーラス」という古めかしい題で、フォルクローレのコーラスだけでなく、60〜70年代のラテンやフォーク、日本の歌謡コーラスのことも合わせて書くつもりだった。私のコーラス好きはおそらく、今年の初夏に他界した母や、母の姉妹たちの影響だったと思う。その到達点はロス・トゥク・トゥクであった。私には今でも、ロス・トゥク・トゥクは永遠。なのである。 <ffuma takao 2007.12.7> |
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