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【ドゥオでスタート】

1978年、アルゼンチンの歌が好きな小林隆雄と洋子が、パンチャコヤというサークルでフーマを結成。当時はケーナ・ブーム、まだサンポーニャを演奏する人は非常に少なく、ボンボも入手しにくい時代でした。そんな中で、せっせとサンバを歌っていました。ケーナも結構吹いていましたが……。智詠はまだ誕生していません。


       幻のフォルクローレ愛好会 >>


【智詠カルカス少年期】
智詠がフーマに加わったのは1984年、友人大内慎二・恵津子さんの結婚式に福岡稔・麻由美夫妻と合同演奏。ボリビアのポルカにタキラリをたどたどしいスペイン語で歌いました(? そのころは確か日本語もたどたどしかったです…)。



1985年、智詠5歳のときに神奈川県松田町のカルカス・コンサートを体験。最前列の少し右よりに座っていましたが、幕が上がったらすぐ目の前にエルメールが! このときからすっかり「カルカス少年」。ラジカセでいつもカルカスの演奏を聞いていました。

智詠のステージ初体験は1987年(7歳)。ケーナ奏者の東出五国さんとフーマの共演でした。エルメールとウリセスとガストンを全部やってみたい智詠は、初めはボンボと歌、やがてサンポーニャ、そしてケーナ、次はサンポーニャがマルタとサンカとチュリ、最後には打楽器類と……。こうしてすっかり弁慶のようになっていきました。
1987年、長唄三味線のお師匠さん杵屋栄敏郎さんのパーティにおよばれしました。福岡稔さんと杵屋さんの計らいで、「カルカス」の皆さんの目の前で演奏。まさに夢のような出会いでした。






(1987)

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【サンティアーゴ・デル・エステーロ期】

1989年、智詠9歳。「ぼくギター弾けるよ」と、スリー・コードでサンバの名曲「アンヘリカ」を弾いてくれました。隆雄のギターを見よう見まねで弾いたのですが、リーダー兼父親としては仰天。そしてこれに隆雄は強く触発され、購入したもののなかなかうまくいかずに10年も放っておいたバイオリンを、再び手にしてみようと決心しました。40歳を目前にした挑戦は、無謀にも大好きなサンティアーゴ・デル・エステーロのチャカレーラでした。
こうしてフーマは、すっかりサンティアーゴ音楽、中でもカラバハル一族の音楽を熱愛するフォルクローレ・グループになりました。


右の写真は上から、福島県川俣における、アルゼンチン・コスキン音楽祭会長ミゲル・アンヘル・サンチェス氏歓迎プログラム。「ロス・デル・セキヤ」「ダンサ・エレンシア」「アクアリオス」と共演させていただいたときのもの(1989)。
次の3枚は埼玉・加須市でのコンサートで、上から「ダンサ・エレンシア」を招いて共演、小林ファミリー3世代4人組、多田行規さん・瀬賀倫夫さんのドゥオ「ロス・デル・セキヤ」と小林智詠の共演、です。
この3枚は翌90年のものです。この年には瀬賀さんのお招きで新潟でのコンサートをやらせていただきました。
振り返ればこの後の数年間は、カラバハルの音楽を中心にした、フーマの最も“濃い時代”だったように思えます。


        瀬賀倫夫氏の“フーマ紹介”のエッセイ >>

 
隆雄はもともと中南米音楽全般に関心がありましたが、特に強い思い入れがあるアルゼンチン音楽では、やってみたいことが三つありました。@4人組のアルゼンチン・コーラス・グループ、Aチャカレーラやサンバが踊れる楽団、そして、Bモダン・ハーモニーのコーラス・グループ、でした。

先の二つは、なんとか実現することができました。
4人組=ギター3台にボンボ、コーラスのスタイルは、ロス・トゥク・トゥクやチャルチャレーロスのようなわけにはいきませんでしたが、姑も(強引に)引き込んで老若男女4人で演唱しました。
楽団は、ダンサ・エレンシアやエパ=長野太郎さん・塚田美紀さんのお二人と共演することができ、また、地元でチャカレーラやサンバを踊るプログラムを仕掛けたりしました。

Bの、グルーポ・ボーカル・アルヘンティーノやアンダリエゴスのようなモダン・ハーモニーのコーラスは、さすがに歌の力量が及ばず、また同好の士を見つけるのもほとんど不可能なため、このまま夢で終わってしまうでしょう。


          (フーマの動画/1988〜) 



ほんのいっときでしたが、智詠のチャランゴでアルゼンチン・フォルクローレだけでなく、タンゴやフラメンコの曲を演奏したこともありました。智詠はこの後、大学に入る頃から本格的にフラメンコにのめり込み、やがてプロのギタリスト(スパニッシュ・ギター)になりましたが、幼い頃からしじゅう耳にし歌っていた中南米の音楽は、体に染み付いているのではないかと思います。


       ギタリスト智詠のページ >>












2001年に来日したサンティアーゴ・デル・エステーロの音楽家・フアンカ (Juan Carlos Carabajal) と、永年の夢の出会いが奇跡的に実現しました。ミチオ・セガが作ってくれた縁、そして長野太郎さん・塚田美紀さんご夫妻の尽力のおかげでした。


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  【ほとんどお休み期】








1999年から智詠がギタリストとしてプロ活動を始めたため、フーマは結成時の2人に逆戻り。そこで“中南米音楽 palma(パルマ)” というグループを作り、Akiko(アルパ)、Hiroko(ケーナ他)と一緒に3年ほど活動しました。
フーマは年1、2回の上演があるかないかのほとんどお休み状態だったのですが、2007年9月には智詠の歌とギターで、2人でサンバを、11月には栃木で、智詠と早川純さん(バンドネオン)の演奏でサンバ、チャカレーラ、ウエジャを踊ることができました。(チャカレーラやサンバが踊れる楽団をやろうと思ってはいましたが、まさか自分たちが人前で踊ってしまうことになるとは……)

(この間は「チャカレーラ塾」 >> というものをやっておりました……)

(2009)


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